長らくご無沙汰しておりました。
前回のブログ記事は、4.16付『ジャガイモの芽が出て喜んだのも束の間』でしたので、6日ぶりの投稿記事となります。
で、その間にあったことをお伝えいたします。
4.15〈金〉
午後、親戚の〈主の〉長男より、高齢者施設に入っている主〈彼の父〉の容態がよくない旨連絡がありました。
ブログ記事の下書きをしている最中でしたが、すぐに施設に走りました。
長男と主の奥さん〈長男の母〉と私の3人でベッドに横たわっている主を見守りました。
かなり荒い呼吸状態でした。
呼びかけたり手をさすったりしながら2時間ほどいたでしょうか、長男だけが残り、私は奥さんを家に送り届けた後自宅に戻りました。
※ 長男は、その晩ずっと主のそばに寄り添っていたとのこと。
4.16〈土〉
朝、長男が家に戻ると、主の妹とその息子〈主の甥〉が施設に向かいました。
午後になり、彼女らが戻る頃、私と主の奥さんが施設に入りました。
〈長男は、4時間後に私たちと入れ替わる予定でした。〉
主の寝ている部屋に入ると、前日ほどではありませんでしたが、荒く息をしていました。
声かけをしたり手をさすったりしているうちに、荒かった息も徐々に静かになっていきました。
で、ベッドから離れ、お茶を飲みながら主の若かりし頃の話を聞かせてもらっていると〈その間2分ほどだったか〉、
… さっきまで〈呼吸により〉上下していた掛布団がまったく動いていないような …
主の傍に寄り、様子を窺うと、
… 呼吸をしていないような …
職員の方に伝えました。
折よくお医者さんがいらっしゃる日でしたので、すぐに容態を診ていただくことができました。
脈をとったり、聴診器を当てられたりした後、
「〇時〇〇分、死亡を確認しました。」
とおっしゃって合掌されました。
… … … … … …
冷静さを装って長男に連絡するのがやっとでした。
しばらくすると、長男がやって来ました。
主の亡がらを〈主の〉家に運び入れ、あれこれしているうちに自宅に戻ったのは夜の9時過ぎ。
入浴後床に就きましたが、ほとんど眠れず … 。
※ 家族葬で葬儀を行うことは前々から決まっていました。
4.17〈日〉
※ 友引ゆえに葬儀を行えず
で、主の亡がらの傍で、長男、奥さんを中心に濃い親戚が集まり、葬儀屋さんを交えての葬儀の進め方についての相談。
葬儀の進め方がほぼ決まりました。
4.18〈月〉
住職さんがいらして、〈午後〉4時より納棺。
その後、棺に収められた亡がらをセレモニーセンターに移動。
親戚〈20人強〉が集まり、〈午後〉7時より通夜。
通夜終了後、遠方の親戚をホテルに送る。
送った後、私は自宅に戻るも、数人がセンターに居残ることに。
4.19〈火〉
朝、6時過ぎにセンターに赴き、居残り組と交代。
9時頃、遠方の親戚をホテルに迎えに行く。
11時より本葬。
正午過ぎに出棺し、斎場へ。
再びセンターに戻り、骨壺を前に住職さんにお経を唱えていただく。
午後3時過ぎに一連の仏事が終了し、センター前にて解散。
遠方の親戚は、〈めったに来られないということで〉墓参りに。
私が自宅に戻ったのは、4時過ぎでした。
どっと疲れが出ました。
4.20〈水〉
〈午前〉8時から〈午後〉3時半まで亡き主の家に。
残ったのは、長男と奥さんと別の親戚1人と私の4人。
〈別の親戚1人は午後帰りました〉
葬儀の翌日なので暇かと思いきや、弔問客が次から次へと。
※ 主の死亡については、葬儀翌日〈20日〉の朝刊のおくやみ欄に掲載されました。
小さい集落なので、情報がいっぺんに広まったようでした。
弔問客のほとんどが、奥さんと同年代〈90歳前後〉のおばあちゃんたち。
どの方も長時間ホントに上手にしゃべることといったら … 。
役不足の私は、隣の部屋で別の親戚と香典の計算をしていました。
長男は、あいさつや支払い等で終日奔走していたもよう … 。
〈午後〉3時半頃、亡き主の家を後にしましたが、けっこう忙しかったです。
とにかく香典の金額やお返しの数がぴったり合い、ひと安心。
木立前に着くと、黄色いタンポポの花が一面に咲いていました。(右上写真)
非日常の世界から日常の世界へ戻って来た感がしました。
記憶の鮮明なうちにと、すぐに当ブログ記事の下書きに取りかかりました。
この6日間にあった出来事を、時間の流れに沿って思い出すままに書き出しました。
とりあえず今回は、主が亡くなったことに伴い、単にあったこと〈出来事〉をお伝えしました。
心情面については、追い追いお伝えしていきたいと思っています。