ようやく日常の生活に

10日ぶりに除草

親戚の主が亡くなってから1週間が過ぎました。

が、〈主の〉長男は、主〈彼の父〉が亡くなったことに係る諸々の手続きに追われているもよう。

手続きに必要な書類を役所へもらいに行きたくても時間の都合がつかず、代わりに私に行くよう頼んできました。

で、亡き主の奥さん〈彼の母〉といっしょに役所に書類をもらいに行くことになりました。
〈もらうといってもすべて有料〉

 

午前9時過ぎに亡き主の家に行くと、長男が記したメモが置いてありました。
〈メモに記してある内容の詳細については、事前に長男から説明を受けていました。〉

それを持って役所の窓口に行きました。

亡き主の原戸籍、除籍謄本、家族すべての戸籍謄本、そして、奥さんの印鑑証明書。

印鑑証明書以外は、はじめてのものばかりです。

が、窓口の係の方は慣れたもので、短時間でそれらを出してくれました。

 

役所を出て、野菜の苗を買って戻ると正午近く。

亡き主の家で昼食をごちそうになり、木立に戻ると、午後1時を回っていました。

 

少し休んで、木立に散らばっている杉葉を掻き集めました。

後日焼却する分を集め終わると、草むしりに取りかかりました。

草が伸びた、伸びた、と言いながら、ここしばらくはまったく除草をしていませんでした。
〈できなかったんですな〉

10日ぶりの除草でした。(右上写真)

ようやく日常の生活に戻れそうです。

とにかく元気そうで何より

木立前の山桜 2022 4.25 7:00AM

先週は、親戚の主の葬儀でてんてこ舞い。

そして昨日は、以前から頼まれていた手伝い。

朝6時前に家を出て帰って来たのは夜の9時少し前。

疲れました。

が、よいこともありました。

手伝いをしていると、かつて同じ職場で働いていた2人の同僚と出会い、けっこうな時間話すことができました。

 

一人は先輩〈6歳年上〉で、現在農業に専念しています。

二つの貴重なアドバイスをもらいました。

① 農薬を撒くときは必ずマスクをする。
農業に専念するようになってから喘息気味になったそうで、農薬散布時にマスクをしなかったことが原因ではないか、と言っていました。
② 草刈機を長時間使用しないようにする。
彼自身のことではなく、彼の知人についての話でした。
知人が〈エンジン〉草刈機を長時間使用していたがために、白蝋〈はくろう〉病状態に陥ったということでした。
その彼は現在、電動式草刈機を使っているそうです。

 

もう一人は後輩〈10歳年下〉で、現役です。

彼には3人の子どもがいて、現在育て上げるのに奮闘中。

で、〈同じく3人の子どもを育てた〉私〈ほんとうは妻と両親が育てたものみたいですが〉に、いくつかのアドバイスを求めてきました。

経験を話しました。

 

とにかく2人とも元気そうで何よりでした。

※ 右上写真 … 今年最後の木立前での花見になりそう

あっという間に過ぎた一週間

草だらけの竹やぶ跡

午前中は亡き主の家へ行っていました。

午後久しぶりに木立を回ると、木立の前も後ろも横も、至るところ草だらけ。(右写真)

※ 木立前の草の様子については、前々回のブログ記事に掲載の写真をご覧ください。

どこから刈り始めてよいかわからないほどに、わずかの間にホントによく伸びました。

草刈機は昨秋に物置に仕舞ったまま … 。

物置から引っ張り出してきて点検もしなければなりませんので、ある程度の時間が必要です。

あわてて作業をするとケガをする率が高くなりますので、今日は作業をしないことにしました。

 

で、プレハブに入って掃除をしました。

本を整頓しているときにふと時計を見ると、針は〈午後〉4時少し前を指していました。

… … …

ちょうど1週間前の同じぐらいの時刻にあったことを思い出しました。

高齢者施設でベッドに寝ていた主の傍で、お医者さんが、
「〇時〇〇分、死亡を確認しました。」
とおっしゃったことを。

 

その後は、
数回にわたるセレモニーセンターとの綿密な打ち合わせ、納棺、通夜、香典の受付け及び集計、本葬、遠方の親戚の送迎 … 等、こじんまりした家族葬といえどもてんてこ舞いでした。
〈長男はもっとたいへんだったと思います〉

昨日の午後になって、ようやく落ち着いたかなという感じでした。

あっという間に過ぎた1週間でした。

草刈りはボチボチ … 。

亡き主からの贈り物

遺影を包み込む胡蝶蘭

葬儀が終わって3日目。

買い物や歯の治療等で、亡き主の家に着いたのは〈午後〉2時頃。

 

車から降りると、春の日差しの下、奥さんが洗濯物を干していました。

ありふれた日常の光景に、3日前にほんとうに葬式があったのかと思うほどでした。

静まり返った仏間に入り、
「今日も手伝いに来たわ。」
と胡蝶蘭(右上写真)に包まれた遺影に手を合わせました。

※ 葬儀が終わっても、けっこう弔問客が訪れたり葬儀関係者が出入りしたりするものです。
で、高齢〈90歳〉の奥さん一人では対応が難しく、私が手伝っているという次第です。
〈身内で一番暇なのは私でしょうな。 … こんなときにこそ役立たないと!〉
〈長男は昨日より勤めに出ています。 … そのわけについては、前回のブログ記事をご覧ください。〉

 

さっそく、昨日私が帰った後に集まった香典袋を開け、名前と金額をパソコンに打ち込み、直近の香典一覧の作成に取りかかりました。

今回の葬儀での私の主な役割は、香典の集計と遠方からの来客の送迎。

遠方からの来客はすべて葬儀後に帰ってしまったので、今や香典の集計が唯一の手伝いと言ってもいいくらい。

それも葬儀後3日目ともなると、香典の数もわずかで作業もすぐに終わりました。

 

あとは来客が少しあるだけで、ほとんどが遺影を見ながら在りし日の主のことを思い出したり、お茶を飲みながら奥さんと話をしたりと、ゆったりと寛ぐ時間となりました。

午後6時過ぎに長男が勤めから戻って来ると、直近の香典一覧を渡し、亡き主の家を後にしました。

 

” ゆったりと寛ぐ時間 ” は、亡き主からの贈り物だったような … 。

厳かで静か過ぎるくらいに静か

いつの間にか草が               2022 4.21 7:00AM 木立前で

葬儀が終わって2日目。

〈亡き主の〉長男も勤めに行きました。

※ 上司から1週間休むように言われていたそうですが、パートの身で気がひけるらしく、早々と勤めに出たそうです。

 

で、亡き主の家に残るは奥さん1人。

1人では心もとないようで、長男が勤めから戻る〈午後6時頃〉まで、私も亡き主の家に居ることに。

※ 奥さんは現在90歳で、杖をついて歩いている状態。

 

〈午前〉9時頃、奥さんを美容院に送って戻ると、家には私1人。

… 10畳2間続きの静まり返った広いところでただ1人 …

2間のうちの一方は仏間で、

遺影と骨壺が淡いブルーの光の中に置かれ、その周りには胡蝶蘭ほか色とりどりの花々や新鮮な果物が … そして、その横には、亡き主を見守るように金色に輝く仏壇。

 

厳かで静か過ぎるくらいに静かでした。

自ずと遺影が目に入ってきました。

在りし日の主と対面しているようでした。

ふと彼が言っていたことが思い出されました。

 

私が20歳ぐらい〈昭和50年頃〉のお盆でした。

※ 当時、主は50歳前後の勤め人 … 以下、主の言。

「毎年、盆が来れば思い出すわ。 … わしゃ、〇〇〈私のこと〉よりちょっと若い頃に予科練というところにおったんや。わかりやすく言うと、戦争に行くための訓練をする学校みたいところや。 … 訓練が厳して厳してホントに参ったわ。
ある朝のことやった。点呼のときに一人足りんかったんや。で、上官から探すよう言われて、みんなで探しに行ったんや。 … そしたら、鉄道のところで死んどったんや。 … かわいそうやった。 … 訓練が厳して耐えられんかったやろな。
同期で戦死した者もおるんや。 … … 残念でしようがないわ。 … やっぱり戦争したらダメや。 … … わしゃ、長男やったんで、前線に出るのが後回しになったんや。で、いつ前線に出るんかのお、と思うとったら終戦になってしもうたんや。ちょうど盆の8月15日やった。
予科練が解散になって家へ戻って来るときやった。倉庫に保管してあった缶詰や米がみんなに配られることになったんやけど、家が百姓やったんで、いらん言うてそれらをみんな置いてきたんや。 … で、家に戻ってみると、何にもなかったんや。米はないわ。ましてや缶詰はないわ。お金もないわ … で、ないないづくしや。ウチだけやなーて、周りもほとんどそんな状態やった。
戦後は、そんな状況から始まったんや。それが、まさか今〈昭和50年頃〉みたいに豊かな世の中になるとはのお。 … 夢にも思わんかったわ。 … まあ、そんだけみんながんばったんや … 。」

 

戦時中のことはあまり話さなかった主でしたが、なぜかしら上記のことが思い出されました。

連日、ウクライナでの出来事を見聞きしているせいでしょうか。

今思うと、当事者ならではの貴重な話でした。

戦前、戦中、戦後を生き抜き、戦争の悲惨さを体験した人が、また1人逝きました。

 

享年94歳。

穏やかで、公正、公平な人でした。

その彼が、最期に此岸から彼岸に渡る折、傍らで見送ることができたことに縁の深さを感じております。

長い人生の旅、おつかれさまでした。

 

※ 右上写真 … 久しぶりに木立前に立つと、草ぼうぼう。