65歳以後が問題とのことでした

親戚の家の前に咲いていた赤いツバキ

親戚に新年のあいさつに行きました。

玄関に入ろうとしたとき、赤いツバキの花に目が行きました。(右写真)

やわらかな日射しにひときわ映えていました。

※ 私のところも、いずれは観賞用にツバキのような草木を植えたく思っています。
木立の手入れ等もほぼ目途がつきましたので、今年あたり、〈約5,000㎡〉の地面の大まかなデザインをしようかなと考えています。
〈赤い花を咲かせたツバキが何十本もあると壮観でしょうね〉

 

で、そうこうしているうちに親戚も揃い、みんなで昼食を食べはじめました。

そのときに、雇用延長している〈私より1歳年下の〉者に、

「おまえ、ようやっとるな。 … 定年してからまだ勤めとるなんて。 … わし、そんなことできんかったわ。 … わがままなんかな。」

と言うと、

「そんなことないわ。人それぞれや。 … おれ、今んとこ、体も何とかもつし、会社の方からも、65〈歳〉まで来てくれと頼まれとるのや。 … … そしてもう一つ、 … たとえ家におってもとくにすることもないんや。
… おれの場合、問題はその後〈65歳以後〉や。 … 勤め止めてすぐにお迎えが来ればいいけど、まだ20年ほどおる〈生きる〉ことになるやろな。 … 正直、何をしていこうかぜんぜん思いつかんのや … 。」

… … …

65歳以後が問題とのことでした。

【新農業時代:川内イオ著】を読む

【新農業時代】川内イオ著:文藝春秋

【新農業時代】川内イオ著:文藝春秋(右写真)から印象に残ったくだりを紹介します。

① … 人に任せればすぐに解決するようなこともありますけど、自分でやれば、いつかそこで得たスキルや知識、経験を活かすことができるかもしれない。僕はこの時間を『投資』だと思っているんです。 … P33~34

② … 考え方やきっかけ次第で、まだまだ伸びしろがある。日本の農業はポテンシャルの宝庫ですよ。 … P58

③ … 東京での仕事に戻った時に感じたのは、いくら飛び回って、どれだけ稼いでいても自分は、代替可能という現実だった。ほとんどの上司の目標は、アーリーリタイヤ。視点を変えれば、できるだけ早く辞めたいということだ。自分にとって一生続けたい仕事はなにかを問い続けた時、道は決まった。 … P102

④ … これから世界の人口が増えていくところはアジア、アフリカで、どちらの主食もコメです。これからの人口増、食糧問題を解決するカギはコメになるでしょう。 … P148

⑤ … おれは42歳の時に胆のうがんと肝臓がんになったんだ。ステージ4で末期がんだった。その時にわたしは一度死んだと思った。だから、治った時にこっから先の人生はより一層好きなことをしようと思った。それが良かったんよ。いつか必ずいける、そういう思いで20年やったんだ。 … P191

本書【新農業時代】は、著者の河内氏〈フリーライター〉が、革新的な農業に挑戦している10名の方の言動をまとめたものです。

彼らの発想や取り組みは、農業関係者だけでなく、それ以外の人たちにとっても大いに刺激やヒントになると思われます。

上記①,③,⑤からは、私自身、今後の生き方も学んだようにも思っています。

初老、還暦を迎える人を見て思ったこと

年初めの行事が執り行われた集落の神社

午後、集落の神社で、年初めの行事が執り行われました。(右写真)

神社の中で正座して祝詞を聴き、新年を改めて感じました。

二礼二拍手一礼の作法に則り、神主さんよりいただいた玉串を神前に置くと、とても厳かな気持ちになりました。

で、集落の世話係と各種団体のまとめ役が玉串を奉げ終わると、

今度は、今年還暦を迎える方〈2名〉と初老を迎える方〈3名〉の番でした。

みなさん緊張の面持ちで玉串を奉げていました。

その様子を見ていて、

自分がこの同じ神社で初老と還暦の玉串を奉げたときのことを思い出しました。

・初老のとき
” まだ、40歳で若いのに、なんで 老 がつくんだ? ”
と信じられませんでした。
・還暦のとき
” 赤いちゃんちゃんこを俺が着る? 本当か? ”
とこれまた信じられませんでした。

 

自分の場合、けっこう強がっていました。

でも、今、振り返ると、

初老、還暦辺りに体力がシフトダウンしたように思います。

体力がシフトダウンすれば、それにともなって考え方も変わります。
〈変えざるをえなくなる、と言った方がいいのかな。〉

” 人生の通過点 ” として初老、還暦があるのは、理に適っているとも思うようになりました。

 ますますシフトダウンしていく体力とそれにともなう心の変調をこれからの人生にどう折り合わせていくのか …

大きな課題です。

家族みんなが元気で新年のスタート

元日早々ブログ記事を投稿しました

2020年1月1日。

いつものごとく〈午前〉5時過ぎに起き、洗顔、朝食等を済ませ、〈午前〉7時前にプレハブに着きました。

※ かなり以前より、年末年始のテレビは見ていません。〈おもしろくないので〉
ただ、これはと思う番組は録画し、適時見ています。

 

で、プレハブに入るとすぐにストーブを焚き〈久々の冬型の天気〉、前日に書いたブログ記事の下書きをチェックして投稿しました。(右上写真)

その後、全国紙を買うために駅のキオスクに向かいました。
〈例年日のみ全国紙(5紙)を読む〉

かつては、『日経』『読売』『朝日』『毎日』『産経』と5紙が揃っていたのですが、数年前よりそうでなくなりました。

今年は、『毎日』『産経』がありませんでした。

『毎日』については、帰りにコンビニで買いました。

『産経』は、読まず仕舞いになりそうです。
〈こんなのは今年はじめてで、残念というか寂しいというか〉

” 私の住んでいるところで、『産経』がなくなったわけ? ”

そのことを調べていけば、下手に新聞を読むより、時代の流れや世の中の経済状況がわかったりして … 。

まあ、諦めるしかないようですね。

そのことはさておいて、

とにかく、

… 家族みんなが元気で …

… それぞれの思いを抱いて新年のスタートができる …

… 何よりです …

今年もよろしくお願いいたします。

一年の最後の日の夕べに

子どもへのお土産〈一人ぶん〉

午後、ずっと集落のお寺の行事に参加していました。
〈手伝いとして〉

【集落のお寺の行事】

集落のお寺では、5年ほど前から、大みそかの日に鐘つきに来た人にうどんをふるまっています。

子どもたちには、帰りにお土産(右写真)も渡しています。

日本文化の一つともいえる ” 除夜の鐘 ” を〈とくに子どもたちに〉体験してほしく、檀家の有志が集まって実施しています。
〈私もお手伝いをさせてもらっています〉

” 除夜の鐘 ” は、ふつうは夜に鐘つきをしますが、子どもたちをメインに考えていますので、明るい昼の時間に行っています。

たくさんの方の参加を願い、檀家である、ないに関わらず、集落の全家庭にお誘いの案内を出しています。

 

正午過ぎから準備をはじめ、後片付けが終わったのは〈午後〉4時半頃でした。

地面の冷たさが長靴の底から伝わってくるほどの寒さでしたが、雲間から日射しが出る時間帯もあり、近年になくよい天気となりました。

たくさんの方が鐘つきにいらっしゃいました。

鐘をついているときも笑顔、そして、うどんを食べているときも笑顔、

大人も子どももみんな … 。

見ているこちらの方もうれしくなりました。

おかげさまで、大みそかのお寺の行事も無事終わりました。

 

今、満足感に浸りながら本ブログ記事を書き終ろうとしています。

… 一年の最後の日の夕べに …