今や木立は私の ” 生活の場 ”

私の ” 生活の場 ” です

木立の草刈りをしていると、集落の男が訪ねてきた。

用件を済ませると、

「この時期になったら草もしぜんに枯れてくるし、無理して刈らんでもええのに。」

と。

「そうかも。 … そやけど、刈っといた方がすっきりして見た目がええと思うて … 。」

と答えた。

 

彼は間違ったことを言っていません。

むしろ合理的に考えています。

近いうちに枯れてしまうものを、わざわざ時間をかけて〈お金もかかる〉刈るのは、たしかに無駄ですわな。

私も彼のように勤めていて忙しい身なら、たぶん同じように考え、冬を間近に控えた時期に草刈りはしないでしょう。

実際、勤めていた頃はそうでしたから。

 

では、今は何で草刈りをしているのかって?

定年退職後、木立は私の ” 生活の場 ” になりました。

自宅は、夕食を食べて風呂に入って寝るためだけの場所になり下がってしまいました。
〈妻は『亭主元気で留守がいい』というタイプ〉

 

今や木立は ” ただ管理すればいいだけの山林 ” ではなくなってしまったのです。

歩いていると楽しくなってくる、また、眺めていると穏やかな気持ちになってくるような潤いのあるところでなければなりません。

よれよれの冬枯れの草が漂っているような木立は、私にとって ” 生活の場 ”  とはなりえません。

で、この時期になっても草を刈っている次第です。(右上写真)