今日一日がサンタさんからの贈り物でした

2019 12.25 木立前で

2019年12月25日

・6:50
プレハブに到着。

・7:00~8:20
朝刊を読む。

・8:20~9:00
ブログ記事の下書きをチェックし、投稿。

・9:00~9:40
木立〈約5,000㎡〉をひと回りする。

・9:40~12:20
本を読む。
〈時折、窓外の景色や薪の炎で目を休めながら〉

・12:20~13:00
昼食〈パン1個,みかん1個,牛乳200㏄〉
※ 午前中間食したので、いつもより少なめの昼食

・13:00~13:40
午前中読んだ本がまだ途中だったので、最後まで読む。

・13:40~16:40
外に出る。(右上写真)
① 先日薪割りをしたときに剥がれた杉の皮を束ねて薪棚に積む。
〈乾いたら細かくしてストーブの焚き付けに使う予定〉
② 木立から枯れた杉の葉と小枝を拾って来る。
〈これまたストーブの焚き付けに使う予定
③ 野外焼却の準備をする。
〈明日焼却予定〉

・16:40
プレハブに入って薪ストーブを点ける。
今日を振り返ってブログ記事にまとめる。
〈いま書いている最中 … 時刻は17:30〉
あと30分ほどで書き終わり、その後は軽い運動などをして帰宅の予定。
〈いつも自宅に向かうのはだいたい19:20〉

以上、今日はほぼ100%自分の思うがままの一日になりそうです。

まさにサンタさんからの贈り物ですね。

年賀状作成時にしばし過去を回想する

昨日買った年賀状

昨日年賀状を買いました。

1枚63円でした。(右写真)
〈上がったんでしたね〉

晩に妻からパソコンとプリンターの操作の仕方を教えてもらいました。

※ 年賀状作成は妻の方がずっと上手です。
毎年教えてもらい、そのときは覚えるのですが、1年経つと忘れてしまうのです。〈ゴメンナサイ〉

今朝9時過ぎから、年賀状作成に取りかかりました。

裏面〈新年のあいさつ等〉につきましては、すでに妻が作成してありましたので、そのまま増刷するだけで済みました。

次に、表面〈宛先〉を書こうと、確認のために、ひと月ほど前から届いていた欠礼葉書に目を通していると、

亡くなったかつての上司のものもあり、いろいろお世話になった当時のことがまぶたに浮かんできました。
〈葉書は奥様の名前で送られていました〉
また、いっしょに仕事をした同僚の連れ合いが亡くなったというのもありました。
その同僚は、休日に、二人の子ども〈当時は二人とも小学生〉を職場に連れて来て仕事をしていたこともありました。
何とも言いようのない気持ちになりました。
… … … 等々、

あれこれ思い出すこと多々あり、表面〈宛先〉を書き終わった〈印刷し終わった〉のは正午近くでした。

最後に、それらの年賀状を再度チェックし、近くの郵便局に持って行きました。

今回の年賀状作成は、しばし過去を回想する時間ともなりました。

もう木立ではないけれどそのように言います

「こりゃもう木立と言わんわ。」 でも、これからも ” 木立 ” と言っていきます。

近所の人がやって来ました。

竹チップが欲しいとのこと。

で、竹チップを積み上げてあるところまで案内しようと木立に足を踏み入れると、

「あんた、木立の中に積み上げてあるて言うたけど、どこが木立や。 … … やー、むかしと違て〈違って〉日も射すようになって明るなったな。 ほんとにすっきりしたわ。 孟宗竹全部伐ってしもうたこともえらい影響しとるな … 。 こりゃもう木立と言わんわ。 … こんなに広なって〈広くなって〉。」

と、竹チップよりむしろ木立のあまりの様変わりにびっくりした様子でした。

※ その人は、かつての〈ジャングル状態で足の踏み場もないような〉木立のことをよく知っています。

で、その人は、竹チップを確認すると、後日改めて取りに来ると言って帰って行きました。

 

「こりゃもう木立と言わんわ。」と言われたのが引っかかりました。

私自身、今でもブログ記事でしょっちゅう ” 木立 ” という言葉を使っているからです。

木や竹を次から次へと伐採していくうちに、
いつの間にか、 ” 木立 ” と言えないような状態になってしまったのかもしれません。(右上写真)

… … …

でも、それ以外にぴったりくる言葉が見つかりませんので、これからも ” 木立 ” と言っていきたいと思っています。

穏やかな冬至の日となりました

先日割った薪を仮の薪棚に積み上げました

雨も上がりました。

先日割った薪が、作業小屋前にそのままになっていましたので、仮の薪棚に積み上げました。(右写真)

〈午前〉9時半ごろから積み始め、終わったのは〈午後〉3時半ごろでした。
〈途中昼食及び休憩をとっています〉

以前、雑に積んで棚が崩れてしまったことがありましたので、今回はていねいに積みました。

このままずっと来年の秋まで積んでおき、〈来年の〉ストーブの時期になったら薪として使う予定です。

※ 丸太をただ割っただけでは薪にはなりません。
夏の一番暑いとき〈7,8,9月〉の日光で乾かさなければなりません。
遅くとも6月いっぱいに割り終えて積んでおくのが理想です。
〈私の場合、今の方が時間的に余裕がありますので〉

薪を積み終わった後、薪ストーブの煙突掃除をしました。

そして、それが終わった頃にはもう辺りは薄暗くなっていました。

で、今、プレハブの中でこのブログ記事を書いています。

煙突掃除直後のクリアーな薪のはぜる音を聞きながら書いています。

時折見る薪の炎もとても鮮やかです。

 

これを書き終わると、あとは自宅に戻るだけ … 。

… 夕食にはカボチャ …
… お風呂は柚子湯 …

今日は、日射しはないものの雨が降る心配もなく、また、風もなく、暖かい年の瀬の一日でした。

穏やかな冬至の日となりました。

【孤独:榎本博明著】を読む

【孤独】榎本博明著:クロスメディア・パブリッシング

【孤独】榎本博明著:クロスメディア・パブリッシング(右写真)を読み、印象に残ったくだりを紹介します。


… 大切なのは、何もしなくてもよい時間を持つことである。何もしないのではなく、しなければならないことに駆り立てられずに、何をするかは自分で自由に決められる。そんな時間を持つことだ。刺激に反応するばかりでなく、自分で刺激を生み出す習慣を持つようにすることを意識するようにしたい。 … P154


… 時間というのは、節約するものではなく充実させるものである。効率などといったことは考えずに、その瞬間に没頭し、密度を濃くすることで豊かにすべきものではないだろうか。
時を忘れるくらいに何かに没頭することが、時間を充実させ、すがすがしい思いにさせてくれる。そのような過ごし方をすることが、思索に深みを与え、創造的発想の源になる。 … P186


… 曖昧さへの耐性という心の性質が創造的な心にとって大切だといわれるのも、曖昧さに耐えられない人は、無理やりにでも既存の見方を当てはめてわかったつもりになるからだ。それでは新たな気づきが得られない。
何だかわからない混沌に身を任せて漂う心。すぐに既存の見方を当てはめて納得しようなどとしない心。そんな心の状態を保っていると、曖昧模糊としたものから何かが見えてくる。それが新たな気づきにつながる。 … P190


… 大切なのは、「ムダ=悪」という発想を捨てることだ。
結果としてムダになるかもしれないことでも、道草気分で積極的に楽しんでしまう心の余裕を持つことである。
目的地に向かって一目散に急ごうとする大人は、道端のものにいちいち興味を示して直線的に進んでくれない子どもにイライラするかもしれない。そこには時間がもったいないといった意識があるはずだが、本当にもったいない時間の使い方をしているのはどっちだろうか。 …   P194

今回は、4つのくだりを紹介しました。

①については、定年退職してからできるようになりました。

②~④については、意識しつつもいまだにできていない面が多々あります。

本ブログのテーマである ” 無所属の時間 ”
過ごし方にまだまだ改善の余地がありそうです。