【ポーツマスの旗 外相・小村寿太郎】を読む

【ポーツマスの旗 外相・小村寿太郎】吉村昭著:新潮社

3日連続の雨。

今日が最もひどい。

おかげさまと言えばいいのか、【ポーツマスの旗 外相・小村寿太郎】吉村昭著:新潮社(右写真)が読了できました。

 

1905年〈明治38年〉、アメリカ合衆国のポーツマスというところで、

アメリカ大統領、セオドア・ルーズベルトの仲介により、

日本の全権:小村寿太郎とロシアの全権:ウイッテが日露戦争の講和条約を結びました。

結果は犠牲の割に日本の取り分が少なく、民衆が憤りを爆発させ、主に東京で暴動が起こりました。

※ 当時の日本の国力を考慮すると、たとえ取り分が少なくても戦争を止めざるをえませんでした。
もし、取り分を多くしようとして講和会議が決裂していたら、現在の日本があったかどうか … 。
詳しく知りたい方は、ぜひ上記著書をお読みになってください。

 

で、今回は、小村寿太郎の私生活に焦点を当てて印象に残ったくだりを紹介します。

… 外相官邸を引き払わなければならなくなった小村は、落ち着き先をあれこれと考えた。かれは、家屋というものに関心がなく、官舎以外はすべて借家住いで過ごしてきていたが、精神錯乱を起こしている妻のために小石川の原町に家を購入した。 … P269
〈そこには彼の妻や子どもたちが住み、彼は家族と別居。〉

… かれの生活は、徹底して簡素であった。官邸では着物で過していたが、それも夏、冬1枚ずつで、しかも粗末なものであった。多くの勲章をもらっていたが関心はなく、戸棚の中にしまったまま胸におびることはなかった。かれのもとにはさまざまな贈物があったが、包紙を開くこともしない。物品に対する興味の欠如しているかれは、贈物をもらっても、迷惑そうに顔をしかめていた。 … … P273

… 小村は、… 葉山村一色に年300円の家賃で借りた家に移り住んだ。その家は、第2次桂内閣の外相に就任後借りた家で、週末に時折り訪れては休息をとっていた。
… … わずかに次男捷治が時折り訪れてくるだけであった。
家は8畳3間、4畳半3間の梁がかたむき庇のゆがんだ粗末な家であった。家事は宇野弥太郎が引受け、土地の男と女が通いで働いていた。 … P282~283

 

徹底して簡素な生活をし、そして、テニソン詩集を愛読した小柄で痩せた男 … 小村寿太郎。

偉大な外相でした。

ボチボチやっていくしかないですな

〈午前〉9時過ぎからずっと玉切りをしていました

先日友人と5本の杉を伐採しました。

友人が来る前にすでに自分一人で5本の杉を伐採していましたので、今秋は、今のところ合わせて10本伐採したことになります。

 

胸高径約25㎝、長さ18m前後の杉が10本横たわっている光景はなかなか壮観なものです。

… が、感心ばかりしていられません。

処理しなければなりません。

 

今朝、さっそく落とした枝を焼却しました。

〈午前〉5時半頃から燃やし始め、終わったのは〈午前〉7時頃。

終わったといっても燃え尽きたわけではなく、大きな炎が見えなくなっただけです。

で、プレハブの窓越しに火の様子をうかがいながら朝食を食べました。

その後、ブログ記事を投稿したり、木立を回ったりしているともう〈午前〉9時過ぎ。

それから伐採杉の幹を45㎝長に玉切りする作業を始めました。

※ 45㎝長に切ると、私の薪ストーブにも親戚の薪風呂にもちょうど合うのです。
【玉切り〈たまぎり〉】
立木を伐採した後、枝払いをし、木の特徴に合わせ一定の寸法に切断して素材丸太にすること。こうして切断された丸太を玉という。
… ネットより

作業が終わったのは、〈午後〉5時過ぎ。(右上写真)

 

伐採杉の事後処理はまだ始まったばかり。

すべて処理するのにのべ一週間はかかりそう。

天候の具合を見ながらボチボチやっていくしかないですな。

【毎日が日曜日】を再読する

【毎日が日曜日】城山三郎著:新潮文庫

【毎日が日曜日】城山三郎著:新潮文庫(右写真)を再読しました。

最初に読んだは、42年前。

奥付に昭和54年11月発行とありますので、就職する数か月前ということになります。

※ ちなみに私が就職したのは昭和55年〈1980年〉。
就職してから読んだ記憶はないので、いつ読んだかが割とはっきりわかります。
当時買ったものは処分してしまいました。
先日古本屋さんでたまたま見つけ、再度読みたくなり購入しました。

 

再読する前に、内容についておぼろげながら覚えていたのは、
定年退職者が人生の最期に大型冷蔵庫に入って死ぬことだけでした。

 

再読して印象に残ったくだりを紹介します。

… やりたいことを気ままにやる。やりたくないことは、一切、やらない。たのしくないことには、見向きもしないんだ … P34

… 孤独な退職者たちにとって、スモッグ以上におそろしいのが、退屈さである。さまざまな刺激に満ち、雑然とした大都会は退屈さをまぎらわせてくれる。孤独な退職者には、大都会こそよく似合った。
… 219

… 平凡な話だが、いちばんいいのは、、生計の道は別にあって、気が向いたときだけ、釣りに行くというくらしじゃないのかね。
… P403

… 何のために生きているかなどといわず、はげしい楽しみも求めず、いまの生活のままで、まずまず満足すべきではないか … P423

… 「気ままで長生き」するためには、少しばかり内容があり、働きがいのある生活は必要のようであった。何かひとつ、軽く支えになるものがあり、また、軽くたよりにされるものがあっていい。日程表の先の先まですべて空白というのでなく、適当にたのしい日程ができていて、しかも、空白が多い、という感じがいい。
それに、完全に無為、完全に孤独ということになると、ただ等身大の存在が社会に残留しているだけということになり、不安定であり、妙ないい方だが、地球のお荷物になっている、という感じにもなる。完全に自由になるためには、むしろ、少しばかり、地球に貸しがあった方がいい。 … P535~536

 

40年以上も前に著者が言ったこと … 今でも十分に通用するようです。

現在出回っている退職後の過ごし方に関する本の内容とそれほど変わらないようにも思われます。
〈退職前後にその手の本を20冊ほど読みました〉

何やかんやいって、最終的に具体化していくのは自分自身ですな。

今日は『歎異抄デー』でした

2個とも見るからにおいしそうなウリですな

朝からずっと雨。

止む気配なし。

プレハブ内に籠って読書とユーチューブ視聴をすることに。

今日は『歎異抄〈たんにしょう〉デー』にしようか。

 

午前と午後に小雨状態の時間帯がありましたので、それぞれ30分ほど傘をさして木立を散歩しました。

昼は飯盒でご飯を炊き、おかずは昨日の夕食の残りで済ませました。

※ 夕食でおかずが余ったとき、それを持って来てレンジで温め、昼食のおかずにしています。〈それで十分〉

時折、コーヒーを飲みながら窓外の雨の景色を楽しみました。

… あとは歎異抄の世界で、親鸞先生及び唯円先生と静かに語り合い …

穏やかな時間でした。

 

〈午後〉4時を過ぎた頃に雨が上がりました。

それからしばらくすると集落のおじいちゃんが訪ねて来ました。

「おるか? ああ、休んどるとこ悪いのお。 … これ持って来たんや。 … 今年は不作や思うとったけど、最近急に生〈な〉り出してのお。 … ウチだけで食べ切れんし、持って来たんや … 。」

手に2個の黄色いウリ(右上写真)が入った袋を持っていました。

「見るからにおいしそうですね。 … いただきます。」

と丁重にお礼を言いました。

 

おじいちゃんが帰った後、はたと気がつきました。

彼が熱心な浄土真宗の門徒だということを。

… … …

まさに『歎異抄デー』というに相応しい一日と相成りました。

【歎異抄】を座右の書として

左から 【歎異抄】安良岡康作訳注:旺文社文庫,【『歎異抄』を読む】田村実造著:NHKブックス,【歎異抄】本願寺出版社,【歎異抄をひらく】高森顕徹著:1万年堂出版

・【歎異抄】安良岡康作訳注:旺文社文庫(右写真)
・【『歎異抄』を読む】田村実造著:NHKブックス(右写真)

これら2冊、若かりし頃買うも、意訳を少しだけ読んでお蔵入り … 。

・【歎異抄】本願寺出版社(右上写真)
を退職時〈4年前〉に西本願寺〈京都市〉にて購入も、意訳を3~4回読んで枕代わりに … 。
〈親鸞先生、唯円先生、ゴメンナサイ。〉

 

どうして読むのを止めてしまったのか。

歎異抄第3章のあるくだりを例にとると、

… … 自力で修めた善によって往生しようとする人は、ひとすじに本願のはたらきを信じる心が欠けているから、阿弥陀仏の本願にかなっていないのです。しかしそのような人でも、自力にとらわれた心をあらためて、本願のはたらきにおまかせするなら、真実の浄土に往生することができるのです。 …
【歎異抄】本願寺出版社 P8より

とあります。

で、私は、

◇ 自力で修めた善によって往生 → これのどこがダメなんだ!
◇ 自力にとらわれた心をあらため → 努力するなっていうことか!

というように感じました。

他のいくつかの章においてもそのように感じたくだりがあり、そのことが、読むのを止めてしまった主な原因でした。

 

昨夕たまたまユーチューブで、菊谷隆太氏が歎異抄について語っているのを視聴しました。

今日も朝から雨 … で、プレハブに籠り、午前中ずっと氏のユーチューブを視聴していました。

昨夕の分と合わせ、全部で10番組ほど視聴したでしょうか。

歎異抄でいっている ” 他力  を単に他人頼みととらえていた自分が浅はかで恥ずかしく、情けなくなりました。

すぐにお蔵入りになっていた本を引っぱり出してきました。

そして、菊谷氏の推奨する【歎異抄をひらく】高森顕徹著:1万年堂出版(右上写真)を買ってきました。

※ これで歎異抄に関する本は全部で4冊となりました。(右上写真)
時と場合に応じて使い分けて読んでいきたいと思っています。

 

現在65歳 … 浄土真宗の門徒でもあります。

歎異抄を読むにはちょうどいい頃合いかも。

ひょっとして今回の秋の長雨が、歎異抄に結び付けてくれたのか … 。

これも ” ご縁 ” かな。

座右の書として、できれば原文で読んでいきたいと思っています。