【古希のリアル】を再読

【古希のリアル】勢古浩爾著:草思社文庫

雨降りの寒い日になった。

朝方の気温は8℃。

今日の気温は右肩下がりで、夜になると雨が雪に変わるとか。

外に出る気にならず、薪ストーブの傍らでボーとしていると、本棚の【古希のリアル】勢古浩爾著:草思社文庫(右上写真)が目に付いた。

「 … 私もあと半年で古希 … 一度読んでいるのだが、中身はまったく忘れた … もう一度読んでみようか … 」
と、再読した。

 

以下、印象に残った箇所を紹介します。

… こんな人間〈著者〉がよくも70まで生きてこられたものだ、ということでよしとするほかはない。一人ひとりにそれぞれの古希がある。同年代だからといって連帯感などそれほどないが〈おまえからの連帯など断る、といわれるだろう〉、わたしはこれからも、自分が好きな小さな場所で生きていくつもりである。それでいい。 …  P34

… 決断を迫られたときに、考えなければならないことは、後悔するかしないかではなく、そのことにたいする意欲と、可能性と、意味と、覚悟を熟慮することである。その結果、後悔するならすればいいのだ。あたりまえのことだ。後悔して、悔い改め、いかに自分が世の中を舐めていたかを知り、以前より成長していけばいいのである。それならば後悔も生きる。後悔したくない、などつまらんことである。 …
P85~86

… 金には縛られようがない。あるだけでやっていくしかない。世間の流行には昔から影響されなかった。興味のないものばかりが流行ったからである。これじゃあ「ひとり」になってしまうわけだ。人間関係に余計な気をつかうこともなくなった。ふつうに礼儀を守って接するだけでいい。 …  P215

 

勢古浩爾氏の著書については、当ブログ記事で何度か紹介してきた。

自分を氏と同列に置くのはおこがましい限りだが、生き方、考え方に重なる部分が多い。

最近読んだ氏の著書、【バカ老人たちよ!】:夕日新書〈11.25付ブログ記事に掲載の写真参照〉も非常に刺激になった。

 

久しぶりにじっくり本を読みました。

まだ「本を読もう」という意欲が残っていたことがうれしい。