【西行】〈白洲正子著〉を読み終えました。
今日読んだ箇所より印象に残ったくだりを紹介します。
… 西行は感情があふれるままに歌い捨てたので、時には意味のわからない歌もあるが、それはそれなりに西行の中では完結していた。ほかに表現の仕様がなかったからで、生きた言葉とはそういうものだと思う。 … P193
… 西行が歌合せに参加しなかったのは、生きることに全力をかたむけていたからで、技巧を競い、優劣を争う宮廷人の付合いをわずらわしく思ったために他ならない。 … P239
… … その殆んどが西行を仏教の聖者の如く祀りあげているのは、「ねがわくは花の下にて春死なん … … 」の歌によったのはいうまでもないが、当時としては通りがよかったし、今でも一般の人々はそう思っているようである。だが、西行の真価は、信じがたい程の精神力をもって、数奇を貫いたところにあり、時には虹のようにはかなく、風のように無常迅速な、人の世のさだめを歌ったことにあると私は思う。 … P244
著者〈白洲氏〉の強い思いの入った西行の伝記でした。
著者自身実際に西行の足跡を追いながら歌を解釈していますので、生き生きとしてわかりやすく、すっと入ってきました。
後記で、著者は、「伝記とも紀行文ともつかぬものとなった」といっていますが、むしろその方が私にとってはよかったです。
グーグルマップや日本史事典などを片手に、著者といっしょに西行の世界を歩き回ったようで、楽しく読ませていただきました。
” 数奇 ” という言葉がたびたびでてきましたが、人生100年時代にますます大切になってくるのでは、と思いました。
【数奇・数寄〈すき〉】(「好〈すき〉」の当て字)
風流の道、特に茶の湯などを好むこと。 … 広辞苑第六版より
… 花にあこがれた西行 …
私のところにもある山桜〈10本ほどですが〉(右上写真)、
今から楽しみにしています。