【奇跡の脳】を読む

【奇跡の脳】ジル・ボルト・テイラー著/竹内薫訳:新潮文庫

【奇跡の脳】ジル・ボルト・テイラー著/竹内薫訳:新潮文庫(右写真)を読み、印象に残った箇所を紹介します。

 

… わたしがあえて回復しないようにしたのは、自分や他人に対して意地悪になったり、絶え間なく不安になったり、あるいは、口汚くののしってしまうような左脳の一部でした。 … … 痛ましい過去の記憶をその場で再生しようとする古い感情的な回路なんかみんな捨ててしまいたかった。過去の苦痛に心を奪われるには、人生はあまりにも短いことを知ったから。 … P235

… エネルギーのレベルでは、もしわたしがあなたを思いやり、好ましい雰囲気を伝え、あなたを精神的な光で包み、あるいはあなたのために祈れば、わたしは意識的に癒す目的でエネルギーを送っていることになります。あなたのために、あるいはあなたの苦痛を取り去るように祈るとき、わたしという存在のエネルギーを一時的に誘導して、あなたの治療に役立てようとしているのです。ほんの一例ですが、レイキ〈霊気〉、風水、鍼灸の技術や瞑想がうまくいく理由は、医学的には謎のまま。これはいかに右脳が機能しているかという事実に、左脳や科学が未だに追いついていないからでしょう。でも、右脳マインドが直観的にエネルギーの動きを感じ、取り入れていることは、ほぼ確かだと思います。 … P276~277

 

ネットで角田忠信博士〈2.26及び2.29ブログ記事参照〉の著書について調べているとき、【奇跡の脳】という本を知りました。

あらすじを見るにおもしろそうだったので、すぐに取り寄せて読みました。

著者はジル・ボルト・テイラーというアメリカの脳科学者です。

彼女は37歳のときに脳卒中で倒れ、左脳を損傷してしまいました。

回復するまでに8年かかり、その間左脳が機能しない分、右脳の機能について深く知るところとなりました。

その一端を上記後段に紹介しました。

オカルトでもスピリチュアルでもなく、アメリカの脳科学の最前線で活躍されている方の言葉です。

当著書の巻末には、本邦の脳科学の第一人者ともいえる養老孟司氏と茂木健一郎氏の解説も載っており、そこには彼女の言と似た内容のことが述べられています。

脳科学、ユング心理学、宗教 … それぞれ歩む道は違っても、行き着く先は同じかもしれませんな。

【日本語人の脳】を読む

【日本語人の脳】角田忠信著:言叢社

【日本語人の脳】角田忠信著:言叢社(右写真)が届き、さっそく読みましたので、印象に残った箇所を紹介します。

※ 【日本語人の脳】が届いた経緯については、2.26付ブログ記事『【日本人の脳】を読む』をご覧ください。

 


… … 人間の中心脳には、太陽系の運行と同期するセンサーがあり、宇宙の縮図が私たちの脳幹に記憶されていることは、ほぼ間違いありません。ですから己自身を知ることが未知の世界を探る上で不可欠のことになります。正確な「1秒」が脳の中に組み込まれていたように、私たちが知りえるものは実はもともと私たちが無意識のレベルで持っていたものに過ぎないのかもしれません。 … P275


… 日本人の脳が違うというのは、結局、大脳皮質以上に無意識のレベルでの話なんですね。今、日本人を考えるとき、アジア人であると同時に一方で西欧化した日本人という像がある。実はもう一つあって、縄文時代以来日本語を守って山の中で古い神様を守ってきたような、それこそ説明不可能な日本人の原像がある。私はこれこそが日本人の本質ではないかと考えているんです。無意識に持っている古神道の世界観、それを日本人の脳はメカニズムとして持っていると言い換えてもよい。 … P298~299

 

前回のブログ記事の最後のほうに … ユング〈心理学者〉のいう ” 集合的無意識 ” 云々 … と書きました。

で、本日読んだ本に、なぜかしら ” 無意識 ” の言葉がかなり出てきました。〈上記①②参照〉

これって ” 共時性 ” ?

と同時に、心理学者も医学者も似たことを言うもんだなと思った次第です。

お二方の著作を熟読するのはもちろん、” 無意識 ” に関する他の書物も読み進めていきたいと思っています。

私のライフワークになりそうな気がしております。

 

正直言って、私は熱心な神道や仏教の信者ではありません。

が、地元の神社の前を通りかかったときや木立の中で一人で作業をしているとき、

西行法師が歌った

… 何事のおわしますをば知らねどもかたじけなさに涙こぼるる …

のような心境になることが多々あります。

角田博士が言っていること〈上記②参照〉に合点がいきました。

【日本人の脳】を読む

【日本人の脳】角田忠信著:大修館書店

【日本人の脳】角田忠信著:大修館書店(右写真)を読み、印象に残った箇所を紹介します。

 

… … たとえばクーラーの音、楽器の音、コオロギの声……などを調べてみますと、西洋人の例では、とにかくことば以外のものは、みんな同じレベルなのです、一様に。ところが日本人ですと、クーラーや楽器の音については西洋人と同じですが、そのほかに鳥や動物の声、虫の声などがまざっていれば、それらははるかに高いレベルを示します……。ことばに近いわけですよ。日本人が自然の音に対して如何に敏感か……こんな観点からも証明されると思います。ですからこれはもちろん飛躍ですが、横井さんや小野田さんが、あんなに長い歳月ジャングルの中で孤独な生活をしていられたのは、他にもいろいろ理由はあるでしょうが、一つにはこの日本人特有の敏感さで、自然と接していられたから……。 … P21

 

マドモアゼル・愛氏のユーチューブ動画をよく視聴します。

先日その中で彼マドモアゼル・愛氏は70代の男性です〉

「角田博士の著書【日本人の脳】はいい。発行当時とても話題になった。が、よい評価はあまりなされなかった … 。」

というようなことを言っているのを耳にしました。

 

ありました、ありました、菜園横の物置の本棚に … 。

奥付を見るに、1978年11月10日 14版発行 とありました。

そして、そのページの下部には、S53 12/16 と拙い私の字で鉛筆書きされていました。
〈昭和53年は1978年です〉

45年も前〈学生時代〉に買ったんですな。

実験の方法やデータの部分は難しいので、それ以外の読みやすい部分だけを読んだのを思い出しました。

” 左脳 ” が論理をつかさどり、 ” 右脳 ” が感情をつかさどるということも、そのとき初めて知りました。

 

改めて読み直し、上記の箇所がとても印象に残りました。

退職後、毎日のように鳥や動物の声、虫の声などを聴き、ほとんど一人で木立の中にいるからでしょうな。

… 今しがた2016年に発行された【日本語人の脳】角田忠信著:言叢社 を注文しました。

深化した中味が楽しみです。

【百歳までの読書術】を読む

【百歳までの読書術】津野海太郎著:本の雑誌社

【百歳までの読書術】津野海太郎著:本の雑誌社(右写真)を読み、印象に残った箇所を紹介します。

 

… … 50代の終わりから60代にかけて、読書好きの人間のおおくは、齢をとったら自分の性にあった本だけ読んでのんびり暮らそうと、心のどこかで漠然とそう考えている。現に、かつての私がそうだった。
しかし65歳をすぎる頃になるとそんな幻想はうすれ、たちまち70歳。そのあたりから体力・気力・記憶力がすさまじい速度でおとろえはじめ、本物の、それこそハンパじゃない老年が向こうからバンバン押しよせてくる。あきれるほどの迫力である。のんびりだって?じぶんがこんな状態になるなんて … … P7

 

先日、菜園横物置にある本を整理しているときに、タイトル名に引かれて手に取ったのが当著書。

ページを開くと、一度読んでいるような … 。

※ いつ読んだのか、まったく記憶なし。
が、至るところに、私が赤鉛筆で引いたラインが … 。

 

病み上がり〈ヘルニアの手術後〉で体が弱っていたせいか、上記の箇所が目に飛び込んできました。

物置では落ち着かなく、プレハブに持ってきてじっくり再読しました。

幸田露伴、唐木順三 … 等、著名な作家たちの晩年の様子が紹介されていて、年老いてからの読み書きをすることの難しさを知りました。

 

一読目のときのことが記憶に残らなかったのは、私自身まだ若く、病気知らずの元気者だったので、 ” 体力・気力・記憶力のすさまじいおとろえ … ” と言われても他人事と思い、読み流してしまったんでしょうな。

初めての入院を経験し、年齢も70歳に近づいてきたことも手伝ってか、以前にしっかり読めなかった本が読めるようになりました。

【人生には何ひとつ無駄なものはない】を読む

【人生には何一つ無駄なものはない】遠藤周作著・鈴木秀子監修:海竜社

【人生には何ひとつ無駄なものはない】遠藤周作著・鈴木秀子監修:海竜社(右写真)を読み、印象に残った箇所を紹介します。

 

… たとえば本格小説を書いている時、稀れではあるが自分が書いているのではなく、誰かに手を持って書かせられていると思う箇所が私にもある。本が完成したあとに読みかえすと、その箇所が私などの実力をこえ、素晴らしくよく動いている。
そんな体験を私は同業の友人や他の芸術家にたびたびたずね、「自分もそうだ」
という返事をえた。
… … 近頃深層心理学者たちはそれを無意識の働きと呼ぶようになった。しかし私などは無意識だけでは割り切れぬ何かを感じる。眼に見えぬそれらの働きを感じるとき、神は我々のなかで、ひそかに働くことで自分を示していると思う。 … P98~99

 

映画『アマデウス』で、サリエリ〈宮廷作曲家〉が、

「神の音楽がモーツァルトを通して表現されている … 」

というようなことを言っていたのが思い出されます。
〈記憶が間違っていたらゴメンナサイ〉

 

遠藤周作やモーツァルトの場合は顕著な例で、神はすべての人の中にいらっしゃるんではないでしょうか。

とくに、ものごとに没頭しているときにお見えになるような気がします。

私こと

67歳の今日までの平凡な人生の中にも、没頭せざるをえないことが度々ありました。

その度に何とかクリヤーして来られたのは、家族、周りのみなさん、そして、神〈私の場合、仏でも天でもかまわないのですが〉の働きがあったおかげと思っております。

生意気を言うようですが、

神〈仏、天〉に期待するだけではなく、彼らに恥じないように生きていきたいですな。