【思想なんかいらない生活】を読む

【思想なんかいらない生活】勢古浩爾著:ちくま新書

晴耕雨読を地で行くような生活をしております。

さて、【思想なんかいらない生活】勢古浩爾著:ちくま新書(右写真)を読み、印象に残ったくだりを紹介します。

… … わたしはいかなる意味においても「知識人」なんかではない。むしろ存在のあり方としては、完全に非知識人である。
けれども、哀しいことに世間ともなじまない。世間の価値になじんで何の違和も感じないのが大衆だとするなら、わたしはたぶん大衆ではない。世間と根本的には打ち解けることができない。大衆の「明るさ」はわたしにはない。陰鬱である。無口である。わたしはちっとも深刻でも難解でもないのに、世間に対して親和的ではない。世間での当然な振る舞い、世間が求める欲望はわたしのものではない。なぜかはわからない。 … P236

 

先日読んだ森田療法に関する本〈前々回のブログ記事参照〉に、

神経症に陥る主な原因は、

理想と現実の落差を埋めようと頑張り過ぎることにある、というようなことが書かれていました。

ふと「下手に思想を持つと理想も高くなるんだろうな」と思いました。

で、ちょうど手元に【思想なんかいらない生活】というタイトル名の本がありましたので、さっそく読みました。

結論を先に言うと、思想がないことと神経症との因果関係については触れられていませんでした。

 

ただ、上記のくだりを読んだときに私のことを言っているようで、つい紹介した次第です。

※ 勢古氏を私と同列に並べるような物言いをし、たいへんな失礼かなと甚だ恐縮しております。

【日本語のために】丸谷才一著 を読む

【日本語のために】丸谷才一著:新潮社

終日雨でした。

プレハブに籠り、本を読んでいました。

読んだのは、【日本語のために】丸谷才一著:新潮社(右写真) … 以下、印象に残ったくだりを紹介します。

 

… … 口語文には、文語文という骨格がとほつてゐる。とすれば、子供に文語文を読ませることの重要性は至つて明らかな話になろう。それが日本語の文体をすこやかにし、美しく保つための、基本的な手段なのである。国語は常に古典主義によつて養われてゐなければならない。 … P38

… 日本自然主義と私小説とは、無教養を恥とせずにかへつて誇るような奇怪な文学風土を作りあげたのだが、これは現代文学と古典主義との関係をますます薄くさせたし、現代文体をますます放恣なものにする大きな一因となつてゐるからである。 … P77~78

… 漢字というのは一字一字が意味概念を持つてゐるから、その組み合わせによる新語と出会つても類推がきく。 … P122

… 本来、一文明にとつて、その国語の最上の教師は、文学者であるはずなのだ。かういうことは、藤原定家にとつても、芭蕉にとつても、森鷗外にとつても自明のことだつたろう。しかし志賀〈直哉〉に至つて、文学者は国語の教師であることをやめ、さらには日本語をフランス語にかえようなどと、自分の生存の根拠を否定する説を吐くことになつたのである。 … P207

… われわれはあくまでも自分自身の精神と感覚のための貴重な道具として、日本語を大事にしなければならない。 … P208

 

二十歳頃のときに当著書を一度読んでいます。

正確な日本語を話したり書いたりする人間になりたいと思っていました。

あれから45年 … 結果は … … … 。

が、気持ちは当時とまったく変わりません。

読み書きをする体力がある限り、今後も日々精進したいと思っています。

 

今回再読し、著者〈丸谷氏〉の日本語を大事にしようという熱い思いを改めて知るところとなりました。

なお、著者の考え方や人柄等について、彼に近しかった川本三郎氏〈評論家〉が、氏の著書【そして、人生は続く:平凡社】〈P272~276〉で書いています。

【神経症の時代 わが内なる森田正馬】を読む

【神経症の時代 わが内なる森田正馬】渡辺利夫著:TBSブリタニカ

久しぶりに〈菜園横の〉物置に入りました。

本棚にある本の背表紙を見るともなしに見ていると、 ” 森田正馬 ” の文字が目に止まりました。

” 森田正馬 ”〈もりた しょうま〉 ?

… … あっ、マドモアゼル・愛氏がよく言っている … 。

※ マドモアゼル・愛氏については、2020 9.7付ブログ記事【『マドモアゼル・愛』氏の話を聴き直す】をご覧ください。
氏は〈もりた しょうま〉と言っていますが、それは通称であって、正式には〈もりた まさたけ〉のようです。

で、さっそく【神経症の時代 わが内なる森田正馬】渡辺利夫著:TBSブリタニカ(右上写真)を読みました。

以下、印象に残ったくだりを紹介します。

 

… 森田療法の真髄は、症者の苦悩は苦悩のままに、激しい苦悩を引きずりながらも、しかし日常の生活はこれをまっとうさせるというものであった。苦悩は、これを排除しようとはからえばますます昂じる。それゆえ、症者の苦悩はそのままに放置させ、しかしなすべき日常の仕事はこれを継続させるという、ある種の行動療法が正馬のものであった。作家である〈倉田〉百三には、回転恐怖は致し方なしとして、ともかく作品を書き続けるよういいつけた。 … P56

… われわれは、みずからの精神はみずからの意のままに自由にこれを支配することができると考える傾きがある。自分の身体を宇宙に浮かすことができないのは誰でも知っているが、こと精神については、自分で思うように感じ、随意に意志を左右できるかのように考えがちである。ここがそもそもの迷走の始まりであると正馬は主張する。 … P67

… 精神の内界を観察批判して快、不快にかかずらっていた症者の気分本位の心の傾きを重作業をなし遂げたことの人間本然のよろこびに転換させるのである。症者は、仕事を通じて得られる心身機能の発揚のよろこびが何ものにも勝ることを反復体験し、予期考慮と価値的判断を没却して生きることの幸福を体得する。外界の対象と合一し、自我を没却して重作業を一つ一つこなしていく過程で得られる体験的悟得こそが、症者を健常にもどす最後の技法であると正馬は見ていた。
… P101

… 自然生命体としての人間は、生得的に生の欲望において強い存在であり、この欲望は死の恐怖の反面である。生の欲望と死の恐怖とこの両面のきわどい両刃の剣の上に身をおいて、からくもその平衡を保ちながら歩いていく日常が、すなわち人生である。不快、不安、恐怖は、人間が生の欲望を没却できない以上、精神の中に常住するものである。この事実、すなわち死の恐怖が生の欲望の反面であることをまごうことなく認めさせ、その上で生の欲望に率直に身をゆだねて人生を送るという態度にめざめさせることが、森田療法の核心であった。
… P109~110

 

勤めていた頃、仕事上で不快な気持ちになることが時々ありました。
そんなときは、溜っていた未処理の事務的な〈あまり考えなくてもよい機械的な〉作業をするようにしていました。
遅くまで仕事をすることになりましたが、いつの間にか不快な気持ちが薄らいでいました。
溜っていた仕事を済ませたので、スッキリした気分になったことも大いに関係していると思いますが … 。

退職後は独りでいることが多いせいか、昔のことをよく思い出します。
よいことばかりでなく、嫌なことも … 。
が、山ほどある木立や菜園の手入れがそれを忘れさせてくれます。

 

私の狭い範囲の知識、経験で物を言うのも何ですが、
森田正馬氏の考えは、現実的だと思います。

森田療法に関する本を読んだのは今回が初めてです。
たまたま手にした本が初めての者にとってもとてもわかりやすく、しかもおもしろく読めたのは幸運でした。

【漢文の素養】加藤徹著 を読んで

【漢文の素養 誰が日本文化をつくったのか?】加藤徹著:光文社新書

【漢文の素養 誰が日本文化をつくったのか?加藤徹著:光文社新書(右写真)を読み、二つのことを思い出しました。

今回は、それらをお伝えします。

 

・漢字を全廃した地域 ……北朝鮮・ベトナム
・漢字の全廃を予定していた地域 ……中国
・漢字を極端に制限した地域 ……韓国
・漢字を簡略化して使っている地域 ……日本
・漢字を無制限に使っている地域 ……台湾・香港
… P17より

25年前にベトナム〈漢字を全廃〉へ行ったときのことを思い出しました。

※ 詳細は、2.9付ブログ記事『【私の大事な場所】ドナルド・キーン著 を読んで』をご覧ください。

 

現存の最古の歴史書は、和化漢文で書かれた『古事記』(712年成立)と、純正漢文で書かれた『日本書紀』(720年成立)である。
8世紀の初めの時点で日本が自国の歴史書を持ったということは、驚くべきことである。
中国の周辺民族の多くは、自分たちの民族独自の歴史書を作らなかった。
… P110より

かつて古文の授業で記紀を習ったとき、

「記紀については、つくり話のような箇所もあり、また、この前の戦争との絡みもあるので読む人は少ない。 … が、日本の歴史書である。 … 授業で勉強するのは一部だけ … 機会があれば、現代語訳でもいいから、全部読むことを薦めたい … 。」

と、先生が静かにおっしゃったのを思い出しました。

※ 手元に現代語訳付きの記紀を揃えました。

 

当著書を買ったとき、私にとってハードルの高い本なのではないか、と心配でした。

が、読むととてもわかりやすくておもしろく、短時日で読み終えました。

プロの漢学者や文人を対象にしたものではなく、著者の考えが平易な言葉で述べられています。

漢文の由来を軸に日本の文化が語られている本です。

【ゼロの焦点】を視聴する

ユーチューブより

雨が降ったり止んだり。

午後はユーチューブで【ゼロの焦点】〈1991年版テレビドラマ 原作:松本清張 脚本:新藤兼人〉(右写真)を視聴しました。

 

50年近く前に一度小説で読んでいます。

米兵を相手に働いていた女性〈室田佐知子〉がボートに乗って海に漕ぎ出る、という最後の場面だけは覚えていました。

映画、テレビドラマを問わず、動画は今回が初めてです。

【感想】

① 最近ほとんどドンパチもののサスペンスドラマを見ていたせいか、登場人物のゆったりとていねいに話す言葉にむしろ新鮮さを感じました。
時代は昭和34年〈今から60年余り前〉の春ですので、現在と比べると何事も全体的にテンポが遅かったんでしょうね。

② 鵜原禎子役の真野あずさが、ちょっと恰好よ過ぎるのでは … 。
彼女が主役をすることによって視聴率は上がると思います。
が、時代背景を考えると、やはり垢抜けし過ぎているのでは … 。

③ 〈登場人物の〉田沼久子の生まれ年が昭和2年と知ったとき、親戚の主のことが頭に浮かびました。
※ 親戚の主については、8.17付ブログ記事『親戚の主』を参照。
確か彼も昭和2年生まれだったと思います。
彼は若い頃予科練にいたらしく、前線に出る寸前に終戦になったと聞いたことがあります。
また、戦後もほんとうに厳しい時代だったとよく言っていました。
〈残念ながら今はほとんど話せない状態です〉

 

戦後を懸命に生きた人たちにどうして悲劇が次々と襲いかかったのか。

どの人たちにも大なり小なり戦争の傷跡が癒えずにのしかかっていたことが原因だと思いました。

 

小説をもう一度読みたくなりました。