【白道】瀬戸内寂聴著:講談社(右写真)を読み終え、印象に残ったくだりを紹介します。
… すべてをなげうち、捨てても、捨てても、最後まで捨てることが出来ず西行に残った煩悩が、歌への執着であり、仏の真の救いを得たいという悲願であった。歌への執着と、仏道をきわめたいという悲願の執着とが、七十二歳の西行の中では、ついにひとつにとけあってしまい、はじめて自分の歌の中に秘密の真言と摩訶不思議の仏の妙智力を感得したのではあるまいか。それが西行の悟りでなくて何であろう。
… P125~126
… 孤独な庵の生活の中では自然の推移を見つめる眼でわが心の中と自分自身の姿を凝視するしかない。自然が刻々に移り変わっていくように、自分の老いも絶え間なく自分を蝕んでいる。
… P176
… それでも人は誰でもこの世の快楽に執着し、その日食べられぬ貧しい人々でさえ、一日でも半日でもこの苦しい娑婆にしがみついて生きのびたいと思う。あらゆる宗祖が死を見つめよと教え、この世のはかなさをつきつけ、死の淵に立っている足許のもろさを指さしても、人々の目は死をかかえこんだ自分の肉体を信じようとはしなかった。
… P210
… 思えば、七十年の生涯、一筋に追い求めてきたものは外でもない。世界にただひとつのわが心、わが思いの真実であったのだ。捕えたと思った瞬間、するりと指からすべり抜けているわが思い、わが心の実体は、終に自分にはわからぬまま終わりそうな気がする。 … … 七十年生きて、わが心ひとつがついに捕えきれないということを、わが心がようやく悟った。それが自分が歌に賭けた答えだったのだ。
… P357
著者〈瀬戸内氏〉自身の身に照らし合わせて書かれているのでは?
で、紹介した〈上記の〉くだりにしても、西行や宗祖を通して氏の思いが語られているようにも読めました。
… 七十年生きて、わが心ひとつがついにとらえきれない …
これは西行もそうだったし、瀬戸内氏もそうだったし、
私〈現在63歳〉がその歳まで生きていても、そうだろうと思います。
でも、そのとらえどころのない心を何とかしたくて、みなさん行動に移されるんでしょうね。
西行は出家をして、歌を詠みました。
瀬戸内氏も出家をして、本をお書きにまりました。
〈たいへんおこがましいのですが〉
私は、木立で無所属の時間を過ごして、ブログ記事を書いています。