当たり前のことを改めて感じる

ジャガイモの土寄せをしました

そろそろジャガイモが大きくなって土を盛り上げる時期。

ジャガイモが地面から顔を出して日光に当たるとソラニンという有毒物質ができます。
〈緑色の部分に多い〉

で、地面から顔を出さないように、つまり日光に当たって有毒物質ができないように根元に土を寄せます。

今日の午前にその土寄せをしました。(右上写真)

 

昼食を食べながら、何の気なしにジャガイモ関連の動画を見ていると、

土寄せには有毒物質を防ぐ以外にも2つの目的があることがわかりました。

・地面の温度の上昇を防ぐ
ジャガイモの根元に土を寄せると、土が多くなる分、気温が上昇してもその影響は少なくなる。
地面の温度があまりに高いと、ジャガイモの育ちが悪くなる。

・風に倒れるのを防ぐ
ジャガイモの根元に高くなるようにたくさんの土を寄せると、茎の下部が安定し、風によってフラフラしたり倒れたりする率が少なくなる。

他、芽かきの時点でも土寄せをしなければならないことがわかりました。
〈ジャガイモの土寄せは2回行うんですな〉

 

ジャガイモをつくりはじめて今年で3回目。

過去2回は、見よう見まねでやった割にはそれなりに収穫がありました。

今思うと、たまたま幸運だったのでしょうな。

… 事前にしっかり調べたり聞いたりしてから事に当たる …

当たり前のことを改めて感じた次第です。
〈何事もそうですな〉

寄ってみたくなるような場所に

ジャングル状態だったところを畑にするのは大変でしたが、喜びもひとしおです。

4月上旬の頃だったと思います。

ラジオを流しながら作業をしていると、福島県の花見山公園が紹介されていました。

その中に、「1坪開墾するのに1日かかった」というような話もあり、鮮明に記憶に残っていました。

私自身の経験とぴったり重なっていたからです。

 

今日は朝からずっと雨で屋外作業ができず。

記憶を新たにすべくネットで花見山公園について調べてみました。

花見山公園2代目園主 故・阿部一郎氏の言として、

… 木を切って根を起こすという重労働を、機械を使わずに行うことは容易ではありません。1日1坪、良くできても3坪程度のペースでしか耕すことができませんでした。それでも雑木山に新しい畑ができた時の喜びは大変なものだったと振り返っています … … 。

とありました。

故・阿部一郎氏と私を比べるのはおこがましいのですが、

新しい畑ができたときの喜びは同じ、だと思っています。(右上写真)

 

現在は、4代目園主 阿部晃治氏が中心となり、花き農家の仕事をなされながら花見山公園をみなさんに開放されているということです。
… 福島県を代表する花の名所〈広さ:5ha〉とのこと …

私の木立は、広さからして1/10の0,5ha。

1人でも2人でも … 寄ってみたくなるような場所にしていきたいと思っています。

毎年よ彼岸の入りに寒いのは

寒の戻りですな 2022 3.18 3:00PM 木立前で

寒い!

朝から気温がほとんど変わらず、最高気温7℃といったところか。

寒の戻りですな。(右写真)

 

外はずっと雨風状態で出る気になれず、プレハブ内で旧暦に関する本を読んでいると、

『毎年よ彼岸の入りに寒いのは』

の俳句が目に入ってきました。

彼岸入り?

まず、彼岸とは、春分、秋分の日を中日として、その前後7日間をいいます。

俳諧ではとくに春の彼岸をいうそうです。〈広辞苑第六版より〉

今年の春分の日は3月21日 … その前後7日間となると、3月18日から3月24日までが彼岸期間となります。

で、彼岸入りは3月18日となり、今日がまさにその日に当たります。
〈ちなみに3月24日彼岸明け〉

 

季節の節目をぴったりとらえた〈上記の〉俳句が気になりましたので、ネットで調べてみました。

以下、ネット【きんくんの閑談R‐ 楽天ブログ】より

… 明治26〈1893〉年3月に、正岡子規が母に「彼岸というのに、寒いね」とつぶやくと、母は、「毎年よ、彼岸の入りに寒いのは」と答えたそうです。
そのとき、子規は、母の答えが五七五になっていることに気づき、子規は、そのまま一句にしたとのことです。 …

 

寒さゆえに新たに一句を知ることとなりました。

今後、この季節を迎えるたびに 子規の『毎年よ … … 』の句を思い出すことでしょう。

【「孤独」という生き方】を読む

【「孤独」という生き方】織田淳太郎著:光文社新書

【「孤独」という生き方】織田淳太郎著:光文社新書(右写真)を読み、印象に残ったくだりを紹介します。


… 背伸びすることなく、自分の寸法に合った生き方で、自分にできることだけをすればいい。別に小さなことだっていい。自分にできることを達成することが大切だと思うし、そういう気持ちがなければ、何を求めても満足はしないし、意味がないと思うんです。 …
P110


… いまの時代、豊かさを何でもお金や物に換算する人間ばかりや。ホントの豊かさとは心の豊かさであって、お金じゃないんだよ。六本木の超高級マンションなんかに住みたいやつの気がしれんな。そんな金があったら、山でも買って、そこで動物や虫たちとのんびり暮らしたほうがはるかに贅沢や。 …
P216~217

 

上記①のくだりは、著者〈織田氏の知人で、80歳近くの女性の方の言葉である。
彼女は現在人気のない山奥に一人で暮らしている。
暮しはじめて10年以上経っているとのこと。

上記②のくだりも、著者の知人で、75歳ほどの男性の方の言葉である。
彼も山奥で暮らしており、そのような生活を始めてから30年以上経っているとのこと。

 

お二人とも孤独ではあるが、 ” 一人ぼっち ” という意味合いは薄い。

世の中とつながりを持ちつつも、他人に惑わされることなく、ゆったりとした時間の流れの中で凛として生きている。

私もそのようにしたいのだが … 、

まだまだですな。

【日本の未来へ】を読む

【日本の未来へ】梅棹忠夫編著:NHK出版

【日本の未来へ】梅棹忠夫編著:NHK出版(右写真)を読む。

内容の大半は、司馬遼太郎氏と梅棹忠夫氏の対談である。

古いもので50年以上前、新しいもので30年前の対談が載せられている。
〈司馬氏が亡くなったのは26年前の1996年〉

が、中味は古さを全く感じさせない。

紹介したいくだりはたくさんあるが、現在問題になっているロシアとウクライナについて語っている箇所があったので、それを紹介する。

 

司馬氏
「 … … ソ連が崩壊して、ようやくロシア人の誇りを高らかにうたえるようになった。そうすると今度は、ウクライナの人たちがおれたちはロシア人じゃなくて、そのもとになったルーシーであると主張する。モスクワの連中には、あれはタタールが半分入っていて、顔を見てもわかるだろう。かれらは純粋のルーシーじゃないというわけです。なるほどそう言われてみると、エリツィンもタタールの顔をしていますね。

梅棹氏
ウクライナはやっぱり大ロシアのもとなんですよ。ウクライナの首府のキエフはドニエプルの川のほとりにできた街ですけど、そのドニエプルに面して、キエフ国家に大発展をもたらしたウラジミール大公の巨大な像が建っているんです。そこからずっと北へ入っていく。ロシアの文明は南のキエフ大公国から来ている。それが大ロシアのもとだという意識が彼らには明らかにあります。

司馬氏
一人の人間が自分が属する民族を意識するとき、、決して心安らかじゃありませんね。ただのお父さんやお母さんでなくなってしまう。民族としての優越性か、劣弱感か、どちらかに上下してしまう。時にはテロにもなる。 … … 」
P46~47

 

30年前になされた対談である。

残念ながら二人はもういない。
〈梅棹氏が亡くなったのは10年前の2010年〉

ロシアとウクライナの関係 … うまく収まることを願う次第です。