ボチボチやっていくしかないですな

〈午前〉9時過ぎからずっと玉切りをしていました

先日友人と5本の杉を伐採しました。

友人が来る前にすでに自分一人で5本の杉を伐採していましたので、今秋は、今のところ合わせて10本伐採したことになります。

 

胸高径約25㎝、長さ18m前後の杉が10本横たわっている光景はなかなか壮観なものです。

… が、感心ばかりしていられません。

処理しなければなりません。

 

今朝、さっそく落とした枝を焼却しました。

〈午前〉5時半頃から燃やし始め、終わったのは〈午前〉7時頃。

終わったといっても燃え尽きたわけではなく、大きな炎が見えなくなっただけです。

で、プレハブの窓越しに火の様子をうかがいながら朝食を食べました。

その後、ブログ記事を投稿したり、木立を回ったりしているともう〈午前〉9時過ぎ。

それから伐採杉の幹を45㎝長に玉切りする作業を始めました。

※ 45㎝長に切ると、私の薪ストーブにも親戚の薪風呂にもちょうど合うのです。
【玉切り〈たまぎり〉】
立木を伐採した後、枝払いをし、木の特徴に合わせ一定の寸法に切断して素材丸太にすること。こうして切断された丸太を玉という。
… ネットより

作業が終わったのは、〈午後〉5時過ぎ。(右上写真)

 

伐採杉の事後処理はまだ始まったばかり。

すべて処理するのにのべ一週間はかかりそう。

天候の具合を見ながらボチボチやっていくしかないですな。

【毎日が日曜日】を再読する

【毎日が日曜日】城山三郎著:新潮文庫

【毎日が日曜日】城山三郎著:新潮文庫(右写真)を再読しました。

最初に読んだは、42年前。

奥付に昭和54年11月発行とありますので、就職する数か月前ということになります。

※ ちなみに私が就職したのは昭和55年〈1980年〉。
就職してから読んだ記憶はないので、いつ読んだかが割とはっきりわかります。
当時買ったものは処分してしまいました。
先日古本屋さんでたまたま見つけ、再度読みたくなり購入しました。

 

再読する前に、内容についておぼろげながら覚えていたのは、
定年退職者が人生の最期に大型冷蔵庫に入って死ぬことだけでした。

 

再読して印象に残ったくだりを紹介します。

… やりたいことを気ままにやる。やりたくないことは、一切、やらない。たのしくないことには、見向きもしないんだ … P34

… 孤独な退職者たちにとって、スモッグ以上におそろしいのが、退屈さである。さまざまな刺激に満ち、雑然とした大都会は退屈さをまぎらわせてくれる。孤独な退職者には、大都会こそよく似合った。
… 219

… 平凡な話だが、いちばんいいのは、、生計の道は別にあって、気が向いたときだけ、釣りに行くというくらしじゃないのかね。
… P403

… 何のために生きているかなどといわず、はげしい楽しみも求めず、いまの生活のままで、まずまず満足すべきではないか … P423

… 「気ままで長生き」するためには、少しばかり内容があり、働きがいのある生活は必要のようであった。何かひとつ、軽く支えになるものがあり、また、軽くたよりにされるものがあっていい。日程表の先の先まですべて空白というのでなく、適当にたのしい日程ができていて、しかも、空白が多い、という感じがいい。
それに、完全に無為、完全に孤独ということになると、ただ等身大の存在が社会に残留しているだけということになり、不安定であり、妙ないい方だが、地球のお荷物になっている、という感じにもなる。完全に自由になるためには、むしろ、少しばかり、地球に貸しがあった方がいい。 … P535~536

 

40年以上も前に著者が言ったこと … 今でも十分に通用するようです。

現在出回っている退職後の過ごし方に関する本の内容とそれほど変わらないようにも思われます。
〈退職前後にその手の本を20冊ほど読みました〉

何やかんやいって、最終的に具体化していくのは自分自身ですな。

今日は『歎異抄デー』でした

2個とも見るからにおいしそうなウリですな

朝からずっと雨。

止む気配なし。

プレハブ内に籠って読書とユーチューブ視聴をすることに。

今日は『歎異抄〈たんにしょう〉デー』にしようか。

 

午前と午後に小雨状態の時間帯がありましたので、それぞれ30分ほど傘をさして木立を散歩しました。

昼は飯盒でご飯を炊き、おかずは昨日の夕食の残りで済ませました。

※ 夕食でおかずが余ったとき、それを持って来てレンジで温め、昼食のおかずにしています。〈それで十分〉

時折、コーヒーを飲みながら窓外の雨の景色を楽しみました。

… あとは歎異抄の世界で、親鸞先生及び唯円先生と静かに語り合い …

穏やかな時間でした。

 

〈午後〉4時を過ぎた頃に雨が上がりました。

それからしばらくすると集落のおじいちゃんが訪ねて来ました。

「おるか? ああ、休んどるとこ悪いのお。 … これ持って来たんや。 … 今年は不作や思うとったけど、最近急に生〈な〉り出してのお。 … ウチだけで食べ切れんし、持って来たんや … 。」

手に2個の黄色いウリ(右上写真)が入った袋を持っていました。

「見るからにおいしそうですね。 … いただきます。」

と丁重にお礼を言いました。

 

おじいちゃんが帰った後、はたと気がつきました。

彼が熱心な浄土真宗の門徒だということを。

… … …

まさに『歎異抄デー』というに相応しい一日と相成りました。

【歎異抄】を座右の書として

左から 【歎異抄】安良岡康作訳注:旺文社文庫,【『歎異抄』を読む】田村実造著:NHKブックス,【歎異抄】本願寺出版社,【歎異抄をひらく】高森顕徹著:1万年堂出版

・【歎異抄】安良岡康作訳注:旺文社文庫(右写真)
・【『歎異抄』を読む】田村実造著:NHKブックス(右写真)

これら2冊、若かりし頃買うも、意訳を少しだけ読んでお蔵入り … 。

・【歎異抄】本願寺出版社(右上写真)
を退職時〈4年前〉に西本願寺〈京都市〉にて購入も、意訳を3~4回読んで枕代わりに … 。
〈親鸞先生、唯円先生、ゴメンナサイ。〉

 

どうして読むのを止めてしまったのか。

歎異抄第3章のあるくだりを例にとると、

… … 自力で修めた善によって往生しようとする人は、ひとすじに本願のはたらきを信じる心が欠けているから、阿弥陀仏の本願にかなっていないのです。しかしそのような人でも、自力にとらわれた心をあらためて、本願のはたらきにおまかせするなら、真実の浄土に往生することができるのです。 …
【歎異抄】本願寺出版社 P8より

とあります。

で、私は、

◇ 自力で修めた善によって往生 → これのどこがダメなんだ!
◇ 自力にとらわれた心をあらため → 努力するなっていうことか!

というように感じました。

他のいくつかの章においてもそのように感じたくだりがあり、そのことが、読むのを止めてしまった主な原因でした。

 

昨夕たまたまユーチューブで、菊谷隆太氏が歎異抄について語っているのを視聴しました。

今日も朝から雨 … で、プレハブに籠り、午前中ずっと氏のユーチューブを視聴していました。

昨夕の分と合わせ、全部で10番組ほど視聴したでしょうか。

歎異抄でいっている ” 他力  を単に他人頼みととらえていた自分が浅はかで恥ずかしく、情けなくなりました。

すぐにお蔵入りになっていた本を引っぱり出してきました。

そして、菊谷氏の推奨する【歎異抄をひらく】高森顕徹著:1万年堂出版(右上写真)を買ってきました。

※ これで歎異抄に関する本は全部で4冊となりました。(右上写真)
時と場合に応じて使い分けて読んでいきたいと思っています。

 

現在65歳 … 浄土真宗の門徒でもあります。

歎異抄を読むにはちょうどいい頃合いかも。

ひょっとして今回の秋の長雨が、歎異抄に結び付けてくれたのか … 。

これも ” ご縁 ” かな。

座右の書として、できれば原文で読んでいきたいと思っています。

【思想なんかいらない生活】を読む

【思想なんかいらない生活】勢古浩爾著:ちくま新書

晴耕雨読を地で行くような生活をしております。

さて、【思想なんかいらない生活】勢古浩爾著:ちくま新書(右写真)を読み、印象に残ったくだりを紹介します。

… … わたしはいかなる意味においても「知識人」なんかではない。むしろ存在のあり方としては、完全に非知識人である。
けれども、哀しいことに世間ともなじまない。世間の価値になじんで何の違和も感じないのが大衆だとするなら、わたしはたぶん大衆ではない。世間と根本的には打ち解けることができない。大衆の「明るさ」はわたしにはない。陰鬱である。無口である。わたしはちっとも深刻でも難解でもないのに、世間に対して親和的ではない。世間での当然な振る舞い、世間が求める欲望はわたしのものではない。なぜかはわからない。 … P236

 

先日読んだ森田療法に関する本〈前々回のブログ記事参照〉に、

神経症に陥る主な原因は、

理想と現実の落差を埋めようと頑張り過ぎることにある、というようなことが書かれていました。

ふと「下手に思想を持つと理想も高くなるんだろうな」と思いました。

で、ちょうど手元に【思想なんかいらない生活】というタイトル名の本がありましたので、さっそく読みました。

結論を先に言うと、思想がないことと神経症との因果関係については触れられていませんでした。

 

ただ、上記のくだりを読んだときに私のことを言っているようで、つい紹介した次第です。

※ 勢古氏を私と同列に並べるような物言いをし、たいへんな失礼かなと甚だ恐縮しております。