
風もなく、暖かい穏やかな日となりました。
木立を一回りし、除草剤を撒こうと思いきや、2年ぶりに知人が訪ねて来ました。
「せっかくの作業日和にいきなり訪ねて申し訳ない。」
「わしゃー、別にかまわんけど、 … まあ、元気そうで何よりや。」
「 … 実は … 息子のことやけど、 … 学校〈大学〉に行かんで困っとるんや。」
「おお、2年前の今頃は、息子さんが合格した言うて喜んどっとたのに、それから行っとらん言うのか。」
「そうなんや。で、とにかく今は2年やけど、単位が足りんで3年に上がられんかもしれんのや。 … 心配で大学の窓口に相談に行ったけど、単位が無いとどうしようもないと言われたんや … … … 。」
彼〈知人〉は、その後も延々と〈正午近くまで〉、やる気がまったく見られない、昼夜逆転の生活をしている … 等、息子さんの現状を語っていました。
何しろその息子さんと一度も会ったことがなく、実情もわからないので、ただ、うん、うん、と聞いていただけでした。
午後、木立前の道路脇に除草剤を撒いているとき(右上写真)、ふと午前中に知人が話していたことを思い出し、
「若者が自分のやりたいことを見つけられないのは、大人の生きる姿勢にも問題があるのでは。大人が真剣に生きている姿を見る機会があまりにも少ないのではないか。」
と思った次第です。