ひたすら本を読む大切さ

2001 8.19付 日経新聞『半歩遅れの読書術』より

午前中はずっと雨。

正午に合わせるかのように止みました。

午後、昨日、一昨日に割った薪を薪棚に入れようと外に出ましたが、気温が低くて霧雨状態だったので、プレハブに戻りました。

薪ストーブのそばでコーヒーを飲みながらいい気持でいると、そのうちに眠ってしまいました。

 

目が覚めたのは〈午後〉2時過ぎ。

プレハブ内の掃除をはじめました。

ふと本棚にある【読書案内】が目に留まりました。

※ 【読書案内】について
新聞等にある書評の類を切り抜きし、それを大学ノート〈A4版〉に貼り、私が勝手に【読書案内】と銘打ったものです。
1998年6月から2020年3月までのものが貼ってあり、49冊のノートとなっています。
〈2020年4月より新聞購読を止めましたので、それ以降のものはありません。〉

 

たまたま5冊目〈2001 2.25~9.2〉を取り出して開くと、河合隼雄氏〈臨床心理学者〉が日経新聞の『半歩遅れの読書術』の欄で書かれた文章が目に入りました。(右上写真)

Q:「自然に本来備わっている神性」をわかるにはどうすればよいのか?
A:〈ジョーゼフ・キャンベル・ビル・モイヤーズによると〉
「部屋に座って本を読む ーー ひたすら読む」とのこと。

〈河合氏の考え〉
… インターネットなどによって必要知識を検索する、これも必要だ。しかし知識ではなく自分の身についた「知恵」を獲得するためには、キャンベルの言うように、「ひたすら読む」ことである。それも、ゆっくりとはしからはしまで読むことだと思う。もちろん、これは「然るべき人たちが書いたまともな本」であることが条件であるが。 …

 

赤線を引いてあるのに、まったく覚えていませんでした。

40代の頃に、河合氏の著書を20冊ほどゆっくりとはしからはしまで読んだことが、懐かしく思い出されました。

で、そのことから当然「知恵」も蓄積されているはずなんですが … 。

【もろさわようこの今昔物語集】を読む

【もろさわようこの今昔物語集】:集英社

【もろさわようこの今昔物語集】:集英社(右写真)を読み、印象に残った箇所を紹介します。

 

染殿〈そめどの〉の妃〈きさき〉 巻20・第7 より

藤原明子〈ふじわらのあきらけいこ〉
… 聖さまは、人の救いはみ仏の大いなるいつくしみによっておこなわれるのであり、人のおこなう善行や布施によってではないと説かれましたが、ならば、不孝・悪行を重ねる者も、み仏の救いにあずかれるのですか … P198

金剛山〈こんごうせん〉の聖
… はい、人のいとなむ善行や布施などは、たかの知れたものです。不孝・悪行を重ねざるを得ないことに苦しみ、悩み大きい者の上にこそ、み仏のいつくしみもまた大きいと、私は信じています … P198

藤原明子〈ふじわらのあきらけいこ〉
… 人の生きる喜びは、位の高さではなく、心がぬくもることであると、聖さまによってはじめて知らされたのです。私もともに山に連れていってほしい … P199

 

【もろさわようこの今昔物語集】は、今昔物語集の直訳でも意訳でもなく、今昔物語集の説話を素材にしたもろさわ氏の創作である。

氏独自の解釈を施して書き下ろした短編小説集のようなものである。

それにしてもおもしろかった。

今昔物語集は、12世紀後半までには〈800年以上前に〉成立していたといわれている。

が、その内容はどうだろう。

上記の妃と聖のやり取りを見ていると、もろさわ氏独自の解釈が入っているとはいえ、今の私たちの思いとそれほど変わらないではないか。

 

物の怪に取りつかれた妃から、加持祈祷によってそれを取り除くために招かれた聖 … 。

現代風に言うと、心に病を持った人に対するカウンセラーの関係のようなものではないだろうか。

結末については、みなさんの方でお読みください。

 

まだ原典を読んでおりません。

が、「ぜひとも原典を読んでみたい」という気持ちにさせるのが、今回紹介したもろさわ氏の著書なんですわ。

【歎異抄】を読んでいたら

【歎異抄をひらく】高森顕徹著:1万年堂出版

荒天及び積雪により野外作業不可。

で、プレハブで【歎異抄〈たんにしょう〉】(右写真)を読んでいると〈【徒然草】はしばらくお休みにします〉、親戚から昼食の弁当の差し入れが。

「近くの店に来たついでに寄ってみたんや。 … ところで、おまえの友だちの〇〇君のお父さんが亡くなったの知っとるんやろな … 。」

… … …

 

親戚が帰ると、すぐに友人に電話をしました。

「 … … 先月末に死んで、もう葬式も終っとるんや。 … おまえに言おうか、言わんとこうか迷うて、結局言わんかったんや … 。」

 

昼食を食べた後、彼〈友人〉の家へ行きました。

仏壇横に置かれた彼のお父さんの遺影と向かい合うと、まだ学生だった夏の頃のことが瞼に浮かんできました。

座敷で彼と話をしていたとき、お父さんが出て来て自らお茶を入れてくれ、入れ終わると、私たちの話に加わることもなく静かに戻って行きました。

そのときに飲んだお茶のおいしかったことといったら。

そしてお茶を入れていたときのうれしそうなやさしい眼差しが、遺影の眼差しと重なって思い出されました。

 

彼のお父さんも、彼も、そして私も、真宗の門徒 … 。

真宗の教えが書かれた【歎異抄】を読んでいるちょうどそのとき、今回の訃報を知ったことに 何かの ” 縁 ” を感じています。

ご冥福をお祈りいたします。

【徒然草】に囲まれて 4

伐採木を覆っていた雪も徐々に消えてきたようです。 … 明後日あたりから伐採木処理作業の再開ができそうですな。

積雪ゆえ野外作業不可。

本日も室内にて大半を読書で過ごす。

 

【徒然草】ちくま学芸文庫〈前々回ブログ記事に掲載の写真を参照〉を、原文を除いて最後まで読みました。

とくに印象に残った箇所を紹介します。

第241段より
… … … 所願〈しょぐわん〉を成〈じょう〉じて後〈のち〉、暇〈いとま〉有〈あ〉りて道に向かわんとせば、所願尽くべからず。如幻〈にょげん〉の生〈しょう〉の中〈うち〉に、何事〈なにごと〉をかなさん。すべて、所願、皆、妄想〈まうざう〉なり。所願、心に来〈きた〉らば、妄心〈まうしん〉、迷乱〈めいらん〉すと知りて、一事〈いちじ〉を成〈な〉すべからず。直〈ただ〉ちに、万事〈ばんじ〉を放下〈ほうげ〉して、道に向かふ時、障〈さは〉り無〈な〉く、所作〈しょさ〉無〈な〉くて、心身〈しんじん〉、長く静かなり。 …

〈島内裕子氏の〉『訳』
… … … さまざまな願い事を成し遂げて、暇ができてから仏道に向かおうとしても、それは不可能である。なぜなら、いつまでたっても、願望は尽きることがないからだ。幻の如き人生の中で、いったい何をしようとするのか。すべての願望は、妄想である。願望が心に浮かんできたら、妄心が迷い乱れていると知って、一つの願望も叶えてはならない。すぐにすべてのことを放擲して、自分自身の真実の生き方に正面から向かえば、もはや何も障害となるものはなくなり、無用な行為もなくなり、心身ともに、末永く静かな安定した状態になれるのである。
P466~P468

 

兼好のいう ” 道 ” は、私にとって ” 木立の手入れ ” になると考えています。

彼のように遁世までには至らない身ですが、彼が【徒然草】で言おうとしたことを心の糧に、 ” 自分の道 ” を歩んでいきたいと思っています。

 

【徒然草】に浸っているうちに、外の雪もだんだん消えてきたようです。

明後日あたりから野外作業が再開できそうですな。(右上写真)

今日もいい一日でした。

【徒然草】に囲まれて 3

薪ストーブのそばでじっくり読書をしました。〈プレハブ内〉

積雪多々ゆえ屋外作業不可。

プレハブにて、ブログ記事の作成及び投稿、ユーチューブ視聴、読書等で終日を過ごす。

大半は読書。

 

一昨昨日に買った【徒然草】ちくま学芸文庫〈前回ブログ記事掲載の写真を参照〉の45~153段を読みました。
〈原文でなく、ほとんどが『訳』と『評』ですが。〉

とくに印象に残った箇所を紹介します。

第139段より
… 家に有〈あ〉りたき木は、松・桜。 … … …
草は、山吹〈やまぶき〉・藤〈ふじ〉・杜若〈かきつばた〉・撫子〈なでしこ〉。池には、蓮〈はちす〉。秋の草は、荻〈をぎ〉・薄〈すすき〉・桔梗〈きちかう〉・萩〈はぎ〉・女郎花〈をみなへし〉・藤袴〈ふじばかま〉・紫苑〈しをに〉、吾亦紅〈われもかう〉・刈萱〈かるかや〉・龍胆〈りんだう〉・菊。黄菊〈きぎく〉も。蔦〈つた〉・葛〈くず〉・朝顔〈あさがほ〉、いづれも、いと高からず、ささやかなる垣に、繁〈しげ〉からぬ、良し。この外〈ほか〉の世〈よ〉に稀〈まれ〉なる物〈もの〉、唐〈から〉めきたる名の聞き悪〈にく〉く、花も見慣れぬなど、いと懐かしからず。
大方〈おほかた〉、何〈なに〉も、珍しく有〈あ〉り難〈がた〉き物は、良からぬ人の、もて興〈きょう〉ずる物なり。然様〈さよう〉の物、無〈な〉くて有〈あ〉りなん。 …
P280~281

 

日々手入れをしている木立のことになりますが、昨秋から先日にかけて、杉やアテなど37本の木を伐採しました。

そして、近いうちに新たに20本の杉を伐採する予定でいます。

合わせると、けっこう広い伐採跡地ができます。

で、そこに何を植えようか、あれこれ思案している最中です。

そんな折に、ちょうど上記徒然草第139段を目にすることとなりました。

700年ほど前に兼好が抱いていた木や草花への思い … 参考になりますな。

 

今日は訪ねてくる人もなく、じっくりと読書ができました。(右上写真)