【思想なんかいらない生活】を読む

【思想なんかいらない生活】勢古浩爾著:ちくま新書

晴耕雨読を地で行くような生活をしております。

さて、【思想なんかいらない生活】勢古浩爾著:ちくま新書(右写真)を読み、印象に残ったくだりを紹介します。

… … わたしはいかなる意味においても「知識人」なんかではない。むしろ存在のあり方としては、完全に非知識人である。
けれども、哀しいことに世間ともなじまない。世間の価値になじんで何の違和も感じないのが大衆だとするなら、わたしはたぶん大衆ではない。世間と根本的には打ち解けることができない。大衆の「明るさ」はわたしにはない。陰鬱である。無口である。わたしはちっとも深刻でも難解でもないのに、世間に対して親和的ではない。世間での当然な振る舞い、世間が求める欲望はわたしのものではない。なぜかはわからない。 … P236

 

先日読んだ森田療法に関する本〈前々回のブログ記事参照〉に、

神経症に陥る主な原因は、

理想と現実の落差を埋めようと頑張り過ぎることにある、というようなことが書かれていました。

ふと「下手に思想を持つと理想も高くなるんだろうな」と思いました。

で、ちょうど手元に【思想なんかいらない生活】というタイトル名の本がありましたので、さっそく読みました。

結論を先に言うと、思想がないことと神経症との因果関係については触れられていませんでした。

 

ただ、上記のくだりを読んだときに私のことを言っているようで、つい紹介した次第です。

※ 勢古氏を私と同列に並べるような物言いをし、たいへんな失礼かなと甚だ恐縮しております。