【遺言:養老孟司著 新潮新書】(右上写真) を読みました。
… 通常の家というのは、共有空間と、個々別々の個人的空間が折り合わされている。それを意識と感覚と表現してもいい。共通性つまり意識が強い場所もあるし、個室のように個人性つまり感覚が強い場所もある。 … … 共有性空間を当たり前だと思ってしまう人は、都市型の生活に適応がいいはずである。逆に個人空間しか存在しないのに近い人は、田舎暮らしが合うと思う。いわゆる方向オンチの一部は、共有空間の概念が弱い人を含むに違いない。 …
P125~126
私は、退職後9か月余り、一日の大半をプレハブ(右下写真)及びその周り〈所有地:ブログでは、木立という表現をしています〉で過ごしてきました。
養老氏のいう『個人空間しか存在しないのに近い人』です。
方向オンチな面もあり、田舎暮らしが合っているとも思っています。
今思うと、退職時に再び仕事をすることを希望しなかったのも、 ” 意識 ” が強く支配する職場〈共有空間〉にいることが苦手だったからかもしれません。
※ 職場を悪く言っているのではありません。
かつて仕事に関係したみなさんには今でも感謝しております。
すみません。
著書全体を通してまとめて書くべきところを、一部分だけ抜き出して、勝手に自分のことに当てはめてしまいました。
もちろん、養老氏は、世の中全体の将来のことをお考えになり、 ” 意識 ” と ” 感覚 ” について深く思索をめぐらし、本をお書きになっています。
… 意識自体も確実に定義されているわけではない … P164
… できることは、意識がいかなるものか、それを理解することである … P179
みなさんも、ぜひお読みになってください。