山林の落ち葉の状態にもっと目を向けて

7割方落ち葉を拾い集めて焼却しました。木立の中がすっきりしてきました。

昨晩からずっと雨 … 。

昨日までの5日連続の早朝の野外焼却〈野焼き〉もひと休みです。

すでに7割方の落ち葉を拾い集めて焼却したでしょうか。

木立の中がすっきりしてきました。(右写真)

 

今日のヤフーニュースに、

… 13日未明、埼玉県ときがわ町の山林に火をつけたとして、60歳の男が逮捕されました。警察は、ときがわ町周辺で連続している山林火災に関与しているとみて調べています。 …

とありました。

先日関東であった一連の山火事も収まり、ホッと一息ついていた矢先なのに … 。

残念としか言いようがありません。

 

これでは、

ただでさえ野外焼却〈野焼き〉がしづらい気分に陥っているのに、ますますしづらくなってしまいます。

※ しづらくなっている人の一例を、3.11付ブログ記事『先日の山火事以来みなさん野焼きにピリピリ』でお伝えしました。

 

山林や田畑の手入れをそれなりにしようとすると、ある程度野外焼却〈野焼き〉をせざるを得ません。

私の集落でも、たいていの人たちがしています。

もちろん天候の状態や時間帯を見計らい、細心の注意を払ってしています。

 

放火はもってのほかですが、

山林が燃えやすい要因の一つに、落ち葉の放置があるのは否めません。

これを機に、山林の落ち葉の状態にもっと目を向けてみてはどうでしょうか。

【人間この未知なるもの】カレル著 を読む

【人間この未知なるもの】アレキシス・カレル著/渡部昇一訳:三笠書房

【人間この未知なるもの】アレキシス・カレル著/渡部昇一訳:三笠書房(右写真)を読み、印象に残ったくだりを紹介します。

… 年をとるにつれ、顔には一層全体的人間としての感情や欲求や抱負が豊かに現れてくる。青年の美しさは、生まれつき調和のとれた顔立ちによるものである。年をとった人の美しさは、その精神からくるものであり、きわめて稀である。 … P95

… 交感神経は、原始時代の危険や荒々しさに対しては、十分に器官を防衛していた。しかしそれは、現代生活の絶え間ない衝撃に対抗できるほど強くできてはいない。 … P132

… デカルトはこの抽象概念を実際のものと信じ、肉体と精神を異質のもの、二つの異なったものと考えた。そこに彼の誤りがあった。人間に関する人間の知識の歴史全体を通じて、この二元論は重くのしかかっている。これが精神と肉体の関係について、誤った問題を提起しているからである。 … P146~147

… 美的活動には美を創り出すことと、美について深く熟考することとがある。その活動には、まったく打算的な考えは含まれていない。創造の喜びに浸ると、意識は自分を離れて他のものに吸収される。
… P161

と、大半は肯ける内容なのです

… が、

… 正直で頭がよくて、よく働く人でも、生涯運が悪かったり、事業に失敗したり、一生低い地位でうだつが上がらなかった人の息子たちは、高い潜在能力を持つことが稀である。 … P320

のように突き放した物言いをしている箇所も散見されます。

【人間この未知なるもの】が初めて出版されたのは、1935年〈昭和10年〉。

当時は、 ” 優生学 ” の考えが、今と比べて色濃くあったとのこと。

時代のせいもあるのでしょうか。

※ アレキシス・カレル〈1873~1944〉
フランスの外科医・解剖学者・生物学者
1912年にノーベル生理学・医学賞受賞

【私の大事な場所】ドナルド・キーン著  を読んで

【私の大事な場所】ドナルド・キーン著:中央公論新社

【私の大事な場所】ドナルド・キーン著:中央公論新社(右写真)を読みました。

公平な視線で日本の文学を見ているように感じました。

今回は、著書のあるくだりから思い出したことを述べます。

P143~144
… 東洋の言葉でローマ字表記になった唯一の言葉はベトナム語でしょう。17世紀のフランス人宣教師は、ベトナム語を漢字よりも簡単な表記にしたら能率的であると意見しました。この案は採用されて、現在ベトナム人は、皆ローマ字を使っています。 …

 

25年前、私は、ベトナムのホーチミン市で3日間滞在しました。

その間、バスに乗っていろいろなところを回りました。

モスクワ大学に留学したことがあるというガイドさんは、日本語もとても堪能な方でした。

ドイモイ〈経済開放〉政策が始まって10年ほど経った頃で、人々の間には活力と自由な空気が漲っていました。

ガイドさんにも社会主義然とした雰囲気がまったくなく、

「日本のみなさん、お金儲けガンバっていますか。 … さて、ベトナムで人気のあるテレビ番組は何だと思いますか。 … 『おしん』です。 … ベトナムの人たちは日本の女性は『おしん』のように我慢強い人ばっかりと思っています … 。」

等々、おもしろく楽しくガイドをしていただきました。

民族資料館に案内されたときでした。

そこのあるコーナーに、〈日本でいう〉高床式倉庫らしき写真が展示され、漢文の説明が添えられていました。

私たち日本人の旅行者は、

「ベトナムもかつては漢字圏だったんですね。 いくつかの漢字を拾って読んでいると何となく意味が分かりますね … 。」

というような話をしました。

で、ガイドさんに正確な意味を尋ねると、漢字がまったく読めないのでわからないとのことでした。
〈再度言いますが、ガイドさんはモスクワ大学に留学されたエリートです。〉

 

そのとき、次のように思ったことを覚えています。

… かつて漢字を使っていた国は面倒でも漢字を残しておいた方がいい。そのことが自国の文化や歴史を深く知ることにつながるのでは。 … 

 

キーン氏も言っています。

便利さが人間の最高の目標になってよいのでしょうか。私はむしろ、文化は不便の上に立つものではないかと思います。 … P161

と。

【部長の大晩年】城山三郎著 を読む

【部長の大晩年】城山三郎著:新潮文庫

【部長の大晩年】城山三郎著:新潮文庫(右写真)を読んで印象に残ったくだりを紹介します。

 

… 第二の人生という言葉も当てはまらない。退職後の人生のほうが長いだけでない。晩年まで一年一年、成長し開花し続けた〈永田〉耕衣。 … P31

… 疎外されたからといって、沈みこんだり引きこもったりしないで、自分なりにできる世界をこつこつ築き続ける―― それが耕衣の生き方であった。 … P63

… 律義さとは何か。簡単な例が、時間厳守、約束厳守である。晩年に至るまで、耕衣は時間を気にしたし、約束時間に現れぬ客に苛立った。 … P121

… 日々の生活では、その正体に応じての衣服をまとうこと。作品の世界に集中するためにも、無用な摩擦は招かぬのがいい――  …
P123

… 退職後の耕衣は、ある意味では四六時中、主役意識で生きている。
いや、主役か脇役かなど全く問題にしないライフ・スタイルだと言ってよいし、「毎日が日曜日」の耕衣にとって、楽しくない時間や不本意に過ごす時間はなかったはずで、 … … P156

… … 最初のうちは、束ねて「雑草」呼ばわりしていたが、やがてカヤツリ草、スベリヒユ、チカラシバなどと名で呼ぶようになり、「除け者にされながら、よくがんばっている」と親しみを持つ。 … P166

※ 『永田耕衣〈ながた こうい〉』(1900~1997):俳人
禅的思想に導かれた独自の俳句理念に基づき句作。また諸芸に通じ書画にも個性を発揮、90歳を超えた最晩年に至るまで旺盛な創作活動を行った。
… ウィキペディアより

 

最近、富に ” 長生きすること自体がリスク ” というようなことが言われている。

それを吹き飛ばしてくれるのが、『永田耕衣』の生きざまである。

上記に紹介した二つ目のくだりに
… 自分なりにできる世界をこつこつ築き続ける …
とあるように

私自身、お迎えが来るまで、体が動く限り木立の手入れに努め、
延いてはそのことが、集落のよりよい景観につながることを願っている。

【アメリカ素描】司馬遼太郎著 を読む

【アメリカ素描】司馬遼太郎著:読売新聞社

【アメリカ素描】司馬遼太郎著:読売新聞社(右写真)を読み、印象に残ったくだりを紹介します。

 

… アメリカにおける自由は、この国の活力源であり、人類の希望の灯でありながら、しかし副作用として血まみれの犯罪を引きずって進み続けているのである。 … P149

 

… 法によって日本やフランスや韓国やデンマークなどができたのではなく、もともとそこに人間の組織があって、近代に入ったがために近代の法で再秩序づけされたにすぎない。
アメリカだけが逆だった。広大な空間を法という網でおおい、つぎつぎに入ってくる移民に宣誓させ、その法に従わせるということで、国家ができた。
つまりは、はじめに法があり、あとで人がきた。 … … P167

 

… アメリカという社会は、多分に法律用語としての「平等」の上に立っている。 … … 日本語の平等は、もともと法律用語でなく仏教語だったことを忘れるべきではない。 … P209~210

 

… 日本は完全な法治国家でありつつ、たいていのひとびとは、法のもとで江戸時代の農民のようであることをねがっているのではないか。文化のまにまに生きていくことによって、できるだけ法の厄介にならずにすませたい、と多くの日本人は考えているようである。
その点、メイフラワー号の始祖たちが最初に法によって個人を明確にし、政治団体をつくってそれへの忠誠を誓わせた国とはちがっている。法によって州ができ、州の連合国家をつくり、さらには法が元首の主人であるとしたこの人工国家にあっては、法という文明材――たれでも参加でき、普遍的なもの――を信ずることなしに生きてゆけない。
… P356

 

氏の日本に関する造詣の深さは誰もが知るところである。

その揺るぎない日本観を背景に、アメリカという国を鮮明に描いた感のする本である。

単に、アメリカの 法・自由・平等 等について知るだけでなく、日本におけるそれらを理解するにも好著である。

今回は再読となったが、今後、三読もありそう … 。