一日が早いですな

8本の杭を打ち終わる

朝の8時前に菜園横にある物置に行きました。

そう、本の整理をするためにです。

整理というより、処分と言った方が当たっているかな。

一昨日より続けて通っているので、今日で3日目となりました。

※ 一昨日の本の整理については、前々回のブログ記事をご覧ください。

 

今日の作業は午前中で終わったけど、この3日間で1,500冊ほどの本を処分しましたわ。

中でも、百科事典の大きくて重たいことと言ったら … 。

全18巻の立派なもので、40年以上も前に買ったときはさぞかし高価だったでしょうな。
〈父が買いました〉

が、実際は家族の誰もがほとんど読まず、応接間に並べるわけでもなく、ただ物置に置いてあっただけ。

… もう、モッタイナイを通り越していますな。 …

涙を呑んで処分場に持って行きましたわ。〈父には黙って〉

※ きょうびはネットで調べた方が早くて便利ですからな。
今回の本のかなりの数の処分は、ネットの普及だけでなく、震災で保管しておく余裕がなくなったことも影響しています。

 

午後は、イチゴ畑に防獣・防鳥ネットを施すための準備に取りかかりました。

まず草むしりをし、その後にネットを張るための支柱の間隔を計測して〈支柱を結わえるための〉鉄杭を打っていきました。

8本の杭を打ち終わると、もう〈午後〉5時半を過ぎていましたわ。(右上写真)

 

一日が早いですな。

長い間ホントにありがとう

本日処分した本〈菜園横物置にて〉

終日雨。

午前中はプレハブ内の整頓をし、午後は菜園〈木立から車で7~8分の距離〉の物置に行って本の整理をしました。

先日整理した『ラジオ深夜便:月刊誌』はもらい手があったけど、今回のは無さそうですな。

  先日整理した『ラジオ深夜便:月刊誌』については、前々回のブログ記事をご覧ください。

 

本や音楽の好みについては、夫婦と言えども、親子と言えども、なかなか合わんもんですなあ。

古本屋さんに出す手もあるけど、今は震災の影響で本を出す人が多いらしく、受け取ってくれないんですわ。

資源ごみの処理場に持って行くしかないですな。

 

もう読まないだろうなと思われる本を本棚から抜き出し、30~40冊を一束にひもで括っていきました。

抜き出して表紙を一瞥する毎に、その本を手に入れたときや読んだときのことが懐かしく思い出されました。
〈中には思い出せないものもいくつかありましたが〉

本に関しては、楽しい思い出ばかりですわ。

できれば死ぬまでそばに置いておきたいけど、残された者が迷惑しますわな。

 

4時間ほどの作業で17束括りました。(右上写真)

冊数にすると、500を超えているでしょうな。

若い頃からのものもかなりあり、心の糧となって今日まで私を支えてくれました。

… 長い間、ホントにありがとう …

 

まだ、処分すべき本がかなり残っているんですわ。

もらい手があってホントによかった

家に残してあった『ラジオ深夜便〈月刊誌〉』

〈元日の〉地震により家が若干傾きました。

※ 役所より『準半壊』の判定を受けております。

地震から4か月近くが経とうとしていますが、いまだに後片付けをしている始末です。

 

出てきましたわ、200冊近くの『ラジオ深夜便〈月刊誌〉:NHK財団出版』が … 。

過去14~15年にわたって定期購読していました。

両親は隅から隅まで読んでいるのですが、私はほんの一部分しか読んでおりません。
〈妻はあまり関心がないよう〉

で、何年先になるかわからないけど、木立の手入れが一段落したらじっくり読むつもりで家に残してありました。(右上写真)
〈文字が大きいので読みやすいんですわ〉

… が、今回の地震のために家に置いておく余裕がなくなってしまいました。

 

資源ごみに出そうとしていた矢先、折よく欲しいという人〈80歳くらいのおばあちゃん〉が現れてくれました。

彼女は車の運転ができなく、自転車で何回か往復して運ぶと言ったのですが … 、

本は重いですからな。

ましてや200冊近くとなると、たいへんですわ。

すぐに彼女の自宅まで持って行きました。
〈お礼にと立派なタケノコをいただきました〉

もらい手があってホントによかった … とにかく一件落着!

 

【追伸】

ネットのつながりが相変わらずよくないですな。

当ブログ記事も、ネットのつながり具合がよいときを見計らって書いている次第です。

クーリングオフの期限は明後日 … 。

いまだにどうしようかと迷っている有様です。

今後、ブログ記事が途絶えるようなことがあったら、クーリングオフをしたんだなと思ってください。

申し訳ない。

ケチケチ作戦でジャガイモ植えを終了

切り分けた種芋

〈午前〉10時過ぎに災害ごみ出しに行きました。

混んでて30分ほど待ちましたわ。

期限が迫っているのでみなさん焦っているようです。

※ 順番待ちの車の荷台に積んである物を見るに、冠婚葬祭に備えて寝具や御膳などを溜め込んであったんでしょうな。
それが、今回の地震のために、それらを納めてあった建物もろとも使い物にならなくなったという感じですわ。

 

午後は、天気が何とか持ちそうだったのでジャガイモを植えることに。

耕運機で畑を耕した後、6mに渡って深さ15㎝ほどの溝を、80㎝の間隔をとって2本掘りました。

そして、そこに元肥として鶏糞、菜種粕、888〈化学肥料〉を入れました。

少し土を被せた後、40㎝間隔で種芋を植えていき、最後にまた土を被せました。

 

種芋についてですが、災害ごみを出した帰りにホームセンターに寄って買ってきました。

品種は男爵で、網袋に十個余りが入ったものを一袋〈税込みで350円ほど〉買いました。

木立に戻り、いざ袋を開けてみると種芋の数は13個。

畑に植えるのは30個なので、買った13個の種芋を切り分けて30個にしなければなりません。

それも ” 芽 ” の出る箇所が必ずあるようにして … 。

もともとがそれほど大きくない種芋 … 切り分けるのに苦労しましたわ。(右上写真)

 

ということで、ケチケチ作戦で何とかジャガイモ植えを終了。

今後の私の部屋

部屋の仕切り

ようやく足の踏み場ができました。

※ 足の踏み場ができたことについては、前回のブログ記事をご覧ください。

作業スペースができたので、部屋を分けてあった仕切り(右写真)を取り払うことに。

 

… 仕切りについて …

今から20年以上も前の話です。

小学校の高学年にさしかかろうとしていた娘が、「兄たちに部屋があるのにどうして自分だけないのか」と言い出したのです。

ごもっともですわな。

が、家中どこを探しても空き部屋がなく、増築する経済的余裕もない … 。

当時私たち夫婦は、娘といっしょに自宅にくっ付いている車庫の2階に寝起きをしていました。

中学生の兄たちは自宅の2階に、両親は1階に寝起きをしていました。

いろいろ考えた末、私たち夫婦が寝起きしていた部屋に隣接する物置〈ここも車庫の2階になります〉を娘の部屋にすることに。

そこは普通の部屋と比べて天井が若干低いといえど、12畳の広さがありました。

置いてあったものを移動させたり処分したりし、仕切りをこしらえて8畳分を娘の部屋としました。

4㎝の角材を支柱とし、ベニヤ板を貼っただけの簡単な仕切り(右上写真)です。
〈娘の部屋側は化粧したベニヤ板を使いました。〉
〈窓用エアコンやドアの取り付けなど、すべて日曜大工でしました。〉

 

当時を懐かしく思い出しながら仕切りを取り払いました。

今後は私の部屋となります。