切株は木立前のオブジェ的存在だった

燃やす前と比べ、小さくなりましたなあ。

〈午前〉4時40分より野外焼却〈野焼き〉をしました。

※ この季節になると〈午前〉5時前は真っ暗で足元が見えず、焼却作業はできないのですが、下弦の月で、しかも晴れていましたので作業ができました。

 

前回同様、伐採木の枝葉といっしょにモチの木の切株を燃やしました。

枝葉は3時間ほどで燃え尽きてしまいました。

その一方で、切株は炎を出すこともなく静かに燃えていました。

間近で見ると、所々が赤く燃え、まるで大きな炭が火照っているよう。

遠目では燃えているのか燃えていないのかはっきりわからない様子で、うっすらと煙が上がっているだけ。

そのような状態が半日続いたでしょうか。

夕方になるとかかさがぐっと小さくなっていました。(右上写真)

※ 燃やし始める前の切株については、前々回ブログ記事掲載の写真をご覧ください。

※ 元の切株の様子については、10.10付ブログ記事掲載の写真をご覧ください。

 

2回の焼却でかさが1/10になってしまいました。

形も以前はデビルスタワーを思わせるような形でしたが、今や原形をとどめないまでになってしまいました。

重さも火箸で突くとぐらつくほどです。

数日前に単管をてこに焼却場まで運んだのが噓のよう。

 

木立前はすっきりしたけど、何か殺風景になったような。

モチの木の切株は木立前のオブジェ的存在だったのかも。

何はともあれ自然の恵みに感謝

収穫量は今一つでしたが、よい形をしたものが多くありました。

先日、きこりさんが伐採する予定の杉を見に来たときでした。

サツマイモ畑を見ながら、

「ひょっとしたら伐採した杉の枝がサツマイモ畑に被〈かぶ〉るかもしれんな。 … まあ、被らんようにはするけど … 。」

と言っていました。

 

幸いにもまだ伐採に来ていません。

で、伐採する前にサツマイモの収穫を済ませておくことにしました。

 

まず、畑を覆っているサツマイモの葉っぱを取り除く作業に取りかかりました。

何しろ青々とした大きな葉っぱが生い茂り、つるも太いので、それらを取り除くだけでひと仕事でした。

※ サツマイモの場合、葉っぱが立派なのは褒められたものではないのです。
実に行くべき養分が葉っぱに行っているからです。
〈肥料をほんの少ししかやらなかったのに … 〉

次に、イモを掘り起こしました。

一株目は、それなりの大きさのほっそりしたイモが3個でした。
〈幸先のよいスタートかな

それ以降もよく似た形のものが続きました。(右上写真)

最後に、掘り起こしたイモをプレハブ内に運び入れ、新聞紙の上に並べました。

 

【感想】

毎度のことながら、量は今一つという感じですな。
〈どうしても葉っぱに養分が行くんですな〉

が、今までになくよい形のものが揃いました。

… 味見はこれからです …

何はともあれ自然の恵みに感謝する次第です。

1回目の焼却でかさが半減

1回目焼却後のモチの切株

〈午前〉4時45分にプレハブに到着。

ネットで天気予報を確認。

微風とのこと。

外に出ると、微風というより無風状態。

焼却場周辺も昨日までの雨で濡れていて延焼の心配無し。

月明りで足元もしっかり見えたので、すぐに野外焼却〈野焼き〉に取りかかる。

 

今回は、伐採木の枝葉の焼却といっしょにモチの切株の焼却を試みました。

※ モチの切株の焼却については、10.10付ブログ記事『ホントはストーブの燃料にしたかった』をご覧ください。
モチの切株はとても重く、昨日のうちに〈てこを使って〉焼却場まで運んでおきました。

切株の横に焚き付け用の枯れた杉葉〈約0,1㎥〉を置き、その上に枯枝を30本ほど乗せ、着火しました。

枯枝が燃え始めた時点で、伐採木の枝葉の中でも小さめのものを3~4本選んでくべました。

ジュッと音を立てて炎が燃え上がりました。

2~3回そのようなことを繰り返して火力がつくと、くべる枝葉をだんだん大きめのものにしていきました。

… モチの切株の真横は大きな炎状態 …

 

1時間後には、枝葉の火がモチの切株の根っこの部分に燃え移っていました。

根っこ部分は、静かながらもずっと燃え続けていました。

火が収まったのは午後2時頃で、何とかさが半減。(右上写真)

※ 10.10付ブログ記事掲載写真と見比べてみてください。

さて、2回目の焼却でどうなるか。

懐かしい本に囲まれた穏やかなひと時

4時間ほど本の整理をしました … 菜園横物置にて

昨日からずっと雨。

一向に止まないので、草刈りの予定を変更し、菜園横の物置にある本の整理をすることに。

※ 菜園横の物置には今までに買った本を置いてあります。
大半は古本屋さんで買ったもので、読んだのは2割程度か。
〈積読タイプですわ〉
私も今や満66歳。
何歳まで読書意欲が続くのかわからないけど、残りの8割はとうてい読めませんな。
といって、処分もできず … 。
おまけにいまだに本屋さんに行くたびに本を買っている始末。
〈ほとんどは古本屋さんで古本を買っているのですが〉

 

物置といっても、雨漏り寸前のプレハブ〈26年前に中古で買いました〉です。

エアコンはなく、広さ14畳ほどのところに6畳用の灯油ストーブがあるだけです。

窓の開閉は1箇所しかできないので、常時除湿器を作動させています。

※ かつては私の本や子どもたちの本、作品などを置いていたのですが、いつの間にか妻の衣類が物置の大部分を占めるようになってしまいました。

 

物置内は思っていたより寒く、灯油ストーブを焚きながら本の整理をしました。

9時半頃から作業を始め、1時半頃までかかりました。(右上写真)

昼食は来る途中で買ってきた菓子パン2個とストーブで沸かしたお湯でのインスタントコーヒーと相成りました。

懐かしい本に囲まれた穏やかなひと時でした。

【ゴシップ的日本語論】を読む

【ゴシップ的日本語論】丸谷才一著:文藝春秋

【ゴシップ的日本語論】丸谷才一著:文藝春秋(右写真)を読み、印象に残った箇所を紹介します。

 

… もともと日本人は村で生活してゐて、口下手で、呪術的で、情感的であったし、さういふ言語の使い方をしたし、的確で機能的で速度のある叙述の言語をつかふのは苦手であった。ものを考へるとしても、いはば情感的、抒情詩的に考えがちであった。われわれは論説よりも短詩形文学において得意であったし、今でもさうである。 … P67

… 一国の運命は、政治と経済によるだけではなく、言語による所が極めて大きい。あるいは政治と経済を言語が支えている。言語教育は国運を左右し文明を左右する。わたしはさう思ってをります。 … P70

… 人間が言葉を使ふ動物で、そして言葉によっていろいろなことをしてきたし、また、してゐる以上、その言葉の使ひ方の技巧は、人間を研究するための絶好の切り口である。 … … P92

… 夏目漱石の小説がなぜすごいかというと、日本にまだ本格的な小説というものがない時代にロンドンへ行って、当時イギリスで生まれつつあった新しい小説の外観を学び取りながら、日本の現実を見つめて小説を書いた。文学運動の現場で自分も参加して創造していったところがすごい。あとからモダニズム小説を勉強して真似した人とはおよそ程度が違うわけね。漱石の自分で何かを創り出すエネルギーが読者を打つんですね。 … P194

 

丸谷才一氏の著書を当ブログで紹介するのは、2度目です。

1度目は、昨年の9月に紹介しています。
〈2021 9.3付 【日本語のために】丸谷才一著 を読む】〉

丸谷氏については、後輩の川本三郎氏〈評論家〉が、彼の著書【そして、人生はつづく】:平凡社 で次のようにいっています。
… 小説、文芸批評、翻訳。さらに歌や俳句を詠む。書評というジャンルを批評の形式に高める。 … また古典の教養が深かった。 … 『文章読本』を書いた人だけに日本語の乱れには厳しかった。 … … P272~275

 

古典の教養に裏打ちされた正しい日本語とは?

現在『文章読本』丸谷才一著:中央公論社〈昭和52年10月 5版発行〉を再読中です。

私のブログ記事の内容がより伝わりやすくなることを願いつつ。