【朴の木 人生を考える】唐木順三著:講談社学術文庫(右写真)を読んで印象に残った個所を紹介します。
… 日本の従来の文化、ことに中世以後のそれは、いわば貧楽の文化といえないことはない。
放浪詩人の西行や、方丈の庵に住んだ鴨の長明や、四畳半や三畳のわびた茶室をよしとした千利休や、風情終〈つい〉に菰〈こも〉をかぶるといった一所不在の芭蕉や、五合庵に乞食生活をした良寛や、真葛ガ原〈まくずがはら〉の小庵に住んだ池の大雅や、そういった貧楽人によって、最も高い、日本的文化がつくられてきた。さびとか、わびとか、しぶいとか、じみとか、そういう美的な生活的理念は今日においても死んではいない。日光の東照宮の示しているような、けばけばしく、ごってりしたものもないことはないが、それはすっきりして簡素な桂離宮の美とはけたちがいに下等なものとされている。 …
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勤めている頃はそうでもありませんでしたが、退職後、木立で無所属の時間を過ごしているうちに貧楽めいたものを実感できるようになってきました。
が、残念ながらまだ ” 貧楽 ” の域には達していません。
そうなるには、上記貧楽人が如何に生きたかをもっともっと学ぶ必要があると思っています。
※ ” 貧楽 ” という言葉をどこかで見たことがあるなと思っていたら、何と過去にこのブログ記事で使っていたのでした。
興味のある方は、2017 8.24付ブログ記事『退職後 井戸を思う』をご覧ください。
〈話をもとに戻します〉
日本には、たとえ裕福であっても、 ” 貧楽 ” あるいはそれに近い暮らしをしている人がけっこういると思われます。
〈ケチとは全く意味が異なります〉
” 貧楽 ” の中に、” ほんとうのしあわせ ” を見ているからでしょうな。
そのような文化を持つ国で暮らせることに感謝しています。
【朴の木 人生を考える】唐木順三著:講談社学術文庫は、再読。
若い頃は今ほどピンときませんでした。
歳をとるのも悪くないですな。