「親死ぬ 子死ぬ 孫死ぬ」を思う 

息子夫婦と孫を見送った後で…令和二年正月五日 木立前にて

① … 昔、ある高僧のもとに年賀にやってきた男が、何か縁起の良いことを書いてほしいと頼んだそうである。それで僧がしたためた言葉は「親死に、子死に、孫死ぬ」。正月から不吉だと怒る男に僧いわく「いや、この順番ならばめでたい。逆になったらたいへんなことだ …
【2020.1.5付日本経済新聞第1面コラム欄 春秋】より

② … 一休宗純は、孫が生まれためでたい席で一筆書いてくれと頼まれ、「親死ぬ 子死ぬ 孫死ぬ」と書をしたため、何故こんな不吉なことを書くのかと責められたことがありました。しかし、一休に言わせると、親が、子が、孫がという順番で逝くことにこれ以上の幸せがあるだろうかと返しました。」 
【人生の結論:小池一夫著 朝日新書】 P228より

今朝、日経新聞のコラム欄〈上記①〉を読んでいると、昨年末に読んだ【人生の結論:小池一夫著 朝日新書】の中のあるくだり〈上記②〉が思い出されました。

※ 話の背景は若干異なっていますが、言わんとしていることは同じと捉え、二つ並べて載せました。

 

で、朝刊を読み終わってしばらくすると、プレハブ前に車の止まる音がしました。

帰省中の息子夫婦とその子ども〈私にとっては孫〉でした。

仕事場〈都会〉に戻るので、別れのあいさつに来たとのこと。

息子夫婦の若々しい屈託のない笑顔 … 。

そして、母親に抱かれ、満足しきった孫〈あと数日で満1歳〉 … 。

頭を撫でると、純粋そのものの表情としぐさで返事をしてくれました。

 

見送った後、木立前で、高僧の言葉を思いました。(右上写真)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です