悪天候でしたので、読書をしました。
【金島書】を読みました。
※ 【金島書】:世阿弥の佐渡に島流しになってからの著書。
読むに至った経緯につきましては、2.9付及び2.11付のブログ記事をご覧ください。
はじめは、ネットからプリントアウトしたものを読んでいました。
… が、古文の横書きは読みづらいというか、親しみにくいというか。
〈古文の読解力に欠けることも大いに手伝っています〉
で、近くの公立図書館に行きましたが、見当たりませんでした。
帰りに菜園横の物置の本棚をのぞき、白洲正子氏のいくつかの著書のページをめくっていると … 、
なんと、縦書きの【金島書】があるではありませんか。
氏の随筆【風姿抄】:世界文化社(右上写真)の最後に参考資料として載っていました。
やはり縦書きの古文は読みやすいというか、親しみやすいですね。
… 〈現代語訳がないので〉自己流の読み方になりましたが …
子ども〈元雅〉を亡くしたり、あるいはもう一人の子ども〈元能〉に去られたり、そして、自分は島流しに遭ったりしているにもかかわらず、
” 暗さ ” ” 恨み ” のようなものはなく、
日々を淡々と、むしろ楽しんで生活しているようにも感じられました。
豊かな教養と幼いときから能を通して培った揺るぎない精神と身体、
それらがバックボーンとしてあるからかな、とも思った次第です。
最後に、【風姿抄】から印象に残ったくだりを紹介します。
… 私の知るかぎりでは、研究家の間ではほとんど取り上げられていませんが、少なくとも文面の上からわかる世阿弥は、それほどみじめな境遇にあったとは思われず、浮世の塵を逃れて、配所での生活を喜んでいたように見えなくもありません。 … P142
… 佐渡での生活はわかっていなくても、文章のはしはしになんとなく読みとれるものはあるのです。肩肘はらずに書いたものだけに、却ってそうしたところに世阿弥の最晩年の心境とか、大げさにいえば能の本質に至るまでが、無意識のうちに表れているのではないでしょうか。 … P143