【ひねくれ一茶】を読む

【ひねくれ一茶】田辺聖子著:講談社

12月に入り、一茶に関する本を2冊読みました。

※ それらについては、
…12.5付ブログ記事『金子兜太養生訓】を読む…
…12.19付ブログ記事『小林一茶〈漂鳥〉の俳人』を読む…
をご覧ください。

で、一茶の生きざまをもっと知りたく、今回は【ひねくれ一茶】田辺聖子著:講談社(右上写真)を読みました。

以下、印象に残ったくだりです。

 


… 一茶は芭蕉の書もくりかえし読んだ。古今の歌書も俳書も読んでは書きとめ、書きとめては読み返した。しかし、句作のときはすべて忘れてしまう。ただ自分の腹の底の底から出てくるものだけに、耳傾ける。それはカンとしか、いいようがない。誰もいない道、まだ人の踏んでいない奥山をきわめたい、そんなカンにみちびかれるままにつくる。もっとも、それも、うんと人の句を見、知りおぼえた果てのことだった。 … P67


… … 俳諧に形のきまりはあるが、秘訣なんてありゃしねえ、教えるもんじゃなしに悟るもんだ。たとえば、庭の隅に、いい清水の湧く井戸を持ってるとする、人に汲み取らせて枯れさせてはならねえというので、きびしく柵を結いめぐらし、そのまま年を重ねると、いつか孑孑〈ぼうふら〉が湧いて蛭〈ひる〉が踊り、野中の埋れ井戸になってしまう、俳諧の秘伝口訣〈くけつ〉というのは、たいがい、こんなもの、 … … P130


… … 初雪や初しぐれや、ともてはやすのは、ゆたかに世を渡る人が楽しむ風流なのだ。日々のくらしに追われる貧者にとっては、悪いものが降る、と首をすくめるばかりだろう。そうだ、一茶の故郷の信濃〈しなの〉ではもう雪が降りはじめている頃だ。11月のはじめから白いものがちらちらする、人々は悪いものが降る、寒いものが降る、と口々に言い罵るのだ。やがて3,4尺も雪が積れば牛馬のゆき来は、はたと止まり、長い冬がくる。だから初雪を村人はどんなににくむか、 … …
P312

 

上記①②については、私も日々よく似たことを行ったり思ったりしています。
… 新しい物事には、過去の事例を調べたり経験者に聞いたりしてから取り組む …
… 秘訣より、試行錯誤の繰り返しから得た気づき〈悟り〉によって行動することがほとんど …
ただ、一茶は、それが徹底していて、また、自分にとても厳しいんですな。

③については、一茶の自然に対する思いにだんだん近づいてきたように思っています。
勤めていた頃は、仕事の内容が自然の影響をもろに受けるようなものでなかったせいか、自然の ” 美しさ ” に目が行きがちでした。
が、退職後、毎日木立の手入れをするようになってからは、自然の ” 厳しさ ” の方に目が行くようになりました。
猛暑下での除草もたいへんですが、積雪となると、外で作業をしようにもまったくできないのです。
おまけに雪かきにけっこうな労力を割かなければなりません。
とくに今年のように、早くから積雪状態ということになると、雪をにくみたくもなりますわな。

日が射し始めるとしぜんに体が外に

木立の間から日射しが 2021 12.26 2:40PM  木立前

朝玄関の戸を開けると、積雪なし。

雪かきをせずに済みました。

朝食後、すぐに自宅を出ました。

 

木立に着いて車から降りると、雪が舞い散り、冷たい北風が。

プレハブに入るや否や、薪ストーブを焚きました。

予報によると、今日の最高気温は0度に達しない〈真冬日〉とのこと。

こんな日は外出しないのが一番。
〈テレビでも不要不急の外出をしないように言っていますな〉

終日室内に籠って読書をすることに。

※ プレハブでは、BD、レコード等が常時見たり聴いたりできるようになっています。
また、プレハブに隣接する作業小屋には、いつでももの作りができるように材料や工具も揃えてあります。
〈作業小屋には薪ストーブまで設置してあります〉
… 外で作業ができないときに屋内で有意義な時間を過ごすために …
が、ほとんど使っていないのが現状。
〈理由はわかりません〉
外で作業ができない日は、たいてい読書をしています。
昨年あたりからユーチューブもけっこう見ているかな。

 

今読んでいるのは、【ひねくれ一茶】田辺聖子著:講談社です。

おもしろい。

この調子でいくと、明日読み終わりそう。

 

が、日が射し始め、窓が明るくなってくるとしぜんに体が外に … 。

午後のいっとき晴れ間がありましたので、木立をひと回りしました。(右上写真)

【変わらないために変わり続ける】を読む

【変わらないために変わり続ける】福岡伸一著:文藝春秋

ずっと雨続き。

【変わらないために変わり続ける】福岡伸一著:文藝春秋(右写真)を読み、印象に残ったくだりを紹介します。

… 科学と技術は違う。科学は、本来そんなに役に立たなくていいはずのもの。学者は文字通り、学ぶ者として、科学立国とか産業のシーズとかそんなことではなく、生命が本来的にもっている無限のやわらかさ、しなやかさの謎にただただ魅了されつづければよいのだ。 … P79

… きょうび、原稿はコンピュータで書いて、ネット経由で送り、ゲラのやり取りも全部メールでできる世の中。そうはいっても、やはり、ちょっと人恋しくなったとき、あそこに行けば誰かがいるはずという「いつもの場所」=エートスがあってもいいかなと。
… … そういう「いつもの場所」で、お酒を飲みながらたわいもない話をしているとき、それまで離ればなれになっていたヒントや記憶や言葉が初めてつながることがある。 … P151

… 商業的には単一品種を大量生産する大規模農業が推進されているアメリカだが、一方で、種の多様性を維持するため地道な努力が続けられているのだ。病害で現在種が打撃を受けるなど、いざというとき役に立つ。
隣の農園は、リンゴ品種の維持用フィールド。6千もの品種が栽培されているという。こういうところにアメリカの底力を見る。 … P182

… ips細胞だけが最先端科学ではないのである。あまり社交的ではなさそうな昆虫オタクたちが地面に這いつくばって(著者らは何度も通報や職質を受けたそうである)、1億年の進化の中で育まれた、最も驚くべき生物の社交性の実相を明らかにした。これもまた最先端科学であり、本書〈アリの巣の生きもの図鑑:The Guests of Japanese Ants〉は日本の文化的成熟度の到達点を示した好著である。
… P189

 

友人から、 ” 福岡伸一〈生物学者〉はおもしろい ” と聞き、氏の著書を読んでみた。

彼の言葉に間違いはなかった。

本書は、専門である生物学だけでなく、食文化、フェルメール〈画家〉等、多岐に渡って書かれていて、学術書というよりエッセイである。

生物学を極めた鋭い視点で、生物学はもちろんのこと、それ以外の分野に関しても、内容のレベルが高いにもかかわらず、平易な文章でとてもわかりやすくまとめられている。

【小林一茶 〈漂鳥〉の俳人】 を読む

【小林一茶 〈漂鳥〉の俳人】金子兜太著:講談社現代新書

先日【金子兜太養生訓】を読み、おもしろかったので、金子氏の書いた【小林一茶 〈漂鳥〉の俳人】:講談社現代新書「(右写真)を読みました。

以下、印象に残ったくだりを紹介します。

 

… 一茶の本音は、自分は芭蕉とは違う、ということだった。そのことが随所ににじみでていた。いちばんはっきりしているのが、前に紹介した、「景色の罪人」という考えかたなのである。目があっても犬と同じ、耳があっても馬のようなもの。初雪がきれいに降る日でも「悪いものが降〈ふる〉」と謗〈そし〉るし、時鳥がテッペンカケタカと鋭く鳴きすぎても、やかましいと憎むだけ。月が出ようと花が咲こうと、ただ寝ころぶだけさ。 … P177~178

… 古代人が、山川草木、鳥獣魚類のすべてを、生きものとおもい、それに精霊を感じ、カミとおもっていた、かのアニミズムといわれている感応の世界が、一茶の中に(身体の芯に)、人一倍色濃く宿っていた、 … … P183

… 成りゆき一切を阿弥陀如来にまかせて、自分は自分なりに生きていく…… この如来信仰の自得は、この文を書いた翌年、中風に倒れて命拾いしたあと、ますます徹底していくことになる。「ことしから丸儲ぞよ娑婆遊び」と命拾いした翌年の正月に作り、その次の年の60歳の正月になると、自分は「荒凡夫〈あらぼんぶ〉」で、迷いのかたまりのような男だ、といいきるようになる。こんな男の「愚につける薬」はないかもしれないが、「なを行末も愚にして、愚のかはらぬ世をへることをねがふのみ」。迷いのふかい、なにもわかっていない自分だが、それはそれなりに、生きていこう。荒凡夫となって生きていき、「娑婆遊び」を楽しもう。他人に気がねなどいらぬ、というわけである。
… P196~197

 

「やれ打つな蠅が手を摺り足をする」
「雀の子そこのけそこのけ御馬が通る」
「痩蛙まけるな一茶是ニ有」 … etc.
一茶の俳句は日々の生活を映していてスッと入っていける。

そのような俳句が生まれた経緯について、本書では、

一茶の紀行や日記はもとより、金子氏の豊かな知識、経験、そして、人を見る確かな目を通してとてもわかりやすくまとめられている。

最後に、この時期にふさわしい一茶の句で締めたい。

ともかくもあなた任せのとしの暮

※ あなたとは阿弥陀如来のこと。

【金子兜太養生訓】を読む

【金子兜太養生訓】黒田杏子著:白水社

降ったり止んだり。

時たまあられも。

寒い〈最高気温8℃?〉日です。

【金子兜太養生訓】黒田杏子著:白水社(右写真)を読み、印象に残ったくだりを紹介します。

 

… 漂泊者はメモをするのが好きなようです。一茶もそう、山頭火もそう、尾崎放哉もある程度、メモ好きに近いものがある。彼らはみな、移動していきますからね。まとめた表現ができないので、記録だけしていくんです。書かざるをえなかったんだろうな。不安なんです。何でもいいから書いておきたいという気持ちがあるんじゃないかな。捨てるのが惜しい。過ぎ去ったものだからいいんだという割り切りができない。未練がましいというか。私もトラック島で1日も欠かさず書いていましたから、やはり漂泊者だ。漂泊者の系譜に連なっているんですな。 …
P182

… だいたい俳諧師は連歌師以来、旅の中で暮らしを立てていたわけです。そういう彼らの生活形態が伝わっているわけだが、そういう伝統は私たちの時代にはもうない。俳句を売って歩いて食っているなんてことはまず考えられないということから、定住状態にいて、自分の内なるこの漂泊の心情をいかに温めていくか。しかし、温めるだけでは生きる力にならんかもしれんから、この漂泊心情をテコにして、何かを定住の状態の中に築き上げていく。漂泊の心情というものを抑え込んで、それを創作のエネルギーにして具体的なものを作り上げていく。そういうふうに考えていかないといかん。
私の場合だと俳句と自分の考えというものを築き上げていこう。金子兜太独自のものを築き上げていこう。 … P226

 

一茶、山頭火、尾崎放哉、金子兜太と同列に並べて自分を語ることは非常におこがましいのですが、ひと言語らせてください。

私がほとんど毎日メモをするようになったのは定年退職後です。
〈そのメモをもとに日々ブログ記事を書いています〉

ということは、私も ” 漂泊者 ” ?

金子氏がおっしゃる通り、私が毎日メモをするようになったのは、〈定職がなくなり〉不安で、何でもいいから書いておきたいという気持ちになったのかもしれません。

 

が、私も金子氏同様定住者の身。
〈再度言いますが、同列に並べてすみません。〉

漂泊の心情を創作のエネルギーにして木立の手入れにいそしみ、みなさんの目を楽しませるようなガーデンを築き上げていきたいと思っています。