【ハシモト式古典入門:橋本治著】を読む

【ハシモト式古典入門】橋本治著:ごま書房

【ハシモト式古典入門】橋本治著:ごま書房(右写真)を読んで、印象に残ったくだりを紹介します。

… 古典をわかるうえで必要なのは、「教養をつけるために本を読む」じゃなくて、「行き当たりばったりで ” へー ” と言って関心してる」の方なんです。 … P150

… 「古典なんだから」と思って、遠慮なんかしちゃいけないんです。 … … 古典が教えてくれることで一番重要なことは、「え、昔っから人間てそうだったの?」という「人間に関する事実」です。「なーんだ、悩んでるのは自分一人じゃなかったのか」ということは、とっても人間を楽にしてくれます。古典は、そういう「とんでもない現代人」でいっぱいなのです。 … … どうか古典を読んでください。 … P 194

… 「古典を読みこなすには知識がいる」というのは、本当です。でもその前に必要なのは、「古典に慣れる」なんです。細かい知識に振り回されて「慣れる」ができなかったら、古典は永遠に無縁なままです。だから、まず最初に「古典を読みこなすには知識がいる」という考えを捨ててください。 … P200~201

… 昔は「古典の勉強」というと、まず「暗唱」でした。 … … 古典という「昔のもの」とつきあうのなら、「昔のつきあい方」は有効です。だから私は、「暗唱を」をおすすめします。 … P201~202

 

ここ2週間ほど読んでいるものといえば、世阿弥と西行関係の本ばかりです。

※ 二人とも当時としては長生きしています。
とくに晩年における彼らの暮らしぶりに関心があります。

 

でも、少し深く知ろうとすると、どうしても ” 古文 ” という壁にぶつかってしまうのです。

で、上記の橋本氏の著書を読んだのですが、肩肘張っていたのがかなり和らぎました。

とにかく ” 古文 ” に「慣れ」、永遠に無縁なままの関係になることだけは避けたく思っています。

今後私たちが生きていく上でのヒントが、古典の中にたくさんあるような気がしてならないのです。

【西行:高橋英夫著】を読む

【西行】高橋英夫著:岩波新書

【西行】高橋英夫著:岩波新書(右写真)を読み、印象に残ったくだりを紹介します。

… 出家遁世は西行という人間の出発点であり、そこで何かが解決され、、終了したのではなかった。悩みは出家によってさらに拡がり、生涯背負ってゆくことになった。世捨ては、武門出身の若き官人佐藤義清の苦悩を断ち切る筈だったが、断ち切った途端に問題は増大していった。 … P54

… 仏教思想上の無方向性とみえるものは、西行の内部では「心」の一元論に置き換えられてゆくものとして存在していた。一元的にすべては「心」にかかわっているのだ。 … P73

… ただ安易に自由人西行と言うべきではあるまい。その自由の中で西行がとらわれていたものがある。「心」である。 … P136

… 〈西行の〉心をじっと見つめる悲しさ、危うさは、鏡の中にもう一人の自分を見出し、そこにもう一つの自分があることに拘泥するのに似ている。 … P166

… 西行の「心」への拘泥ぶり、語法表現の中に時としてまざる平俗調、畳語のしつこさ、字余り――—これらを〈藤原〉俊成は異風と見ていたし、西行も異風によって生きるおのれを知っていた。知っていた以上に、自負していた。 …P189

 

文中のいたるところに「悩み」や「心」という言葉が見られました。

「西行」 = 「悩み」「心」 の感さえ抱くほどです。

と同時に、

先日読んだ【西行:白洲正子著】に、 … 内面を告白した歌が多く、 … 直接自分の心と向き合って煩悶する … というくだりがあったことを思い出しました。

※ 詳細につきましては、2月18日付ブログ記事『【西行:白洲正子著】を読み始めて2日目』をご覧ください。

今回の高橋氏の、そして、先日の白洲氏の【西行】から、西行の内面に関心を持つようになりました。
〈以前は、むしろ彼の行動面に関心がありました。〉

今後、西行に関する他の本も読みたく思っています。

… 文語体の歌が読めた方がいいですな! …

新聞を読むのに費やしていた時間を古典に

2020 2.19 『日本経済新聞』朝刊

今日、新聞販売店に電話をしました。

… 『日本経済新聞』(右写真)の定期購読を来月〈3月〉いっぱいで止める旨を …

定期購読を始めたのは25年ほど前です。

経済云々というより、むしろ
最終面の『私の履歴書』と『文化欄』、
そして、
週末の『半歩遅れの読書術』と書評欄
を読みたかったからでした。

※ それ以来、私の家では『日経』と『地方紙』の2紙をとっています。

【どうして『日経』の購読を止めるのか】

・収入の無い身では、〈1紙につき〉月々4,000円の出費は大きい。
1年で48,000円となり、ちょっとした草刈機が買える。
勤めていた頃は、『日経』は必需品に近いものだったが、退職した今ではむしろ草刈機の方が必需品。

日経』に相当する情報は、ネット等で代替できる時代。

・ニュースについては、『地方紙』で十分。

お金を稼ぐために新たにアルバイト等をして時間の切り売りはしたくない。
〈餓死する事態になれば別だが〉

もう一つ

・最近【風姿花伝】【西行】を読み、とてもおもしろく、これを機に、〈主に日本の〉他の古典も読みたくなった。
とくに、学生時代少しかじっただけの『方丈記』『徒然草』については、今度はしっかり読みたい。

ということで、

今まで新を読むのに費やしていた時間を、古典を読む時間に充てることも考えています。

【西行:白洲正子著】を読み終える

昨年の4月下旬に木立前に咲いた山桜

【西行】〈白洲正子著〉を読み終えました。

今日読んだ箇所より印象に残ったくだりを紹介します。

… 西行は感情があふれるままに歌い捨てたので、時には意味のわからない歌もあるが、それはそれなりに西行の中では完結していた。ほかに表現の仕様がなかったからで、生きた言葉とはそういうものだと思う。 … P193

… 西行が歌合せに参加しなかったのは、生きることに全力をかたむけていたからで、技巧を競い、優劣を争う宮廷人の付合いをわずらわしく思ったために他ならない。 … P239

… … その殆んどが西行を仏教の聖者の如く祀りあげているのは、「ねがわくは花の下にて春死なん … … 」の歌によったのはいうまでもないが、当時としては通りがよかったし、今でも一般の人々はそう思っているようである。だが、西行の真価は、信じがたい程の精神力をもって、数奇を貫いたところにあり、時には虹のようにはかなく、風のように無常迅速な、人の世のさだめを歌ったことにあると私は思う。 … P244

 

著者〈白洲氏〉の強い思いの入った西行の伝記でした。

著者自身実際に西行の足跡を追いながら
歌を解釈していますので、生き生きとしてわかりやすく、すっと入ってきました。

後記で、著者は、「伝記とも紀行文ともつかぬものとなった」といっていますが、むしろその方が私にとってはよかったです。

グーグルマップや日本史事典などを片手に、著者といっしょに西行の世界を歩き回ったようで、楽しく読ませていただきました。

” 数奇 ” という言葉がたびたびでてきましたが、人生100年時代にますます大切になってくるのでは、と思いました。
【数奇・寄〈すき〉】(「好〈すき〉」の当て字)
風流の道、特に茶の湯などを好むこと。   … 広辞苑第六版より

… 花にあこがれた西行 …

私のところにもある山桜〈10本ほどですが〉(右上写真)、

今から楽しみにしています。

【西行:白洲正子著】を読み始めて2日目

【西行】白洲正子著:新潮社版

今日も【西行】白洲正子著:新潮社版(右写真)を読みました。

印象に残ったくだりを紹介します。

… 〈西行が〉吉野山へ入った後の歌は、一段と風格を高めたようであるが、それは自分自身を深く見つめる暇と余裕を持ったからであろう。人間は孤独に徹した時、はじめてものが見えて来る、人を愛することができる、誰がいったか忘れてしまったが、それはほんとうのことだと思う。 …
P89~90

… ここで西行は、永年たずさわって来た歌の道で、「言葉の罪」というものを強く意識していたことを物語っている。今でも物を書く人々は(もし良心があるならば)、多かれ少なかれみな感じていることだが、たとえ一時的にも滝に打たれることによって、西行は救われた心地がしたに違いない。 … P98

… … どちらかといえば『聞書集』の中に … … 西行の内面を告白した歌が多く、 … … 花や月によせて詠むのならともかく、直接自分の心と向き合って煩悶することなど、大体やまと歌には不向きなのであって、そこに西行の普遍的な新しさが見られる。 … P119

… 歌というものは暗唱して、何十ぺん何百ぺんとくり返す間に、その歌の姿がおのずから見えてくるものだ。単なる主観といってしまえばそれまでだが、単なる主観に生きた西行を知るには、そういう方法で近づくしかないように思われる。   P131

… 〈西行の歌には「なんとなく」という句が多い〉 … … ほとんど西行の専売といってもいいくらいだが、よほど柔軟な心を持たなくては、このように率直な歌は詠めなかったであろう。 …
P156~157

 

【西行】と白洲氏が共振しているのではないか、と感じられました。