草刈りの準備をしていると、集落の人が汗だくになってやって来ました。
手に、15個ほどの色づいたスモモが付いた枝(右写真)を持って。
「あんた、スモモを食べるか。」
「ええ、大好きです。」
「そりゃー、よかった。〈手に持っているスモモの付いた枝を私に向けつつ〉これ、あげるわ。」
「よくもまあヒヨドリに食べられないで無事でしたね。」
「でかいこと〈たくさん〉植えてあるんで、ヒヨドリも追っつかんのや。」
〈軽トラの荷台に実の付いた枝が10本ほどあるのが見えたので〉
「大事な枝をいっぱい切ったようですが、来年大丈夫なんですか。」
「たとえいっぱい生ったとしても、今じゃ家族でワシ以外に捥ぐもん〈者〉がおらんのや。 … 全部ヒヨドリにやるのももったいないしのおー 。というて、一つ一つ捥いどる暇もないし … まあ、そういうことや … 。」
と言うと、忙しそうに帰って行きました。
確かに彼〈今日やって来た集落の人〉の家族を思うに、今日のような蒸し暑い日に外でそれなりに体を動かせるのは彼一人 … 。
※ 彼の奥さんは病気がちで、その世話も彼がほとんどしています。
〈ちなみに彼の年齢は70代半ば〉
彼が若かった頃に植えたたくさんのスモモの木。
世話の甲斐あり、見事に実を結んだのはよかった。
が、その実を捥いでくれる人がいない。
明日は我が身かな。