大地震発生7日目

雨足が強くなってきました            2024 1.7 1:00PM 木立前で

大地震が発生してから7日目。

震源地あるいはそれに近かったところでは、生き埋めになっている方々の救助活動が懸命になされています。

無事に救助されることを祈るばかりです。

 

〈私こと〉
自宅、菜園周辺、木立〈含 プレハブ〉の後片付けは、概ね終わりました。

細かいところは、追い追いしていきたいと思っています。

前回のブログ記事で、自宅の瓦が落ちなかった旨伝えしました。

が、それはあくまで瓦が落ちなかっただけのことで、雨漏りがするかしないかは別の話になります。

午後から雨足が強くなってきたので(右上写真)、これで雨漏りの有無が判明するでしょうな。

もちろん、雨漏りしないことを願っています。

相変わらず水道から出てくる水は飲めません。

毎日給水所まで、ポリ容器を持って飲み水を汲みに行っています。

給水所が自宅近くに開設されたのは幸運でした。

地震発生以来一度も停電にならなかったのも、幸いでした。

断水は地震発生後の2日のみで、3日目から復旧しましたので、トイレや入浴などに大きく影響することもありませんでした。
〈再度、いまだに飲み水としては使えません。〉

住む家も何とか持ちこたえています。
〈元日同様のが来たら、危ないですな。〉

 

以上が、大地震発生7日目の私の生活状況と思いです。

転倒防止策を講じなかったために

本棚に転倒防止策を講じる

町会長さんがいらっしゃいました。

今回の地震で家屋に被害がなかったかと。

玄関のタイルが10枚ほど剥がれ落ちたことを伝えました。

※ 幸いにもガラスが割れたり瓦が落ちたりすることはありませんでした。
周りには、そのような家がけっこうあります。
他集落では全壊した家もあります。

 

他、茶わんやコップなどの食器が棚から落ちてかなり割れました。

妻のテレビ、私のテレビとノートパソコンも壊れてしまいました。

一番の原因は、食器棚、本棚、タンスに転倒防止策がまったくなされていなかったことです。

それがしっかりなされていれば、食器もそれほど落ちなかったし、テレビやパソコンも壊れることはありませんでした。

テレビやパソコンは、倒れた本棚やタンスの下敷きになって壊れてしまったのです。

 

で、本棚から落ちた本を並べ直すついでに、本棚に転倒防止策を講じました。

とりあえず洋灯吊金具を棚の上部と柱に取り付け、それらを鎖や針金でつなぎました。(右上写真)

 

私のテレビやパソコンは、いつも寝ているときの頭の近くに置いてありました。
〈寝ながら見ていたんですわ〉

犬の散歩中に地震が起きたのは、不幸中の幸いでした。

もし、就寝中に地震が起こっていたら … 考えただけでもゾッとします。

このことは、周りの人たちもよく言っていますわ。

 

転倒防止策 … ホントに大事ですな。

まさに ” 無常 ” ですな

崩れ落ちていた丸太を再度積み上げました

コンパネを買おうと近くのホームセンターに向かったが、道路がデコボコ。

ようやくホームセンターに着くと、『営業停止』の看板が … 。

戻って違うホームセンターへ。

これまたデコボコの道路で、工事をしているところが何箇所も。

何とか辿り着くと、営業はしているけれど駐車場が満車。

空きを待って駐車し、やっとこさ目当てのものを買うことができました。

結局、コンパネ1枚買うのに2時間近くかかりました。
〈いつもは30分で済みます〉

 

午後は給水所へ飲み水を汲みに行った後、今回の地震で崩れ落ちた丸太〈前回のブログ記事掲載の写真参照〉を積み直しているうちに(右上写真)、もうケンタ君〈飼い犬〉の散歩時間 … 。

あっという間に時間が過ぎていきますな。

 

そうそう、昨日見てもらうことができなかった木立の崩れかけた崖 … 今朝、町会長さんに見ていただきました。
〈崩れかけた崖については、前回のブログ記事参照〉

万一崩れた場合は、集落のほうで対処するとのことで、ホッとしました。

 

昨年最後のブログ記事を見るに、
… あとは風呂に入って年越しそばを食べて寝るだけ …
というようなのんびりした調子で締め括っています。

実は、今年最初のブログ記事のタイトルも、『穏やかな元日』にする予定でした。

大地震が起こる前までは。

 

まさに ” 無常 ” ですな。

正月早々 …

昨秋テレビ局より取材を受けた丸太の積み上げも、今回の地震で崩れてしまいました。

1月2日~1月4日は、ブログ記事の投稿ができませんでした。
以下、そのわけを説明いたします。

 

1月1日〈元日〉

ブログ記事〈1.2付…結局投稿できませんでしたが〉の下書きを途中までして、ケンタ君〈飼い犬〉の散歩に出ました。
〈ブログ記事は、前日に下書きしたものを翌日に投稿しています。〉

いつも通り、午後4時過ぎに散歩に出ました。

出て100mほど歩いたときでしょうか、
ケータイがいきなり震え出し、「大地震です、大地震です … 。」と。

その直後に地面が揺れ出し、地響きとともに、立っていられないくらいに大きく揺れました。

周りに何本かの電柱が立っていて、いずれも今にも倒れて来そうでした。

しゃがんで身構えているうちに、揺れも何とか収まりました。

プレハブの薪ストーブが心配になり〈外出時はストーブの空気口を閉めてありますが〉、散歩を取り止めてプレハブの様子を見に行くことにしました。

自宅の車庫に戻ると、工具棚が倒れて車に寄りかかり、車が出せない状態に … 。

仕方なくケンタ君を連れて、500mの道をプレハブまで歩きました。
〈車で行く場合は、ケンタ君を乗せて行くつもりでした。〉

500mの何と長かったことか … 。

プレハブに着くと、幸いにも何ともありませんでした。
〈煙突でつながっているので、ストーブがずれないんですな。〉
〈周りに燃えるような物を置かないことが鉄則〉

安全を確認した後、ケンタ君といっしょに自宅に帰りました。
〈ケンタ君がほとんど興奮しなかったことにも大いに助けられました〉

帰宅すると、家の中は、食器棚や家具などが倒れ、中に入っていた物が散乱状態 … 。

帰省していた息子夫婦と2人の孫、そして妻と両親、幸いにもみんな無事でした。

ただ2匹の飼い猫のうちの1匹〈名前はモモ:雌〉がいなくなってしまいました。
〈怖かったんでしょうな〉
〈近所の飼い猫もいなくなったそうです〉

その夜は、家族全員1階に寝ました。

私は、プレハブに泊まりました。

… 余震が頻繁にあったので寝られませんでしたな …

 

1月2日

朝から午後2時まで、自宅の整頓。

午後2時から午後4時まで、プレハブ及びプレハブに隣接した物置の整頓。

ケンタ君の散歩後、再度自宅の整頓。

夕食を済ませ、午後8時前に就寝しました。

… 相変わらず頻繁に余震がありましたな …

※ 息子夫婦と孫たちは、田舎より都会の方が安全だということで、正午過ぎに戻って行きました。
もし、避難所にお世話になるということになれば、よけいに大変だということも手伝って。

 

1月3日

朝から午後4時まで、菜園横の物置の整頓。

広さわずか50㎡ほどですが、あまりの酷さで、何から手をつけていいのかわからない有様 … 。

できることから少しずつしていきました。

最後まで整頓できず、後日続きをすることに。

ケンタ君の散歩後、3日ぶりの入浴。

※ 地震後ずっと断水だったのがようやく解け、水が出ることに。
しかし、まだ飲み水には使えず。
で、入浴後、ポリ容器を持って、臨時に設けられた給水所まで飲み水をもらいに行きました。

夕食前、何とモモ〈飼い猫〉が2日ぶりに戻って来ました。〈😿〉

… 余震は少し減ったかな …

 

1月4日

3日ぶりにプレハブで薪ストーブを焚き、コーヒーを淹れました。

木立を回ると、積み上げてあった丸太が崩れ落ちていました。(右上写真)

そして、木立の崖になっている箇所が崩れかかっていることにも気付きました。

隣接地が集落の所有地ですので、すぐに町会長さんにその旨連絡しました。

※ 朝、連絡したのに、結局いらっしゃいませんでした。
我が集落もけっこう被害に遭っていますんで、忙しいんでしょうな。

昨日に続き、給水所まで飲み水をもらいに行きました。

朝から何やかんやと動き回りましたわ。

夕方になってようやくブログ記事を書く時間がとれたので、4日分をまとめて書いたという次第です。

 

今回の地震でお亡くなりになった方々には、心よりお悔やみを申し上げます。

大きな被害に遭われた方々には、一日も早く平常の生活に戻られることを願っております。

自衛隊、警察、消防、避難所、ボタンティアなどのみなさん、ホントにお疲れさまです。

よろしくお願いいたします。

実は、私の家の近くにも避難所が設けられているのです。

今のところ、何とか自宅で凌げています。

大きな余震が来ないことを祈るのみです。

あとは年越しそばを食べて寝るだけ

今年の神棚は鏡餅無しですな

午後から本降りになりました。

昨日のうちに、外回りの掃除を済ませておいたのは正解でしたな。

残るは屋内の掃除だけ。

昨年から神棚の掃除は私がしています。

※ ちなみに風呂場の掃除は妻、仏壇は父がしています。
そのうちに私が全部することになりそうです。

 

で、神棚を掃除しようとしたら、父が、

「今年は身内に不幸があったから神棚を祀らんでもええやろ。下手に祀ったりしたら、死んだもん〈者〉に失礼や … 。」

と言い出しました。

「そやけど、掃除ぐらいしてもええやろが … 。」

と、私の思いを言うと、

横から母が、

「掃除をしてサカキを飾るくらいならいいんと違うか。 … 〇〇〈亡くなった人の名前〉ちゃんなら、あの世でむしろ喜んでくれると思うわ。」

と、言いました。

 

結局、掃除をしてサカキを飾り、鏡餅についてはお供えしないということに相成りました。(右上写真)

※ いやはや中途半端で何かおかしいですな。
今日の私ら3人のやり取りを、亡くなった〇〇さんがあの世で見ているとすれば、たぶん許してくれていると思われます。
〈生前時の付き合いが良好でしたからね。〉
死後より、生きているときにお互いに何をしたかの方がずっと大事なんですよ。〉

 

これで年末の掃除もすべて終わりました。

あとは風呂に入って一年の垢を洗い落とし、年越しそばを食べて寝るだけですな。