体力のあるうちに整理を

燃えやすいようにトガの木を斧で割りました

トガの木を割っているときに友人が訪ねて来ました。

※ 高齢者施設に入っているお父さんの様子を見るために定期的に帰省している友人です。

 

「久しぶりやな。元気そうで何よりや。 … … 斧で木割っとるんか。薪割機持っとるのになんで使わんのや。」

「いっぱい割るときは使うけど、少ないんで斧で割っとるんや。薪割機重〈おも〉て出し入れにたいへんや。割るもん〈もの〉が少ないときはたいてい斧を使うとるんや。 … 今割っとるのは薪やなーて〈なくて〉、明日の朝燃やす〈野焼きする〉もんや。太いままやと燃えにくいし、燃えやすいように割って細〈く〉しとるんや。(右上写真)」

「そんな木、どこにあったんや。」

「隣接地借りることになって、そこに放置してあったんや。」

「どこもいっしょやな。 … オレの家にもそれとよう似た太さの木が放置されたままになっとったんや。 … たぶん親父が切ったんやと思うけど。 … で、昨日オレがそれを整理したんやけど、重てホントにひどかったわ。 … 親父が切ったままにしておいた気持ちもわからんでもないわとにかく整理する体力があるうちに気づいてよかった … 。」

 

幸いにも隣接地に放置されていた木も、友人の家に放置されていた木も、放置されたままにならずに済みました。

体力のあるうちに整理できればいいですな。

木立とは何かの縁があるように思う

木立の杉

木立で作業をしていると、町会長さんがやって来ました。

用件を終えると、木立にある杉(右写真)を見ながら、

「間引きもせずにほったらかしになっていたんで、細て弱そうな木ばっかりやな。 … 来年も今年みたいな雪になったら、またいっぱい折れるなあ。」

「おっしゃる通りです。 … 木材を扱っている親戚に言わせると、下手に建材に使ったら打った釘が浮いてしまうそうです。 … まあ、ケガをしないように10年ほどかけて順に伐採しようと思っています。」

 

木に詳しい町会長さんが言うんですから間違いないでしょうな。

※ 町会長さんはたくさんの山林を所有し、建築関係の仕事をしています。

 

でも、もし、太い立派な杉ばかりだったら、私の伐採能力では太刀打ちできないでしょう。

細い〈胸高直径30㎝を超えるものはほとんどありません〉から私でも何とか伐採できるのです。

また、建材にならないようなものばかりだから気兼ねすることなく薪にできるのです。

 

現在日中のほとんどの時間を過ごしている木立〈0,5ha〉 … 。

8年前に、たまたま私が所有するようになりました。

現場を一度も見ないで決めました。

が、それが今や私にとっては大切な場所 … 。

” 細くて弱そうな建材にならない木 ” であっても、私の薪ストーブと親戚の薪風呂の貴重な燃料となっています。

木立とは何かの縁があるように思っています。

ほんとうに好きなことができたんか?

明朝の野外焼却〈野焼き〉の準備ができました … 焼却用ドラム缶の周りに燃やす木や枝葉などを並べました

明朝の野外焼却の準備をし終えたときでした。(右写真)

「妻の従兄が亡くなった」との連絡がありました。

何人もいる従兄〈従弟,従姉,従妹〉の中で、私と同い年の従兄とのことでした。

彼とは何度か話したことがありました。

 

最後に話したのは4年前、つまり私が定年退職した年の春でした。

場所は、歯医者さんの待合室でした。

他のお客さんの手前、「元気か?」「ああ、おかげさんで。」程度のあいさつを小声で交わしただけでした。

そのとき、彼は、勤め先の会社名の入った作業服を着ていました。

同い年とは言いながら、私は早々とリタイヤ―して勝手気ままに過ごしている身 … 。

心苦しい気持ちになったのを覚えています。

 

彼も私も今年度中に65歳になるはずでした。

が、彼は亡くなってしまいました。

… 雇用延長を終えて自由の身になれるのを目前にして …

彼が仕事が ” 心底好き ” だったのならそれでよいのですが、 ” 生活のために ” ということであったのなら、残念としか言いようがありません。

 

おかげさまで私はこの4年間自由に過ごしてきました。

金銭的には窮屈な面もありますが、自由はそれを十分に補ってくれます。

妻の従兄へ。

ご冥福をお祈りします。

… ほんとうに好きなことができたんか? …

木立の手入れとともに増えてきたタラノキ

タラノメがかごの半分ほどに

雨が上がりました。

木立を回っていると、タラノメがたくさん出ていたのには驚きました。

自宅に連絡すると、しばらくして両親がかごを持ってやって来ました。

採り始めて40分ほど経った頃、様子を見に両親のところへ行くと、タラノメがざっとかごの半分ほどにまでなっていました。(右上写真)
〈数でいうと200ほどか〉

高い木のものが採りにくそうでしたので少し手伝いました。

収穫は昨年よりずっと多く、親戚に配らなければ、と言いながらうれしそうに帰って行きました。

 

木立を所有するようになったのは、今からちょうど8年前 … 。

その頃は、タラノメは知っていても、それが生るタラノキについては全く知りませんでした。

木立の手入れのために笹や草などを刈り倒すときにタラノキもいっしょに刈り倒していました。

で、そのときに父からタラノキを残すように頼まれました。

タラノキがわからない旨伝えると、木立にあった20本ほどのタラノキに赤いリボンを巻いてくれました。
〈そこまでされるといくら何でも理解できますわな〉

木立の手入れが進み、日当たりがよくなると、タラノキが見る見るうちに増え始めました。

一度かなりの数を切っているのですが、すぐに増えてしまいました。

 

今日収穫したのは全体の半分ぐらい。

あとの半分は、私が日頃お世話になっている人たちに配ろうと思っています。

心のどこかに桜に惹かれるような何かが

散った山桜の花びら〈木立で〉

一週間ぶりの雨です。

午後小降りの合間に木立をひと回りすると、山桜の根元の周りに集まるように花びらが散っていました。(右写真)

※ ちょうど花びらが散ろうとしていた時機に雨に打たれ、無風状態だったのでそのようになったのかな?
〈昨日まではほとんど散っていなかったのに〉

散った花びらを見て、ふと

“ どうしてこんなに桜に惹かれるのだろう ”

と思いました。

 

それは私だけではなく、ほとんどの日本人にも当てはまるようです。

現にテレビでは、「今日はどこそこが桜の満開状態です」といった報道が毎日のようになされています。

そして、「コロナのために花見に行けなくてとても残念だ」という声もよく聞かれます。

 

千年以上前にも桜に対して特別の思いを寄せていた人がいました。

在原業平が次のような歌を詠んでいます。

” 世の中に たえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし ”

【現代語訳】
この世の中に、全く桜というものがなかったなら、春を過ごす人の心はどんなにのどかであることでしょう。
… ネット:意味と文法・品詞分解/古文by走るメロスより …

 

年老いた方が、
「来年も桜が見られるだろうか」
とおっしゃることがよくあると耳にします。

チューリップでもヒマワリでもなく ” 桜 ” なのです。

 

桜に惹かれるような何かが、心のどこかにあるんでしょうな。