よく見ると新たに出てきたナメコでした

新たに出てきたナメコ

木立回りをしていると、冬の殺風景な地面に小さな茶色のてかてかなものが … ?

よく見ると、新たに出てきたナメコでした。(右写真)

※ ナメコは昨年の11月が最盛期でした。
そのときの様子については、2020.11.23付ブログ記事『全部もろうてくれてありがとう』をご覧ください。
で、それ以降パッタリ出なくなり、収穫期が終わったものと思っていました。
実際、一昨年がそうでした。
いっぺんに全部出てそれで終わり、という具合でした。

 

最盛期が終わってからひと月半が過ぎています。

その間、何の音沙汰もありませんでした。

それがなんで今頃に? という感じです。

【私の憶測】
昨年は例年に比べ、とても雨の少ない秋でした。
で、水分が足りなかったために〈ナメコが〉出尽くすことができなかったのでは、と思われます。
が、12月10日頃から一転して雨天〈含 雪〉の日が続くようになり、出るに出られなかったものが充分に水分を得たがために出ることができた、と考えられます。

 

〈ナメコが〉出てきたといっても、20本ほどある原木のうちの2本からだけです。

それも全面からではなく、ごく一部からです。

量でいうと、私ひとりで食べても2食分でしょうか。

でも、うれしい限りです。

さっそく昼の焼きそばに入れました。

味、食感、焼きそばとの相性、どれをとっても ! ですな。

なるようにしかならんのかのお

伐採跡地で

積雪が減りましたので、木立をひと回りしました。

木立回りは昨年の大晦日以来です。

ちょうど伐採跡地にさしかかったとき、雲間から日が差し、雪面がまぶしいくらいでした。(右写真)

 

プレハブに戻り、ストーブの傍に腰を降ろすと、ふと町会長さんとの話を思い出しました。

※ 午前中に町会長さんが訪ねて来ました。
近く予定されている行事の打ち合わせをしました。
で、それが終わると雑談になり、先日の神社での出来事から集落の構成員の高齢化が話題になりました。
神社での出来事につきましては、前々回のブログ記事『そう遠くない将来の自分の姿』をご覧ください。

 

【雑談から】

「一昨日、お宮さんに参拝にいらした〈独り暮らしの〉おばあちゃん、たいへんそうでしたね。」

町会長さん
「… そりゃー 、雪ん〈の〉中、たいへんやったと思うわ。 … 集落の一員としての責任感が強いんやろな。 … 無理せんでもええと言うとくわ … 。」

その後、私の父のこと、近所のおばあちゃんの灯油タンクの件〈前々回のブログ記事参照〉について話すと、

町会長さん

「… 他人事でないわ。 … あんたもわしも、子ども〈家に〉戻って来ん〈来ない〉みたいし、 … 他にも、よう似たウチ〈家〉、集落にいっぱいあるわ。 … いずれは年寄りばっかりになりそうや。 … … なるようにしかならんのかのお … 。」

【人は成熟するにつれて若くなる】ヘッセ著 を読む

【人は成熟するにつれて若くなる】V・ミヒェルス編・岡田朝雄訳:草思社

【人は成熟するにつれて若くなる】V・ミヒェルス編・岡田朝雄訳:草思社(右写真)を再読しました。

印象に残ったくだりを紹介します。

 

… 成熟するにつれて人はますます若くなる。すべての人に当てはまるとはいえないけれど、私の場合はとにかくその通りなのだ。私は自分の少年時代の生活感情を心の底にずっともち続けてきたし、私が成人になり、老人になることをいつも一種の喜劇と感じていたからである。 … P65

… 私の言っているような体験をするためには、やはり高齢であることが必要である。数知れないほどたくさんの見てきたものや、経験したことや、考えたことや、感じたことや、苦しんだことが必要なのだ。自然のひとつのささやかな啓示の中に、神を、精霊を、秘密を、対立するものの一致を、偉大な全一なるものを感じるためには、生の衝動のある種の希薄化、一種の衰弱と死への接近が必要なのである。 … P70

… 年老いてしまった者にとっては、もしも彼が何ひとつ目的となるものを見いださず、何ひとつ自分と自分の不安を超えるもの、絶対的なもの、あるいは彼がそれに仕え、それに仕えることだけが自分の人生に意義を与えるような神的なものを見いださなかった場合は、探求は迷い道であり、人生は失敗であったことになる。 … P91

 

20年ほど前に一度読んでいます。

今回改めて読み、ヘッセの人生に対する積極的な姿勢、人々への公正な視線などをいっそう知るところとなりました。

本著書に載せられているエッセイ等は、大半が、ヘッセが70歳を過ぎてから書かれたものです。

とくに私たち〈高齢者〉にとって、生きていく上で指針となる点が、多々あるように思っています。

そう遠くない将来の自分の姿

集落の神社で … 新年を祝う行事

昨晩、父曰く、

「明日雪かきしてほしいんや。 … 今まで〈家の〉玄関前だけは自分の仕事やと思うてずっと雪かきしてきたけど、今回は腰が痛て〈痛くて〉できんのや。」

※ 玄関前はそれほど広くないのですが … やはり歳なんでしょうな。
今までほんとうによくしてくれました。
もちろん今朝私のほうで雪かきをしました。

 

〈午前〉9時頃、プレハブの近くに住んでいる独り暮らしのおばあちゃん〈80半ば?〉が訪ねて来ました。

手に持っている灯油ストーブのタンクを私に見せながら、

「〇〇さん〈私のこと〉、灯油ストーブ買うたのはよかったけど、タンクのふたの開け方がわからんのや。 … どうすれば開くんかのお … 。」

ネジ式のふたではなく、つまみを引っぱって開ける方式のものでした。

実際に開けて見せ、おばあちゃんにも同じことを2回してもらうと納得して帰って行きました。

 

午後集落の神社の正月行事があり、始まる直前のことでした。(右上写真)

参加者が祭壇に向かって静かにしていると、後ろの方で音がしました。

振り向くと、おばあちゃん〈独り暮らしで80過ぎ?〉が入ってきたところでした。

集落の一員として参加しなければならない、という強い気持ちから雪の中をてくてく歩いてきたようでした。

 

父を含めた3人の高齢者の姿が、

そう遠くない将来の自分の姿に見えました。

いよいよ2021年がスタート

プレハブの窓から 2021 1.1

2021年

明けましておめでとうございます。

 

元日といえども、いつものごとくプレハブにおります。(右写真)

※ 先ほど自宅に年賀状を取りに戻ったのですが、まだ来ていませんでした。
で、再びプレハブに戻った次第です。
子どもたちが一人立ちしてから〈家にいなくなってから〉、おせち料理は夕飯時にいただいています。
〈その子どもたちも、今回はコロナのために帰省していません〉

※ 20年来、元日は、キオスクから全国紙〈読売、朝日、毎日、産経〉を買ってきて読んでいました。
が、今年から止めました。
日経については定期購読していました。
が、それも昨年の3月で止めました。
” 社会の木鐸 ” はどこへ行ってしまったのでしょうか。

 

で、朝から立て続けにユーチューブの番組を見ていました。

そこでは、独自の問題意識を持ち、それを徹底的に追求されている方が多く見られます。

思いや考えもさることながら、彼らの物事に対する公平な姿勢が視聴者を引き付けているのではないでしょうか。

そのことは、私のようなリタイヤした人間が生きていく上でもとても参考になり、また刺激にもなっています。

 

新年早々、彼らからたくさんの元気をもらいました。

気分爽快です。

今年も木立の手入れに力を入れていきたいと思っています。

ブログ記事のほうもよろしくお願いいたします。