メールに代わるものを見出されてみれば

昨年の5月中旬に植えたピーマン … 一週間前まで舌を楽しませてくれ、現在は目を楽しませてくれています。

朝、テレビで、最近頻繁に発生している詐欺についての話がありました。

その内容が、二日前に私に送られてきたメールの内容とまったく同じでした。

「ご本人様不在の為、お荷物を持ち帰りました。ご確認ください。」
というものでした。
そして、連絡先のURLと電話番号が添えられていました。

心当たりがなく、不審に思ったのでそのままにしておきました。

今日、それを削除しました。
〈ほんとうに大事なものなら再度連絡が来るでしょう〉

 

私にメールをくださった方は、どんな方でしょう?

もし金目のものを欲していられるんなら、残念ながらそれにはお応えできません。

私は定年退職者でしかも無職です。

年金の一部はいただいておりますが、それはすべて妻に渡しております。

で、貯金を少しずつ取り崩し、それで草刈機やチェンソーなどを買いながら、日々木立の手入れをしています。
〈その詳細については今までのブログ記事を参照〉

 

今、私は、中古のプレハブの中でこのブログ記事を書いています。

でも、〈5,000円の〉薪ストーブのおかげでとても温かいです。

窓外の赤いピーマンも、冬の殺風景な中にひと際目立ち、目を楽しませてくれています。(右上写真)

 

メールに代わるものを見出されてみればどうでしょうか。

薪ストーブがあるからできる

木立前で 2021 1.6 11:00AM

連日の雨で地面が見え出していたのに、またしても雪が。(右写真)

予報では、明日猛吹雪になり、その後3日ほど雪が降り続くとか。

 

昼近くにプレハブ内でユーチューブを見ていると、外で車の止まる音が。

入口のドアを開けると、親戚がいました。

「また降ってきたのお。 … 近くに来たんで寄ってみたんや。 … これ、昼飯や。 … 〈木立前の薪棚を見ながら〉 薪ストーブでイモでも焼けばどうや。 … … ほんなら他に用事あるし、帰るわ。」

と言って帰って行きました。

… 薪ストーブでイモでも焼けばどうや …

毎日のようにやっています。

イモだけでなく、ピーマン、落花生、クリ、カボチャ、銀杏、ニンニク … 手元にあるものは何でも焼いて食べています。

焼くものは、自分でつくったものかもらったものばかり。

ストーブの燃料は、自分所有の木立の木を伐って薪にしたもの。

で、ほとんどお金をかけることなく熱々の自然の恵みをいただいています。

 

先日町会長さんがおっしゃっていたことを思い出しました。

「ワシも、仕事辞めたら山の木伐って薪ストーブにしたいんや。 … ウチの暖房費 … 一日に1,000円は超えとるやろな。」

 

… 寒い日でも、温かいところで、熱々のおいしいものを食べながら思いのままの時間が過ごせる …

薪ストーブがあるからできるのでしょうね。

よく見ると新たに出てきたナメコでした

新たに出てきたナメコ

木立回りをしていると、冬の殺風景な地面に小さな茶色のてかてかなものが … ?

よく見ると、新たに出てきたナメコでした。(右写真)

※ ナメコは昨年の11月が最盛期でした。
そのときの様子については、2020.11.23付ブログ記事『全部もろうてくれてありがとう』をご覧ください。
で、それ以降パッタリ出なくなり、収穫期が終わったものと思っていました。
実際、一昨年がそうでした。
いっぺんに全部出てそれで終わり、という具合でした。

 

最盛期が終わってからひと月半が過ぎています。

その間、何の音沙汰もありませんでした。

それがなんで今頃に? という感じです。

【私の憶測】
昨年は例年に比べ、とても雨の少ない秋でした。
で、水分が足りなかったために〈ナメコが〉出尽くすことができなかったのでは、と思われます。
が、12月10日頃から一転して雨天〈含 雪〉の日が続くようになり、出るに出られなかったものが充分に水分を得たがために出ることができた、と考えられます。

 

〈ナメコが〉出てきたといっても、20本ほどある原木のうちの2本からだけです。

それも全面からではなく、ごく一部からです。

量でいうと、私ひとりで食べても2食分でしょうか。

でも、うれしい限りです。

さっそく昼の焼きそばに入れました。

味、食感、焼きそばとの相性、どれをとっても ! ですな。

なるようにしかならんのかのお

伐採跡地で

積雪が減りましたので、木立をひと回りしました。

木立回りは昨年の大晦日以来です。

ちょうど伐採跡地にさしかかったとき、雲間から日が差し、雪面がまぶしいくらいでした。(右写真)

 

プレハブに戻り、ストーブの傍に腰を降ろすと、ふと町会長さんとの話を思い出しました。

※ 午前中に町会長さんが訪ねて来ました。
近く予定されている行事の打ち合わせをしました。
で、それが終わると雑談になり、先日の神社での出来事から集落の構成員の高齢化が話題になりました。
神社での出来事につきましては、前々回のブログ記事『そう遠くない将来の自分の姿』をご覧ください。

 

【雑談から】

「一昨日、お宮さんに参拝にいらした〈独り暮らしの〉おばあちゃん、たいへんそうでしたね。」

町会長さん
「… そりゃー 、雪ん〈の〉中、たいへんやったと思うわ。 … 集落の一員としての責任感が強いんやろな。 … 無理せんでもええと言うとくわ … 。」

その後、私の父のこと、近所のおばあちゃんの灯油タンクの件〈前々回のブログ記事参照〉について話すと、

町会長さん

「… 他人事でないわ。 … あんたもわしも、子ども〈家に〉戻って来ん〈来ない〉みたいし、 … 他にも、よう似たウチ〈家〉、集落にいっぱいあるわ。 … いずれは年寄りばっかりになりそうや。 … … なるようにしかならんのかのお … 。」

【人は成熟するにつれて若くなる】ヘッセ著 を読む

【人は成熟するにつれて若くなる】V・ミヒェルス編・岡田朝雄訳:草思社

【人は成熟するにつれて若くなる】V・ミヒェルス編・岡田朝雄訳:草思社(右写真)を再読しました。

印象に残ったくだりを紹介します。

 

… 成熟するにつれて人はますます若くなる。すべての人に当てはまるとはいえないけれど、私の場合はとにかくその通りなのだ。私は自分の少年時代の生活感情を心の底にずっともち続けてきたし、私が成人になり、老人になることをいつも一種の喜劇と感じていたからである。 … P65

… 私の言っているような体験をするためには、やはり高齢であることが必要である。数知れないほどたくさんの見てきたものや、経験したことや、考えたことや、感じたことや、苦しんだことが必要なのだ。自然のひとつのささやかな啓示の中に、神を、精霊を、秘密を、対立するものの一致を、偉大な全一なるものを感じるためには、生の衝動のある種の希薄化、一種の衰弱と死への接近が必要なのである。 … P70

… 年老いてしまった者にとっては、もしも彼が何ひとつ目的となるものを見いださず、何ひとつ自分と自分の不安を超えるもの、絶対的なもの、あるいは彼がそれに仕え、それに仕えることだけが自分の人生に意義を与えるような神的なものを見いださなかった場合は、探求は迷い道であり、人生は失敗であったことになる。 … P91

 

20年ほど前に一度読んでいます。

今回改めて読み、ヘッセの人生に対する積極的な姿勢、人々への公正な視線などをいっそう知るところとなりました。

本著書に載せられているエッセイ等は、大半が、ヘッセが70歳を過ぎてから書かれたものです。

とくに私たち〈高齢者〉にとって、生きていく上で指針となる点が、多々あるように思っています。