【「生きる」という贅沢:淀川長治著】を読む

【「生きる」という贅沢】淀川長治著:日本経済新聞社

5日連続の雨天で、またまた今日も読書 … 、

【「生きる」という贅沢】淀川長治著:日本経済新聞社(右写真)を読みました。

印象に残ったくだりを紹介します。

… 私は家には内緒で、東京の「映画世界」編集部ではたらいていた。よくはたらいた、と言うより、とてもうれしがってはたらいた。右も映画、左も映画、はたらいていることすべてが映画だった。こんな幸福なことはないと毎日が感激だった。 … P69

… 毎日のように映画を編集室で語り合えることがうれしかった。誰ひとり夜6時ごろかえる者はなく、8時、9時まで遊んでいるかのような楽しい仕事だった。 … P70

… 私ひとりで両親をみるという苦しさ。それなのに映画会社につとめていることで極楽がいっしょにある思い、それも80パアセントが極楽くらいの楽しさ。 … P99

… もう私も89歳が目のまえに迫ってきた。 … … 思えばテレビというものが生まれ、私でさえもひっぱり出されて「ララミー牧場」、つづいて「日曜洋画劇場」をお受け持ちし、「日曜洋画劇場」はもうこれで30年をこえている。それなのに今夜録画(撮影)するという日は気がひきしまり、心配だ。しかしこれが老いをふせぐのかもしれぬ。 … P165

… … 月ばかりでない。きらめく星も、そして夜が明けて真赤な火のかたまりのように昇ってくる太陽も「あーッ、きれい」と見とれてしまう。生きていてよかった。この胸ドキドキ出来る嬉しさの持てることは! … P200

 

40数年前、日曜洋画劇場をよく見ていました。

そのときに、著者〈淀川氏〉が、わかりやすく、しかもおもしろく映画解説をなされていたのを思い出します。

今回、氏の本を読み、

『好きこそ物の上手なれ』を地で行った人なんだと、改めて思いました。

また、本のタイトルも、氏の人生観そのものと感じました。

読んだこちらの方も、なんだか嬉しくなりました。

では、

… サヨナラ,サヨナラ,サヨナラ …

【「閑」のある生き方:中野孝次著】を読む

【「閑」のある生き方】中野孝次著:新潮文庫

4日連続の雨天で、今日も読書 … 、

【「閑」のある生活】中野孝次著:新潮文庫(右写真)を読みました。

印象に残ったくだりを紹介します。

… 心を空〈から〉にして、鳥が鳴いたら鳥の声に耳をすまし、風が吹いたら風の行方を見る。そういうお金で買えない大きな世界がこの世にはある。 … P45

… そういう人口刺激物〈テレビ、ラジオ、パソコン、ケータイなど〉と四六時中かかわっていては、人は到底心の声、自然の声を聴くことができないと、君は知るべきだ。それなしでは心が空虚で、空虚な自分と向き合うのがこわさにすぐまたそれに戻るのだろうけれども、そんなことをしていては人は一生涯自分というものを受け入れることがないだろう。 … P74~75

… 僕は今年78歳になった。いかに平均寿命とやらが上がった現代でも、これはかなりの老齢といっていいだろうが、その長い一生を思い返してみて、ほんとうにいま自分のものとして残っているのは、若い時から好きで、これに生涯をかけようと思ったものだけであることに気づく。他のことは全部消滅した。 … P110

… 僕は年をとってからは新刊書はほとんど読まず、何よりも古今東西の定評ある古典が面白くなってそればかり読んでいる。あれやこれやに手をのばすより、ごく僅かの本を何度も徹底して読む方が、読書内容も濃く、言葉が心の中に根づく。自分の体験からこのことは自信をもって言える。 … P112

… 老子は「道〈タオ〉」といい、セネカは「自然」といい、趙州〈唐の禅僧〉や大梅〈唐の禅僧〉は「仏」といい、エピクテートスは「神」といい、名付け方は人それぞれにちがうが、永遠なる命を指すことでは同じだ。 … P141

… 人間が生きること、いかにしたらよく生きるかについて、また宇宙自然のこと、全世界の人間の営みのこと、社会のことについて、人が物事の根本から考えるのに一番役に立つのは読書だと僕は断言できる。 … P194

本書は、著者が最期を迎える直前に書かれたものです。

著者はそのことを予期していたのか定かではありませんが、文章の至るところ心に迫ってくるものが感じられました。

で、私は、読者への遺言とも受け取りました。

【神谷美恵子聖なる声:宮原安春著】を読む

【神谷美恵子 聖なる声】宮原安春著:講談社

雨天続きで屋外作業ができませんので、ずっと読書をしています。

今日も神谷美恵子氏に関する本を読みました。

印象に残ったくだりを紹介します。

… … 精神分析の言葉に昇華(サブリメイション)という言葉がありますが、これは充たされぬ欲求をさらに高い形におきかえてこれを満足させるということを意味しております。〈長島〉愛生園において熱心で純粋な信仰生活が営まれ、美しい詩や深い思索が生まれ、隣人への愛情に充ちた行為が行われるのは、皆この昇華の例でもあると言えましょう。これは外部から来る私どもが深く打たれずにいられないところです … P185

… シューベルトのリートを口ずさみながら、ひとり山の小径を歩いていると、25年前、信州の高原でひとり療養していたころのような気がしてくる。天地の中にただひとり置かれ、自分もまた大地に生える草のひとつのように感じたあの頃と寸分もちがわない自分をみいだすのはふしぎではないか。四半世紀という歴史的時間。その間の生理的・社会的変動も、人間の精神の深奥に対しては、根本的に何の変化ももたらさないとは … P187

… 同じ条件のなかにいても、ある人は生きがいが感じられなくて悩み、ある人は生きる喜びにあふれている。このちがいはどこから来るのであろうか。性格の問題だとか、生活史や心の持ち方のちがいだとか、対人関係や社会生活のしくみを変えればだれでも生きがいを感じるようになるはずだなどと、いろいろ答は出されるであろう。ぞのひとつひとつに一面の真理があるにちがいないが、生きがいという大きな問題はあまりあっさり片付けてすむものではなさそうである … P196

3日続けての神谷美恵子氏に関する本で、

通訳よりも、翻訳家よりも、大学教授よりも、精神科医よりも、

一人の求道者を見たような思いです。

【生きがいの育て方:神谷美恵子東京研究会著】を読む

【生きがいの育て方】神谷美恵子東京研究会著:文化創作出版

前回、【こころの旅:神谷美恵子著】を読みました。

平易な表現の中にも、重厚さを感じました。

で、今回は、神谷美恵子東京研究会がまとめた【生きがいについて】文化創作出版(右写真)を読みました。

印象に残ったくだりを紹介します。

… 「やりたいからやる」という自発性をともなわないと、ほんとうのよろこびが生まれない。 … P45

… 万人がうらやむような高い地位にのぼっても、ありあまる富を所有しても、スター的存在になれるほどの美貌や才能を持っても、本人の心の中で生きるよろこびが感じられなければ、生きがいを持っているとはいえないわけです。現に私は、上に言ったような、はれやかなものを全部持っていながら、生きがいがなくて、ノイローゼになった患者さんを何年かにわたって診療したことがあります。 … P94

… よく発達した精神能力というのは、自分を見つめる反省能力を特徴とする。 … P199

… 暇というものはなくても困りますが、ありすぎると「退屈病」をおこしますし、これを善用することは難しく、かえって生きがいの喪失をひきおこすことになります。 … P200

… 変化や発展というものは、たえず旅行や探検に出たり、新しい流行を追ったりしなくてはえられないものであろうか。決してそうではない。 … … わざわざ外面的に変化の多い生活を求めなくても、じっと眺める眼、、こまかく感じとる心さえあれば、一生同じところで静かに暮らしていても、全然退屈しないでいられる。 … P201

今回は、5つのくだりを紹介しました。

最後のくだり〈P201〉が気になりました。

私は、定年退職後の2年9か月、ほとんど毎日の日中を、木立の中〈約5,000㎡〉で過ごしています。
新しい流行を追うこともなく、旅行や探検にも出ません。

※ 〈経済面、体力面等の〉事情が許す限り、今の生活を続けるつもりでいます。

で、それはそれでよいのですが、

” じっと眺める眼 ” ” 細かく感じとる心 ”

が、自分に備わっているのか気になったという次第です。

… … … 備えていきます。

【こころの旅:神谷美恵子著】を読む

【こころの旅】神谷美恵子著:日本評論社

【こころの旅】神谷美恵子著:日本評論社(右写真)を読んで印象に残ったくだりを紹介します。

① … 自発性によって独学能力と思考能力を身につけることが、一生のこころの旅をゆたかにするもっとも大切な鍵であろう。どこにおかれても一生ひとりで学びつづけられる人をつくるのが学校教育の目的であるとさえ私は思う。 … P78

② … 青年の多くは一時的に芸術家になるといえよう。この審美的傾向を人間が一生持ち続けられるならば「生きがい」の強敵の一つである「退屈病」からまぬがれることができるのに、どうもこれは例外に属することらしい。中年になると大部分の者は現実に密着する傾向がある。 … P102~103

③ … … 「自分は何ものであるか、自分はどこにどう立ち、これからどういう役割と目標にむかって歩いて行こうとするのか」をみきわめなくてはならないという。アイデンティティとは訳しにくいことばで自己同一性などと訳されてもあまりピンと来ないが、その意味する内容は上のカギかっこの中にある。  P108~109

④ … 生まれた以上、育てられた以上、自分に与えられた時間を精一杯生きてきた。その時間をできるだけ充実させ、他の人々も手をたずさえて、なるべく「よく」生きようとは努めてきた。しかし、自分の一生には多くの「若気の至り」やあやまちや、「もっとよくできたはず」のこともあるだろう。 … … 自分こそ、自分の一生が決して完全無欠なものではないことを知っている。 … … それにもかかわらず、今まで人間として生きることを許され、多くの力や人によって生かされてきた。生きる苦しみもあったが、また美しい自然やすぐれた人びとに出会うよろこびも味わわされた。そしてこれからも死ぬときまで許され、支えられて行くのだろう。 … P177

上記
①について
同感です。退職してからとくにそのことを強く感じました。
②について
審美的傾向を持っていれば、人生が彩られ、また、いっそう潤うようにも思います。
③について
アイデンティティ確立については、本の中では、思春期特有の課題として取り上げられていますが、
… 私の場合、定年退職後から今日に至るまでの課題でもあります。
④について
〈おこがましいのですが〉私もそのように思っています。
癒されました。ありがとうございます。

定年退職前後に、定年に関する本を数十冊読みました。

最初に【こころの旅】を読んでいれば、それらへの理解がより深まったように思われます。