今森光彦氏〈写真家〉の話を聴いて

木立のコシアブラ … 真ん中の棒のような樹です

60歳になって農家になりました。 … 耕作放棄地を手に入れ、そこに生えていた竹を3年間にわたって刈り取りました。 … … 腱鞘炎になり、肩も上がらなくなり、 … … が、5年経った現在は棚田になっています … 。

昨年の5月1日の朝のラジオ放送でした。

※ NHKラジオ番組 ” 明日への言葉 ” 〈FM or第一 4:05AM

いつもなら歯を磨きながら漫然と聞くのに、そのときは、歯磨きを止めて聴き入りました。

 

私が日々細々とやっていることを、彼〈今村光彦氏〉は10倍以上のスケールで実践していました。
〈本業は写真家。切り絵作家としても有名。〉

彼が開墾したところは ” オーレリアンの丘 ” と名付けられ、今ではたくさんの生き物の棲み家になっているとのことでした。
〈ネットで写真を見ましたが、素敵な里山です。〉

 

先日、〈明日への言葉で〉彼の現況が放送されていました。

大きな薪ストーブで暖をとり、その燃料となる薪は、彼の雑木林の手入れで出たものを利用しているとのことでした。

コシアブラも薪にしているそうで、つい私の木立にあるコシアブラと比べてしまいました。(右上写真)

私のところは、背丈2m前後、根元径約4㎝の薪にならないようなものばかり … 

 

これからも今村氏のお話 … 聴かせていただきます。

行く1月・逃げる2月・去る3月かな

青空に映える木々 2021 2.1 10:00AM

はや2月。

時折青空に映える木々を見上げながら、木立を回りました。(右写真)

プレハブに入り、外套を脱いでストーブの傍に座ると、知人がつぶやいていた

・行〈〉く1月〈ちがつ〉
・逃〈〉げる2月〈がつ〉
・去〈〉る3月〈んがつ〉

の言葉がふと頭に浮かびました。

 

昨日、知人が訪ねて来ました。

彼〈知人〉は、5年ほど前に一度定年退職をし、その後も延長してずっと働いています。

が、近々それも終わり、再度の退職となります。
〈以後仕事はしないとのこと〉

「ワシ、この間、仕事でミスをしてしもうたんや。 … 大事に至らんでホッとしたわ。 … 今までそんなこと一回もなかったのにのお。 … 勤めも残りわずかやし、最後の最後まで気を引き締めてやっとるつもりやったのにそんなザマや。 … 気持ちのどっかに弛みがあるんかのお … 。」

「そのような気持ちで仕事をなされていれば大丈夫ですよ。 … オーバーワークじゃないですか? … … 気を張り詰めてばかりいると、燃え尽き症候状態になりますよ。 … 退職しても先が長いから、とにかく健康に気を付けないと。 … 」

 

2時間ほどあれこれ話をすると、冒頭の『行く1月 … … 』をつぶやきながら帰って行きました。

懐かしく思いました。

いずれは彼にもそうなる日が来るんでしょうね。

【部長の大晩年】城山三郎著 を読む

【部長の大晩年】城山三郎著:新潮文庫

【部長の大晩年】城山三郎著:新潮文庫(右写真)を読んで印象に残ったくだりを紹介します。

 

… 第二の人生という言葉も当てはまらない。退職後の人生のほうが長いだけでない。晩年まで一年一年、成長し開花し続けた〈永田〉耕衣。 … P31

… 疎外されたからといって、沈みこんだり引きこもったりしないで、自分なりにできる世界をこつこつ築き続ける―― それが耕衣の生き方であった。 … P63

… 律義さとは何か。簡単な例が、時間厳守、約束厳守である。晩年に至るまで、耕衣は時間を気にしたし、約束時間に現れぬ客に苛立った。 … P121

… 日々の生活では、その正体に応じての衣服をまとうこと。作品の世界に集中するためにも、無用な摩擦は招かぬのがいい――  …
P123

… 退職後の耕衣は、ある意味では四六時中、主役意識で生きている。
いや、主役か脇役かなど全く問題にしないライフ・スタイルだと言ってよいし、「毎日が日曜日」の耕衣にとって、楽しくない時間や不本意に過ごす時間はなかったはずで、 … … P156

… … 最初のうちは、束ねて「雑草」呼ばわりしていたが、やがてカヤツリ草、スベリヒユ、チカラシバなどと名で呼ぶようになり、「除け者にされながら、よくがんばっている」と親しみを持つ。 … P166

※ 『永田耕衣〈ながた こうい〉』(1900~1997):俳人
禅的思想に導かれた独自の俳句理念に基づき句作。また諸芸に通じ書画にも個性を発揮、90歳を超えた最晩年に至るまで旺盛な創作活動を行った。
… ウィキペディアより

 

最近、富に ” 長生きすること自体がリスク ” というようなことが言われている。

それを吹き飛ばしてくれるのが、『永田耕衣』の生きざまである。

上記に紹介した二つ目のくだりに
… 自分なりにできる世界をこつこつ築き続ける …
とあるように

私自身、お迎えが来るまで、体が動く限り木立の手入れに努め、
延いてはそのことが、集落のよりよい景観につながることを願っている。