【部長の大晩年】城山三郎著 を読む

【部長の大晩年】城山三郎著:新潮文庫

【部長の大晩年】城山三郎著:新潮文庫(右写真)を読んで印象に残ったくだりを紹介します。

 

… 第二の人生という言葉も当てはまらない。退職後の人生のほうが長いだけでない。晩年まで一年一年、成長し開花し続けた〈永田〉耕衣。 … P31

… 疎外されたからといって、沈みこんだり引きこもったりしないで、自分なりにできる世界をこつこつ築き続ける―― それが耕衣の生き方であった。 … P63

… 律義さとは何か。簡単な例が、時間厳守、約束厳守である。晩年に至るまで、耕衣は時間を気にしたし、約束時間に現れぬ客に苛立った。 … P121

… 日々の生活では、その正体に応じての衣服をまとうこと。作品の世界に集中するためにも、無用な摩擦は招かぬのがいい――  …
P123

… 退職後の耕衣は、ある意味では四六時中、主役意識で生きている。
いや、主役か脇役かなど全く問題にしないライフ・スタイルだと言ってよいし、「毎日が日曜日」の耕衣にとって、楽しくない時間や不本意に過ごす時間はなかったはずで、 … … P156

… … 最初のうちは、束ねて「雑草」呼ばわりしていたが、やがてカヤツリ草、スベリヒユ、チカラシバなどと名で呼ぶようになり、「除け者にされながら、よくがんばっている」と親しみを持つ。 … P166

※ 『永田耕衣〈ながた こうい〉』(1900~1997):俳人
禅的思想に導かれた独自の俳句理念に基づき句作。また諸芸に通じ書画にも個性を発揮、90歳を超えた最晩年に至るまで旺盛な創作活動を行った。
… ウィキペディアより

 

最近、富に ” 長生きすること自体がリスク ” というようなことが言われている。

それを吹き飛ばしてくれるのが、『永田耕衣』の生きざまである。

上記に紹介した二つ目のくだりに
… 自分なりにできる世界をこつこつ築き続ける …
とあるように

私自身、お迎えが来るまで、体が動く限り木立の手入れに努め、
延いてはそのことが、集落のよりよい景観につながることを願っている。

【アメリカ素描】司馬遼太郎著 を読む

【アメリカ素描】司馬遼太郎著:読売新聞社

【アメリカ素描】司馬遼太郎著:読売新聞社(右写真)を読み、印象に残ったくだりを紹介します。

 

… アメリカにおける自由は、この国の活力源であり、人類の希望の灯でありながら、しかし副作用として血まみれの犯罪を引きずって進み続けているのである。 … P149

 

… 法によって日本やフランスや韓国やデンマークなどができたのではなく、もともとそこに人間の組織があって、近代に入ったがために近代の法で再秩序づけされたにすぎない。
アメリカだけが逆だった。広大な空間を法という網でおおい、つぎつぎに入ってくる移民に宣誓させ、その法に従わせるということで、国家ができた。
つまりは、はじめに法があり、あとで人がきた。 … … P167

 

… アメリカという社会は、多分に法律用語としての「平等」の上に立っている。 … … 日本語の平等は、もともと法律用語でなく仏教語だったことを忘れるべきではない。 … P209~210

 

… 日本は完全な法治国家でありつつ、たいていのひとびとは、法のもとで江戸時代の農民のようであることをねがっているのではないか。文化のまにまに生きていくことによって、できるだけ法の厄介にならずにすませたい、と多くの日本人は考えているようである。
その点、メイフラワー号の始祖たちが最初に法によって個人を明確にし、政治団体をつくってそれへの忠誠を誓わせた国とはちがっている。法によって州ができ、州の連合国家をつくり、さらには法が元首の主人であるとしたこの人工国家にあっては、法という文明材――たれでも参加でき、普遍的なもの――を信ずることなしに生きてゆけない。
… P356

 

氏の日本に関する造詣の深さは誰もが知るところである。

その揺るぎない日本観を背景に、アメリカという国を鮮明に描いた感のする本である。

単に、アメリカの 法・自由・平等 等について知るだけでなく、日本におけるそれらを理解するにも好著である。

今回は再読となったが、今後、三読もありそう … 。

【出世を急がぬ男たち】小島直記著 を読む

【出世を急がぬ男たち】小島直記著:新潮社

【出世を急がぬ男たち】小島直記著:新潮社(右写真)を読み、印象に残ったくだりを紹介します。

… いかなる分野にあっても、しろうと臭さの証拠はことの成行が苦しくなったとき狼狽することである。プロの特徴は、緊急時における有能さであり、軍人としての技術はほとんど全面的に、五里霧中の戦闘時にあって的確な判断をくだすところにある。 … P21
※ 第2次大戦時のドイツのフォン・ルーン将軍の言葉を引用

… 向学心は学校で賞賛される最大の美徳で、野心に裏づけられた努力さえあれば道はひらけるというすすめは、不安定なサラリーマン子弟の多い土地柄では現実的であった。しかしその雰囲気は、周囲の自然を手ごたえたしかな実在とし、現在も自分の背骨にしっかりと存在するサムシングにしてくれる一番大事なものを、決定的に失わせた。 … P46
※ 中野孝次氏〈作家〉の言葉を引用

… 昔から日本人は学校を出ると本を読まない … … ほんとうに自分の心に響くところがあっての勉強でなく、有利な社会コースに乗るための、目先の手段としてだけの勉強という要因が多いのではないだろうか。 … P152
※ 渡部昇一氏〈英語学者〉の言葉を引用

… 定年延長は、働く意欲をもつ人への福音にちがいないが、大切なことは、そこにおいて果たすべきテーマを、定年前からもっていたかどうかであろう。新田〈次郎〉、杉山〈吉良〉の極北における格闘とその成果は、そのことを改めて考えさせてくれるのである。 … P237
※ 新田次郎:作家 , 杉山吉良:写真家

 

著書名【出世を急がぬ男たち】だけを見ると、勤め人を対象に書かれているように思われる。

が、定年した人にとっても読み応えのある本である。

再読してみて、小島氏の厳しさと温もりを改めて感じた。

勤めている人、勤めを終えている人、勤め以外の仕事をしている人、学生 … … etc.

どの人が読んでも、 ” 生涯学習 ” もっと広くいうと、 ” 生き方 ” の書になり得ると思っている。

【人生まだ七十の坂】小島直記著 を読んで

【人生まだ七十の坂】小島直記著:新潮文庫

【人生まだ七十の坂】小島直記著:新潮文庫(右写真)を読んで印象に残ったくだりを紹介します。

 

… 〈森〉鷗外さんが陸軍という組織の中にいて、非文学的な処世術を使ったところにもとがあった、というほかはありません。早く陸軍を去ればよかったのです。それをいやいやながら、山県〈有朋〉さんなどにお世辞をいいながら定年までつとめて、軍医としての最高の地位を占めておいて、死ぬ間際になってそのことでグチをのべ、ダダをこねる。遅すぎるし、女々しすぎる。〈正岡〉子規さんの 「月給40円」の方がはるかにいさぎよく、男らしい、というのが二人の「遺言」から見た私のいつわらぬ感想なのです。 … P123

 

… 「『技術者はつぶしがきく。第二の人生のためには、何か専門の技術を身につけておくべきだ』とは、よく耳にする言葉である。
だが、その通念にとらわれることはない。それは、老後をまず『器』や、『受け皿』の問題として考えることに似ているからである」
「かんじんなのは、前向きに生きる情熱である。情熱があって、技術は後からついてくる」 … P147
※ このくだりは、【人生余熱あり】城山三郎著 より、著者〈小島氏〉が引用したものです。

 

… 何かを捨てなければ、見えないもの、つかめないものが人生にはあります。何もかも、というパーフェクト・ゲームは人生にはないのです。問題は、何のために、何を捨てるかだ、ということをこのエピソードは教えていると思います。 … P199
※ このエピソードとは、電力の鬼と言われた松永安左エ門が死の直前に『不失恒心 不守恒産』の書をしたため、ある出版人におくったという話です。

 

久々に小島氏の著書を読み〈三読目?〉、身も心も引き締まる思いです。

懐かしくなり、物置から氏の他の著書【出世を急がぬ男たち】を引っ張り出してきて読んでいる〈再読〉ところです。

読了後、紹介いたします。

【人は成熟するにつれて若くなる】ヘッセ著 を読む

【人は成熟するにつれて若くなる】V・ミヒェルス編・岡田朝雄訳:草思社

【人は成熟するにつれて若くなる】V・ミヒェルス編・岡田朝雄訳:草思社(右写真)を再読しました。

印象に残ったくだりを紹介します。

 

… 成熟するにつれて人はますます若くなる。すべての人に当てはまるとはいえないけれど、私の場合はとにかくその通りなのだ。私は自分の少年時代の生活感情を心の底にずっともち続けてきたし、私が成人になり、老人になることをいつも一種の喜劇と感じていたからである。 … P65

… 私の言っているような体験をするためには、やはり高齢であることが必要である。数知れないほどたくさんの見てきたものや、経験したことや、考えたことや、感じたことや、苦しんだことが必要なのだ。自然のひとつのささやかな啓示の中に、神を、精霊を、秘密を、対立するものの一致を、偉大な全一なるものを感じるためには、生の衝動のある種の希薄化、一種の衰弱と死への接近が必要なのである。 … P70

… 年老いてしまった者にとっては、もしも彼が何ひとつ目的となるものを見いださず、何ひとつ自分と自分の不安を超えるもの、絶対的なもの、あるいは彼がそれに仕え、それに仕えることだけが自分の人生に意義を与えるような神的なものを見いださなかった場合は、探求は迷い道であり、人生は失敗であったことになる。 … P91

 

20年ほど前に一度読んでいます。

今回改めて読み、ヘッセの人生に対する積極的な姿勢、人々への公正な視線などをいっそう知るところとなりました。

本著書に載せられているエッセイ等は、大半が、ヘッセが70歳を過ぎてから書かれたものです。

とくに私たち〈高齢者〉にとって、生きていく上で指針となる点が、多々あるように思っています。