【おくのほそ道】を読む

【おくのほそ道】角川文庫

… 月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり … …

松尾芭蕉の紀行文:【おくのほそ道】(右写真)を読みました。

50年近く前に一度学校で習っていますが、記憶にあるのは前述の冒頭部分だけで、あとは、
… … … 。
〈おそまつですな〉

 

まずは全文に目を通し、次に現代語訳を読みました。

※ 全文がそれほど長くないので、そのようにできたんですな。
全文が長い場合は、区切りのいいところで、文語文と現代語訳を交互に見て行った方がいいかもしれません。

※ 文語文といっても若い頃ほどの抵抗はなく、むしろ歳を重ねるごとに読みたいという気持ちの方が強くなってきました。
66年間生きているうちにしぜんと語彙が増え、他人の思いを広く受け入れられるようになったことも影響しているんでしょうな。

 

で、とくに印象に残った箇所を紹介します。

… さてはこの内〈うち〉にこそと、門〈かど〉をたたけば、佗しげなる女の出でて、「いずくよりわたりたまふ道心の御坊にや。あるじはこのあたり何某〈なにがし〉といふ者のかたに行きぬ。もし用あらば尋ねたまへ」といふ。かれが妻なるべしと知らる。昔物語にこそかかる風情ははべれと、 … … 」
*道心…僧形の遁世者

この箇所を読んだとき、

自分の夫をはるばる訪ねて来たお客さん〈芭蕉〉に、
「どこからいらしたお坊さんのみなりをした世捨て人さんでしょうか。主人はこのあたりの〇〇さんのところに行きました。もし用がおありですならどうぞそちらへ。」
と言った奥さんの言い方、態度に驚きました。
〈ふつうなら急いで夫を呼んで来るでしょうが〉

芭蕉は芭蕉で、
「主の言動をあれこれ思うと、こりゃー、女房に間違いないわ。 … 昔物語にでも出てきそうな感じがするのお … … 」
と、気分を害することもなく聞いていたようです。

※ 私の解釈が間違っていたらゴメンナサイ。

 

… 夏草や兵どもが夢の跡 …
… 閑かさや岩にしみ入る蝉の声 …
… 荒海や佐渡に横たふ天の河 … 等、

” 俳聖 ” と崇められている松尾芭蕉 … 。

が、今回全文を読み通したことにより、上記のピックアップした箇所のように、芭蕉の新たな一面を知るところとなりました。

これを機に、野ざらし紀行、笈の小文なども全部読んでみたいですな。

【朴の木 人生を考える】を読む

【朴の木 人生を考える】唐木順三著:講談社学術文庫

【朴の木 人生を考える】唐木順三著:講談社学術文庫(右写真)を読んで印象に残った個所を紹介します。

 

… 日本の従来の文化、ことに中世以後のそれは、いわば貧楽の文化といえないことはない。
放浪詩人の西行や、方丈の庵に住んだ鴨の長明や、四畳半や三畳のわびた茶室をよしとした千利休や、風情終〈つい〉に菰〈こも〉をかぶるといった一所不在の芭蕉や、五合庵に乞食生活をした良寛や、真葛ガ原〈まくずがはら〉の小庵に住んだ池の大雅や、そういった貧楽人によって、最も高い、日本的文化がつくられてきた。さびとか、わびとか、しぶいとか、じみとか、そういう美的な生活的理念は今日においても死んではいない。日光の東照宮の示しているような、けばけばしく、ごってりしたものもないことはないが、それはすっきりして簡素な桂離宮の美とはけたちがいに下等なものとされている。 …
P162

 

勤めている頃はそうでもありませんでしたが、退職後、木立で無所属の時間を過ごしているうちに貧楽めいたものを実感できるようになってきました。
が、残念ながらまだ ” 貧楽 ” の域には達していません。
そうなるには、上記貧楽人が如何に生きたかをもっともっと学ぶ必要があると思っています。

※ ” 貧楽 ” という言葉をどこかで見たことがあるなと思っていたら、何と過去にこのブログ記事で使っていたのでした。
興味のある方は、2017 8.24付ブログ記事『退職後 井戸を思う』をご覧ください。

〈話をもとに戻します〉
日本には、たとえ裕福であっても、 ” 貧楽 ” あるいはそれに近い暮らしをしている人がけっこういると思われます。
〈ケチとは全く意味が異なります〉
” 貧楽 ” の中に、” ほんとうのしあわせ ” を見ているからでしょうな。
そのような文化を持つ国で暮らせることに感謝しています。

【朴の木 人生を考える】唐木順三著:講談社学術文庫は、再読。
若い頃は今ほどピンときませんでした。
歳をとるのも悪くないですな。

【日本のこころ】を読む

【日本のこころ】岡潔著:講談社文庫

【日本のこころ】岡潔著:講談社文庫(右写真)を読んで印象に残った箇所を紹介します。

 


… … 日本は滅びる、滅びると思っていても案外滅びないかもしれない。というのは、日本民族はきわめて原始的な生活にも耐えられるというか、そういうところがあるので、自由貿易に失敗して、売らず買わずの自給自足となっても、結構やっていけそうにも思えるからである。然し日本の不思議な勤勉さ〈や親切さ〉のもとは、どうしても大脳新皮質としか思えませんから、そこだけは大切に守って下さい。 … P302


… パリへ行って、日本にあってここにない何か非常に大切なもののあることを覚り、〈それが「情」であるとはすぐわかったが、それが日本人にどうはいっているかを見ようとして〉日本人〈原型の〉はどんな人か見ようとした。始めはそれを芭蕉翁に求め、ここでいわば鉛筆で素描し、墨を入れるために、十数年道元禅師〈村上天皇7世の孫〉を『正法眼蔵』に追い求め、ついに「生死去来」の4字に追いつめ、これに思いを凝らして彼に会い、日本人の原型を見ると共に自分もそうであることを知った。 … … 日本人は、自分が既にそれであるか、まだ途中であってそうなっていないかを問わず、この日本人原型の自覚がないと、国の内に向けても、外に向けても使えない … … 。
P344~345

※ 著者:岡潔〈おか きよし〉について
純正数学の研究に没頭し、「多変数複素函数論」の分野における「三大問題」といわれる難題に解決を与え、世界的な数学者として認識される。

 

①より
” 失われた30年 ” とよく言われますが、要はここ30年、日本の自由貿易がうまくいかなかったということでしょうな。
その影響か、私の住んでいるところもジリ貧に近い状態ですわ。
が、筆者の言う通り、勤勉さやお互いに助け合うという親切さで何とか暮らしています。
そのような国民の美点に、為政者や企業等のリーダーが甘えているような気がしてならないのですが  … 。

②より
筆者は若い頃フランスに留学され、フランスには日本にあるような「情」がないと気付かれたようです。
それで、日本にあるような「情」の源、つまり日本人の原型を探るべく芭蕉翁や道元禅師に目を向け、彼〈筆者〉にもそれがそなわっていることを知りました。
そしてそれを自覚しない限り自国民とも他国民ともうまく交われない、とも言っています。

私こと
歳を重ねるごとに〈現在66歳〉、心のふるさとに近づいていっている感じがし、また、そこはどんなところなのか、いっそう知りたくなってきました。
心のふるさとを彼の言葉でいうと、日本人の原型ということになるかもしれません。
これを機に、芭蕉、道元関連の本も読もうと思っています。

 

【日本のこころ】岡潔著:講談社文庫は再読です。
若年の頃より今の方が理解できました。
彼がこのエッセイを書いたときの年齢と今の私の年齢がほぼ同じ、ということも関係しているのかな
。                                         

雪の日に『引き際』について考える

木立前が雪景色に 2022 12.18 10:40AM

〈午前〉10時過ぎからみぞれが雪に変わりました。(右写真)

本日の気温は2℃止まりとか。

薪ストーブを焚いてプレハブ内に籠ることに。

 

ネット動画を見ていると、成田悠輔氏〈経済学者:イェール大学助教授〉が、『引き際』の大切さについて話をなされていました。

「 … 日本が活性化できない理由の一つに、諸々の組織、団体等〈とくに政界と芸能界〉で高齢者が引退してくれないことがある。しがみつけるまでしがみついているというのは如何なものか。 …  『引き際』のモデルを示すのも一つの手なのに … 。」

といった内容でした。

 

… 同感 …

自分の『引き際』を思い起こしました。

真剣に『引き際』について考えたのは、定年退職1年前〈59歳時:今から7年前〉でした。

そのときの家庭の状況は、

・借金なしで蓄えが少々。
・大きな災害が起こらない限り
自宅は死ぬまで何とか持ちそう。
・子どもたちはすべて一人立ち。
・両親は健在。
・〈2歳年下の〉妻は現役で働いている。

… でした。

その一方で、ジャングル同然の木立〈ほぼ集落の中央に位置し、広さは0,5ha〉の手入れに追われていました。

で、『引き際』についてそれほど悩むことはありませんでした。

 

生活にお困りでないお歳を召したみなさん … 後進に道を譲ることをお考えになりませんか?

【日本語は天才である】を読む

【日本語は天才である】柳瀬尚紀著:新潮社

昨晩からずっと雨。

【日本語は天才である】柳瀬尚紀著:新潮社(右写真)を読了しましたので、印象に残った箇所を紹介します。

 

… … 無一文字だった日本語は、漢字を手に入れて、今度は独自の片仮名と平仮名を作りました。9世紀には定着した独特の文字です。これ自体は日本語の独創として自慢できるのではないでしょうか。 … P51

… 罵りの下手なことを、罵り語をあまり持ち合わせていないことを、日本語は誇りにしていいのではないでしょうか。 … … 日本語は品がいいのですな。 …P87~88

… おしっぽの「お」にはまた、猫に対する親愛の情もこめています。お爪、おヒゲ、お鼻など、同じ気持ちが自ずとこもる。 … … 「お」一つのこの豊かさは、まず外国語にはないでしょう。おしっぽやお爪は、翻訳不可能だと思います。日本語がこういう「お」をもっているということも、日本語の天才たる一端ではないでしょうか。
… P104

… 味の消滅と方言の消滅とは、密接につながっているのではないでしょうか。 … P155

… 妙なカタカナ語の多用は、思考停止、少なくとも翻訳放棄です。初めて出会った文字を翻訳した古代の人々、初めて出会った外国語を翻訳した明治の人びとのことを、たまにはちらりとでも思い起こす必要があるのではないでしょうか。 … P212

 

著者〈柳瀬尚紀氏〉は、英文学者、翻訳家です。

で、英語の真意を日本人に伝えるとき、どんな日本語が適切かについて、現代語のみならず、文語、漢語と広く深く研究なされています。

そして、その結果が、当著書のタイトル名『日本語は天才である』になっています。

外国語〈著者の場合は英語〉に秀でた方は自国語の長短をよく知る、と言われます。

そのような方が、「日本語は天才である」とおっしゃると、日本人の一人として何だかうれしくなりますな。

適切な日本語を使ったブログ記事にすべく日々精進したいと思っています。