新聞を読むのに費やしていた時間を古典に

2020 2.19 『日本経済新聞』朝刊

今日、新聞販売店に電話をしました。

… 『日本経済新聞』(右写真)の定期購読を来月〈3月〉いっぱいで止める旨を …

定期購読を始めたのは25年ほど前です。

経済云々というより、むしろ
最終面の『私の履歴書』と『文化欄』、
そして、
週末の『半歩遅れの読書術』と書評欄
を読みたかったからでした。

※ それ以来、私の家では『日経』と『地方紙』の2紙をとっています。

【どうして『日経』の購読を止めるのか】

・収入の無い身では、〈1紙につき〉月々4,000円の出費は大きい。
1年で48,000円となり、ちょっとした草刈機が買える。
勤めていた頃は、『日経』は必需品に近いものだったが、退職した今ではむしろ草刈機の方が必需品。

日経』に相当する情報は、ネット等で代替できる時代。

・ニュースについては、『地方紙』で十分。

お金を稼ぐために新たにアルバイト等をして時間の切り売りはしたくない。
〈餓死する事態になれば別だが〉

もう一つ

・最近【風姿花伝】【西行】を読み、とてもおもしろく、これを機に、〈主に日本の〉他の古典も読みたくなった。
とくに、学生時代少しかじっただけの『方丈記』『徒然草』については、今度はしっかり読みたい。

ということで、

今まで新を読むのに費やしていた時間を、古典を読む時間に充てることも考えています。

【西行:白洲正子著】を読み終える

昨年の4月下旬に木立前に咲いた山桜

【西行】〈白洲正子著〉を読み終えました。

今日読んだ箇所より印象に残ったくだりを紹介します。

… 西行は感情があふれるままに歌い捨てたので、時には意味のわからない歌もあるが、それはそれなりに西行の中では完結していた。ほかに表現の仕様がなかったからで、生きた言葉とはそういうものだと思う。 … P193

… 西行が歌合せに参加しなかったのは、生きることに全力をかたむけていたからで、技巧を競い、優劣を争う宮廷人の付合いをわずらわしく思ったために他ならない。 … P239

… … その殆んどが西行を仏教の聖者の如く祀りあげているのは、「ねがわくは花の下にて春死なん … … 」の歌によったのはいうまでもないが、当時としては通りがよかったし、今でも一般の人々はそう思っているようである。だが、西行の真価は、信じがたい程の精神力をもって、数奇を貫いたところにあり、時には虹のようにはかなく、風のように無常迅速な、人の世のさだめを歌ったことにあると私は思う。 … P244

 

著者〈白洲氏〉の強い思いの入った西行の伝記でした。

著者自身実際に西行の足跡を追いながら
歌を解釈していますので、生き生きとしてわかりやすく、すっと入ってきました。

後記で、著者は、「伝記とも紀行文ともつかぬものとなった」といっていますが、むしろその方が私にとってはよかったです。

グーグルマップや日本史事典などを片手に、著者といっしょに西行の世界を歩き回ったようで、楽しく読ませていただきました。

” 数奇 ” という言葉がたびたびでてきましたが、人生100年時代にますます大切になってくるのでは、と思いました。
【数奇・寄〈すき〉】(「好〈すき〉」の当て字)
風流の道、特に茶の湯などを好むこと。   … 広辞苑第六版より

… 花にあこがれた西行 …

私のところにもある山桜〈10本ほどですが〉(右上写真)、

今から楽しみにしています。

【西行:白洲正子著】を読み始めて2日目

【西行】白洲正子著:新潮社版

今日も【西行】白洲正子著:新潮社版(右写真)を読みました。

印象に残ったくだりを紹介します。

… 〈西行が〉吉野山へ入った後の歌は、一段と風格を高めたようであるが、それは自分自身を深く見つめる暇と余裕を持ったからであろう。人間は孤独に徹した時、はじめてものが見えて来る、人を愛することができる、誰がいったか忘れてしまったが、それはほんとうのことだと思う。 …
P89~90

… ここで西行は、永年たずさわって来た歌の道で、「言葉の罪」というものを強く意識していたことを物語っている。今でも物を書く人々は(もし良心があるならば)、多かれ少なかれみな感じていることだが、たとえ一時的にも滝に打たれることによって、西行は救われた心地がしたに違いない。 … P98

… … どちらかといえば『聞書集』の中に … … 西行の内面を告白した歌が多く、 … … 花や月によせて詠むのならともかく、直接自分の心と向き合って煩悶することなど、大体やまと歌には不向きなのであって、そこに西行の普遍的な新しさが見られる。 … P119

… 歌というものは暗唱して、何十ぺん何百ぺんとくり返す間に、その歌の姿がおのずから見えてくるものだ。単なる主観といってしまえばそれまでだが、単なる主観に生きた西行を知るには、そういう方法で近づくしかないように思われる。   P131

… 〈西行の歌には「なんとなく」という句が多い〉 … … ほとんど西行の専売といってもいいくらいだが、よほど柔軟な心を持たなくては、このように率直な歌は詠めなかったであろう。 …
P156~157

 

【西行】と白洲氏が共振しているのではないか、と感じられました。

読むというより味わっているという感じ

終日プレハブに籠って本を読んでいました

終日雨。

朝から今しがた〈午後5時過ぎ〉まで、プレハブに籠って本を読んでいました。(右写真)

適時お茶を飲みながら。

※ 昼食後、20分ほどの居眠りもありました。

読んだのは、【西行:白洲正子著 新潮社版】です。

先日、世阿弥の【金島書】を読むのに、白洲氏の随筆【夢幻抄】【風姿抄】を参考にしたとき、

「〈金島書の〉次は、氏の【西行】を読もう」と思いました。
過去に一度読んでいます〉

… どうして二度目を読もうと思ったのか? …

… 今後私が生きていく上で、西行の生きざまや心の持ち方が支えになりそう。 …

そう思ったからです。〈漠然としていますが〉

で、氏の著書である【西行】には、和歌や ” 行啓 ” ” 勧請 ” 等の日頃あまり目にしないような言葉もけっこう載っていますので、

・百人一首今昔散歩:原島広至著 中経の文庫
・まんが百人一首事典:学研
・日本史事典:旺文社
〈電子辞書の〉広辞苑第六版
・全訳古語辞典:東京書籍
・『歌枕』についてはネットのグーグルマップを利用 ← 便利です

などを片手に読み進めました。

1時間に10ページというスローペースです。

ここまでくると、もう読んでいるというより ” 味わっている ” という感じです。

予報では、明日、明後日も悪天候とのこと。

〈白洲氏の〉西行の世界をじっくり味わいます。

世阿弥の【金島書】を読みました

【風姿抄】白洲正子著:世界文化社

悪天候でしたので、読書をしました。

【金島書】を読みました。

※ 【金島書】:世阿弥の佐渡に島流しになってからの著書。
読むに至った経緯につきましては、2.9付及び2.11付のブログ記事をご覧ください。

 

はじめは、ネットからプリントアウトしたものを読んでいました。

… が、古文の横書きは読みづらいというか、親しみにくいというか。
〈古文の読解力に欠けることも大いに手伝っています〉

で、近くの公立図書館に行きましたが、見当たりませんでした。

帰りに菜園横の物置の本棚をのぞき、白洲正子氏のいくつかの著書のページをめくっていると … 、

なんと、縦書きの【金島書】があるではありませんか。

氏の随筆【風姿抄】:世界文化社(右上写真)の最後に参考資料として載っていました。

やはり縦書きの古文は読みやすいというか、親しみやすいですね。

… 〈現代語訳がないので〉自己流の読み方になりましたが …

子ども〈元雅〉を亡くしたり、あるいはもう一人の子ども〈元能〉に去られたり、そして、自分は島流しに遭ったりしているにもかかわらず、

” 暗さ ” ” 恨み ” のようなものはなく、

日々を淡々と、むしろ楽しんで生活しているようにも感じられました。

豊かな教養と幼いときから能を通して培った揺るぎない精神と身体、

それらがバックボーンとしてあるからかな、とも思った次第です。

最後に、【風姿抄】から印象に残ったくだりを紹介します。

… 私の知るかぎりでは、研究家の間ではほとんど取り上げられていませんが、少なくとも文面の上からわかる世阿弥は、それほどみじめな境遇にあったとは思われず、浮世の塵を逃れて、配所での生活を喜んでいたように見えなくもありません。 … P142

… 佐渡での生活はわかっていなくても、文章のはしはしになんとなく読みとれるものはあるのです。肩肘はらずに書いたものだけに、却ってそうしたところに世阿弥の最晩年の心境とか、大げさにいえば能の本質に至るまでが、無意識のうちに表れているのではないでしょうか。 … P143