【徒然草】に囲まれて

手元にある【徒然草】関連の本

30㎝ほどの積雪状態が続いて屋外作業ができず、ここ数日間プレハブに籠っています。

主に【徒然草】関連の本を読んでいます。

何で【徒然草】かって?

とくに理由はないのですが、強いて言うと、歳とともにご先祖様の魂に近づいていっているんでしょうな。

 

で、物置にあった【徒然草】に関する本を手元に揃えました。(右上写真)

① 【現代語訳対照 徒然草】安良岡康作訳注:旺文社文庫
② 【徒然草】西尾実・安良岡康作校注:岩波書店
③ 【永井路子の方丈記/徒然草】集英社
④ 【ヘタな人生論より徒然草】荻野文子著:河出書房新社
⑤ 【徒然草】島内裕子校訂・訳:ちくま学芸文庫
※ ①は若かりし頃新刊書店で買い、②~⑤は中年以降古本屋さんで買いました。

いつかじっくり読みたいと、買って置いてあったのです。

縁あってようやく読み始めました。

① 現代語訳、解説のみ読了。
本が古いので、読んでいる途中にばらけてしまいました。で、その替わりにと急遽⑤を〈古本屋さんで〉買ってきました。
② 力量不足ゆえ読むのが困難。
③ 読了。
④ 読了。
⑤ 現在読んでいる最中。〈訳だけですが〉

 

全部で243段 … 記録めいたことだけでなく、日常的な話題から、心理、教養、宗教、生き方など多岐に渡り広く深く書かれていますので、感想をと言われても、うまくまとめられないのが正直なところです。

ただ言えるのは、全文を読むと、学生時代に断片だけ齧ったのとは違い、兼好の人生に対する深い洞察がひしひしと伝わってくるということです。

700年ほど前に書かれたとは思われません。

現代でも通用するようなことがたくさん書かれています。

現代語訳を読むだけでもそのように伝わってくるのですから、原文で読むと、もっと強くリアルに伝わってくると思われます。

 

… 布団から顔を出し、②を読んでいるうちに眠りにつく …

そうありたいですな。

【笈の小文】を読む

【奥の細道 他四編】旺文社文庫 … 他四編のうちの一つが【笈の小文】です

松尾芭蕉の紀行文【笈〈おひ〉の小文〈こぶみ〉】(右写真)を読み、とくに印象に残った箇所を紹介します。

※ 1.15付ブログ記事では、【おくのほそ道】についてお伝えしました。
併せてご覧ください。

 

… … 栖〈すみか〉をさりて器物ねがいなし。空手〈くうしゅ〉なれば途中の愁〈うれひ〉もなし。寛歩〈くわんぽ〉駕〈が〉にかえ、晩食肉よりも甘し。とまるべき道にかぎりなく、立つべき朝〈あした〉に時なし。 … 148

『現代語訳』
… … 住む家なども捨ててしまって、良い器物を得たいという欲望もない。目ぼしいものは持っていないから道中盗難の心配もない。駕籠〈かご〉に乗る代わりに疲れないようにゆっくり歩き、宿に遅く着いて、とる夕食は粗末であっても、おなかがすいているので魚鳥の肉よりも美味である。今夜はどこで泊まろうというきまりがあるわけではなく、朝は何時に立つということもない。 … P149

 

上記ピックアップした個所を読むに、芭蕉はふつうの人がこだわることに無頓着だったようです。

無頓着というより、余計なこと〈普通の人にとっては大事なことですが〉にエネルギーを費やさずに、すべてを ” 美 ” の追求に注ぎたかったのではないでしょうか。

彼が追求した ” 美 ” とは何なのか?

【奥の細道】【野ざらし紀行】【鹿島紀行】【笈の小文】【更科紀行】などを読み込んで探っていくしかないですな。

 

何の縁かわかりませんが、今回、前述の5つの紀行文を読ませていただきました。
〈旺文社文庫にはすべて載っています〉

再読、三読 … … して、日本の心のふるさとに近づいていきたいと思っています。

最後に彼の辞世の句を紹介して、当ブログ記事を終わります。

… 旅に病んで夢は枯野をかけ廻る …

【おくのほそ道】を読む

【おくのほそ道】角川文庫

… 月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり … …

松尾芭蕉の紀行文:【おくのほそ道】(右写真)を読みました。

50年近く前に一度学校で習っていますが、記憶にあるのは前述の冒頭部分だけで、あとは、
… … … 。
〈おそまつですな〉

 

まずは全文に目を通し、次に現代語訳を読みました。

※ 全文がそれほど長くないので、そのようにできたんですな。
全文が長い場合は、区切りのいいところで、文語文と現代語訳を交互に見て行った方がいいかもしれません。

※ 文語文といっても若い頃ほどの抵抗はなく、むしろ歳を重ねるごとに読みたいという気持ちの方が強くなってきました。
66年間生きているうちにしぜんと語彙が増え、他人の思いを広く受け入れられるようになったことも影響しているんでしょうな。

 

で、とくに印象に残った箇所を紹介します。

… さてはこの内〈うち〉にこそと、門〈かど〉をたたけば、佗しげなる女の出でて、「いずくよりわたりたまふ道心の御坊にや。あるじはこのあたり何某〈なにがし〉といふ者のかたに行きぬ。もし用あらば尋ねたまへ」といふ。かれが妻なるべしと知らる。昔物語にこそかかる風情ははべれと、 … … 」
*道心…僧形の遁世者

この箇所を読んだとき、

自分の夫をはるばる訪ねて来たお客さん〈芭蕉〉に、
「どこからいらしたお坊さんのみなりをした世捨て人さんでしょうか。主人はこのあたりの〇〇さんのところに行きました。もし用がおありですならどうぞそちらへ。」
と言った奥さんの言い方、態度に驚きました。
〈ふつうなら急いで夫を呼んで来るでしょうが〉

芭蕉は芭蕉で、
「主の言動をあれこれ思うと、こりゃー、女房に間違いないわ。 … 昔物語にでも出てきそうな感じがするのお … … 」
と、気分を害することもなく聞いていたようです。

※ 私の解釈が間違っていたらゴメンナサイ。

 

… 夏草や兵どもが夢の跡 …
… 閑かさや岩にしみ入る蝉の声 …
… 荒海や佐渡に横たふ天の河 … 等、

” 俳聖 ” と崇められている松尾芭蕉 … 。

が、今回全文を読み通したことにより、上記のピックアップした箇所のように、芭蕉の新たな一面を知るところとなりました。

これを機に、野ざらし紀行、笈の小文なども全部読んでみたいですな。

【朴の木 人生を考える】を読む

【朴の木 人生を考える】唐木順三著:講談社学術文庫

【朴の木 人生を考える】唐木順三著:講談社学術文庫(右写真)を読んで印象に残った個所を紹介します。

 

… 日本の従来の文化、ことに中世以後のそれは、いわば貧楽の文化といえないことはない。
放浪詩人の西行や、方丈の庵に住んだ鴨の長明や、四畳半や三畳のわびた茶室をよしとした千利休や、風情終〈つい〉に菰〈こも〉をかぶるといった一所不在の芭蕉や、五合庵に乞食生活をした良寛や、真葛ガ原〈まくずがはら〉の小庵に住んだ池の大雅や、そういった貧楽人によって、最も高い、日本的文化がつくられてきた。さびとか、わびとか、しぶいとか、じみとか、そういう美的な生活的理念は今日においても死んではいない。日光の東照宮の示しているような、けばけばしく、ごってりしたものもないことはないが、それはすっきりして簡素な桂離宮の美とはけたちがいに下等なものとされている。 …
P162

 

勤めている頃はそうでもありませんでしたが、退職後、木立で無所属の時間を過ごしているうちに貧楽めいたものを実感できるようになってきました。
が、残念ながらまだ ” 貧楽 ” の域には達していません。
そうなるには、上記貧楽人が如何に生きたかをもっともっと学ぶ必要があると思っています。

※ ” 貧楽 ” という言葉をどこかで見たことがあるなと思っていたら、何と過去にこのブログ記事で使っていたのでした。
興味のある方は、2017 8.24付ブログ記事『退職後 井戸を思う』をご覧ください。

〈話をもとに戻します〉
日本には、たとえ裕福であっても、 ” 貧楽 ” あるいはそれに近い暮らしをしている人がけっこういると思われます。
〈ケチとは全く意味が異なります〉
” 貧楽 ” の中に、” ほんとうのしあわせ ” を見ているからでしょうな。
そのような文化を持つ国で暮らせることに感謝しています。

【朴の木 人生を考える】唐木順三著:講談社学術文庫は、再読。
若い頃は今ほどピンときませんでした。
歳をとるのも悪くないですな。

【日本のこころ】を読む

【日本のこころ】岡潔著:講談社文庫

【日本のこころ】岡潔著:講談社文庫(右写真)を読んで印象に残った箇所を紹介します。

 


… … 日本は滅びる、滅びると思っていても案外滅びないかもしれない。というのは、日本民族はきわめて原始的な生活にも耐えられるというか、そういうところがあるので、自由貿易に失敗して、売らず買わずの自給自足となっても、結構やっていけそうにも思えるからである。然し日本の不思議な勤勉さ〈や親切さ〉のもとは、どうしても大脳新皮質としか思えませんから、そこだけは大切に守って下さい。 … P302


… パリへ行って、日本にあってここにない何か非常に大切なもののあることを覚り、〈それが「情」であるとはすぐわかったが、それが日本人にどうはいっているかを見ようとして〉日本人〈原型の〉はどんな人か見ようとした。始めはそれを芭蕉翁に求め、ここでいわば鉛筆で素描し、墨を入れるために、十数年道元禅師〈村上天皇7世の孫〉を『正法眼蔵』に追い求め、ついに「生死去来」の4字に追いつめ、これに思いを凝らして彼に会い、日本人の原型を見ると共に自分もそうであることを知った。 … … 日本人は、自分が既にそれであるか、まだ途中であってそうなっていないかを問わず、この日本人原型の自覚がないと、国の内に向けても、外に向けても使えない … … 。
P344~345

※ 著者:岡潔〈おか きよし〉について
純正数学の研究に没頭し、「多変数複素函数論」の分野における「三大問題」といわれる難題に解決を与え、世界的な数学者として認識される。

 

①より
” 失われた30年 ” とよく言われますが、要はここ30年、日本の自由貿易がうまくいかなかったということでしょうな。
その影響か、私の住んでいるところもジリ貧に近い状態ですわ。
が、筆者の言う通り、勤勉さやお互いに助け合うという親切さで何とか暮らしています。
そのような国民の美点に、為政者や企業等のリーダーが甘えているような気がしてならないのですが  … 。

②より
筆者は若い頃フランスに留学され、フランスには日本にあるような「情」がないと気付かれたようです。
それで、日本にあるような「情」の源、つまり日本人の原型を探るべく芭蕉翁や道元禅師に目を向け、彼〈筆者〉にもそれがそなわっていることを知りました。
そしてそれを自覚しない限り自国民とも他国民ともうまく交われない、とも言っています。

私こと
歳を重ねるごとに〈現在66歳〉、心のふるさとに近づいていっている感じがし、また、そこはどんなところなのか、いっそう知りたくなってきました。
心のふるさとを彼の言葉でいうと、日本人の原型ということになるかもしれません。
これを機に、芭蕉、道元関連の本も読もうと思っています。

 

【日本のこころ】岡潔著:講談社文庫は再読です。
若年の頃より今の方が理解できました。
彼がこのエッセイを書いたときの年齢と今の私の年齢がほぼ同じ、ということも関係しているのかな
。