今後ますます増えるみんなの問題

暴風雨で道路に散乱した杉葉

昨日の朝のことでした。

たまたま雨が止んでいたので、木立をひと回りしました。

木立近くに住んでいるおばあちゃんが、玄関前の杉葉を拾い集めているのを目にしました。

すぐに走って行きました。

「申し訳ありません。 … 雨が上がって道路が乾いたら私の方で掃除しますので … 。」

「いや、たいしたことないですから。 … おたくさんがここ〈木立〉を手入れするようになってから落ち葉がずっと少なくなりましたよ。 … それに日当たりもよくなりましたし … 。」

 

うれしい限りです。

が、ご好意に甘えてばかりもいられません。

〈今日〉ようやく雨が上がりましたので、道路に散乱している杉葉を拾い集めました。

濡れ落ち葉とはよくいったもので、道路に貼り付いてなかなか取れないものもあり、掃除し終わるのに2時間近くかかりました。(右上写真)

一輪車3台分の量でした。

 

【杉葉を拾っていて思う】

幸いにもいま私は元気です。

体も思うように何とか動いてくれます。

で、今回のように木立の木の葉っぱが道路に飛び散ってもすぐに対応できます。

が、体が動かなくなったときのことを思うと。

みなさんに迷惑をかけることは必至です。

実際そのような例が集落にいくつも見受けられます。

場当たり的な対応で何とか凌いでいるのが現状です。

 

今後ますます増えるみんなの問題であるにもかかわらず … 。

薪ストーブの炎を見ながら

愛用の薪ストーブ

今日も悪天候。

11月上~中旬にかけ、5日続けて終日薪ストーブを焚くのは、定年退職5年目にして今回が初めてです。

※ この時期は朝夕だけ焚き、昼は外で作業をするのが通例でした。

 

暖房費を気にせず、暖かいところに長くいられるのはいいものです。

薪ストーブ様様。

灯油ストーブで同程度の暖をとるとなると、灯油代〈とくに今年は高い〉だけで1日1,000円はかかります。

プレハブ〈15畳〉に5日間〈それも半日:約12時間〉いるだけで暖房費5,000円は、年金生活者にとっては高いですな。

といって、寒いのも嫌だし … 。

 

薪ストーブ〈ホンマ製AF-60〉(右上写真)の炎を見ながらつくづく思いました。

8年前にもらい手がなかったジャングル同様の木立〈約0,5ha〉を入手してよかったと。
〈一応代金を払っています〉

薪ストーブを設置してよかったと。
〈幸にも近くに人家なし〉

定年退職と同時に仕事もアルバイトも一切せず、木立の手入れに全エネルギーを注いでよかったと。

 

おかげさまで陰鬱だった木立も明るくなり、見通しもとてもよくなりました。
〈集落のみなさんもそうおっしゃっています〉

木立の手入れは私の性に合っているようで毎日がおもしろく、その過程で出た木を薪にして暖房費を浮かせることもできると思うと、張り合いもいっそう出ます。

日々精進したいと思っています。

悪天候と嘆いてばかりいても

物置小屋の片付けが終わりました

今日も雨。
〈これで4日連続〉

物置小屋の整理整頓をすることにしました。

※ 10月は抜根、伐採と作業に追われ、物置小屋の片付けがおろそかになっていました。
足の置き場もないくらいでした。

 

小屋に入ると寒く〈気温9℃〉、といって、薪ストーブを焚くに焚けない状態。

何しろ間近にごちゃごちゃに物がありますからね。

で、まず、ストーブの周りから片付けました。

30分ほどかかり、ようやくストーブを焚けるまでになりました。

8割方片付けが終わった時点で正午に。

昼食は、〈小屋の中の〉ストーブの横で食べました。
〈本日のメニュー … 焼きカボチャ、インスタントカップそば、牛乳、リンゴ〉

午後2時頃に片付けが終わりました。(右上写真)

 

暗くなるまでにけっこう時間がありましたので、菜園にある物置〈車で7~8分〉の片付けもすることにしました。

行って中に入るとこれまた寒く、すぐに灯油ストーブを点けました。

が、14畳ほどの広さに6畳用のストーブが1台だけですので、一向に暖かくなりませんでした。
〈温かい恰好をして行かなかった自分にも問題がありますな〉

寒い思いをしながらも何とか片付けを終え、帰って来ました。

 

昨日、一昨日はプレハブに籠って本1冊を読了。

そして、今日は2か所の物置の整理整頓を終了。

悪天候と嘆いてばかりいてもしようがないですわな。

【ポーツマスの旗 外相・小村寿太郎】を読む

【ポーツマスの旗 外相・小村寿太郎】吉村昭著:新潮社

3日連続の雨。

今日が最もひどい。

おかげさまと言えばいいのか、【ポーツマスの旗 外相・小村寿太郎】吉村昭著:新潮社(右写真)が読了できました。

 

1905年〈明治38年〉、アメリカ合衆国のポーツマスというところで、

アメリカ大統領、セオドア・ルーズベルトの仲介により、

日本の全権:小村寿太郎とロシアの全権:ウイッテが日露戦争の講和条約を結びました。

結果は犠牲の割に日本の取り分が少なく、民衆が憤りを爆発させ、主に東京で暴動が起こりました。

※ 当時の日本の国力を考慮すると、たとえ取り分が少なくても戦争を止めざるをえませんでした。
もし、取り分を多くしようとして講和会議が決裂していたら、現在の日本があったかどうか … 。
詳しく知りたい方は、ぜひ上記著書をお読みになってください。

 

で、今回は、小村寿太郎の私生活に焦点を当てて印象に残ったくだりを紹介します。

… 外相官邸を引き払わなければならなくなった小村は、落ち着き先をあれこれと考えた。かれは、家屋というものに関心がなく、官舎以外はすべて借家住いで過ごしてきていたが、精神錯乱を起こしている妻のために小石川の原町に家を購入した。 … P269
〈そこには彼の妻や子どもたちが住み、彼は家族と別居。〉

… かれの生活は、徹底して簡素であった。官邸では着物で過していたが、それも夏、冬1枚ずつで、しかも粗末なものであった。多くの勲章をもらっていたが関心はなく、戸棚の中にしまったまま胸におびることはなかった。かれのもとにはさまざまな贈物があったが、包紙を開くこともしない。物品に対する興味の欠如しているかれは、贈物をもらっても、迷惑そうに顔をしかめていた。 … … P273

… 小村は、… 葉山村一色に年300円の家賃で借りた家に移り住んだ。その家は、第2次桂内閣の外相に就任後借りた家で、週末に時折り訪れては休息をとっていた。
… … わずかに次男捷治が時折り訪れてくるだけであった。
家は8畳3間、4畳半3間の梁がかたむき庇のゆがんだ粗末な家であった。家事は宇野弥太郎が引受け、土地の男と女が通いで働いていた。 … P282~283

 

徹底して簡素な生活をし、そして、テニソン詩集を愛読した小柄で痩せた男 … 小村寿太郎。

偉大な外相でした。

一日の大半をストーブのそばで

一日の大半をストーブのそばで

終日雨。

最高気温も10℃ちょっとということで、室内で過ごすことに。

午前中は、木立をひと回りした後、町会費納入の通知文書を作成したり本を読んだりしました。

 

昼食を済ませ、ストーブのそばで本の続きを読んでいると … … 瞼が … … 。

ウトウトしていると、ケータイの音で目が覚めました。

近くのホームセンターからで、修理に出してあった電動チェンソーが直ったとのことでした。

※ 先日玉切りをしていたとき、オイルが漏れていることに気づきました。
修理費が高くつくのではないかと心配していたのですが、1,680円〈税抜き〉で済みました。

 

戻ってくると、ちょうど雨が止んでいましたので、ナメコを穫りに木立の中に入りました。

収穫量は、昨年、一昨年よりぐっと落ちたものの家族で食べるには十分な量でした。
〈植菌してから4年目 … 果たして来年はどうなるのかな〉

で、ナメコを穫っているとき手だったのですが、手がかじかむほどでした。

また、木立を吹き抜ける風も、昨日とは打って変わってとても冷たく感じられました。

 

20分ほど木立にいたでしょうか、プレハブに入るや否やいきなり雨が降ってきました。

そして、雷が轟き渡りました。

暖かい室内にて本の続きを読みました。

私も今や前期高齢者。

かくして一日の大半をストーブのそばで過ごしたのでした。(右上写真)