ボイスレコーダーもパソコンにつなぐのか

町会長さんが最近買ったというボイスレコーダー

昨日今日と、先日行われた集落の総会の議事録を作成しました。

※ 総会については、1/27付のブログ記事を。

きょうびは、田舎の集落の総会といえども、一部始終を録音しています。

今回は、町会長さんが最近買ったボイスレコーダーを使いました。(右上写真)

総会後、「パソコンにつないだ方が扱いやすいかも。」と言われたことを思い出しました。

レコーダーをパソコンに差し込んでみました。
〈レコーダーのボタンを押すとUSB端子が出てきます〉

” なんだ、音楽ファイルの扱いと何ら変わらないではないか! ”

レコーダー内の録音したファイルをパソコンのHDDにコピーしました。

あとは、パソコンで音楽ファイルを扱う要領でクリックするだけです。

去年のことを思い出すと、

ボイスレコーダーのUSB端子にまったく考えが及ばず、レコーダーのとても小さなボタンを何回も操作しながら聞き直していました。

かつてのカセットテープレコーダーと同様の扱いをしていたというわけです。

で、今年は、レコーダーのボタン操作のストレスもなく、議事録を書き上げることができました。

再生速度を遅くしたり再生音を大きくしたりできたこともよかったです。
〈私の場合、レコーダー本体の音量だけでは聞きづらい。〉

おそまつながら世間では当たり前のことを、はじめて知ったという次第でした。

所有山林確認を通して放置山林の縮図を見る

山林の確認のための公図

昨日、所有山林に行ったことを父に告げると、

「おまえ、あんなとこ、よう一人で行ったな。 … ホントにうちの山やろな。 … 間違って他人の山に行かんかったやろな。隣との境界の印の木があるはずや。 … わかったんか?」

ということでした。

… … … そこまで言われると、返す言葉がありませんでした。
〈父は、高齢のために現地まで行く気なし〉

そして、

「うちの山に隣り合っとる家は3軒あるけど、どの家も主が亡くなってしもうて、山のことわかっとる者は誰もおらん。 … … まあ、隣在所の山をよう知っとりそうな者に聞いてやるわ。」

と、言いました。

6年前の5月にも、隣在所の山に詳しい方といっしょに山林を確かめに行ったことがありました。

が、マムシに噛まれるかもしれないということで、実際に山林に入りませんでした。

手前の山道から、「あの辺りがあんたんとこの山や。」と、説明を受けただけでした。

で、今回は、その時の説明と、固定資産税課税説明書に記された地番、地図、公図を頼りに所有山林に行ったのでした。

※ 公図(右上写真)といっても粗い描き方なので、位置の詳細まではわかりません。

 

先日よりけっこうな時間をかけて広くもない山林を確認しているのですが、いまだに境界がはっきりわからないのが実情です。

世間の放置山林の縮図を見ているような気がしています。

【「閑」のある生き方:中野孝次著】を読む

【「閑」のある生き方】中野孝次著:新潮文庫

4日連続の雨天で、今日も読書 … 、

【「閑」のある生活】中野孝次著:新潮文庫(右写真)を読みました。

印象に残ったくだりを紹介します。

… 心を空〈から〉にして、鳥が鳴いたら鳥の声に耳をすまし、風が吹いたら風の行方を見る。そういうお金で買えない大きな世界がこの世にはある。 … P45

… そういう人口刺激物〈テレビ、ラジオ、パソコン、ケータイなど〉と四六時中かかわっていては、人は到底心の声、自然の声を聴くことができないと、君は知るべきだ。それなしでは心が空虚で、空虚な自分と向き合うのがこわさにすぐまたそれに戻るのだろうけれども、そんなことをしていては人は一生涯自分というものを受け入れることがないだろう。 … P74~75

… 僕は今年78歳になった。いかに平均寿命とやらが上がった現代でも、これはかなりの老齢といっていいだろうが、その長い一生を思い返してみて、ほんとうにいま自分のものとして残っているのは、若い時から好きで、これに生涯をかけようと思ったものだけであることに気づく。他のことは全部消滅した。 … P110

… 僕は年をとってからは新刊書はほとんど読まず、何よりも古今東西の定評ある古典が面白くなってそればかり読んでいる。あれやこれやに手をのばすより、ごく僅かの本を何度も徹底して読む方が、読書内容も濃く、言葉が心の中に根づく。自分の体験からこのことは自信をもって言える。 … P112

… 老子は「道〈タオ〉」といい、セネカは「自然」といい、趙州〈唐の禅僧〉や大梅〈唐の禅僧〉は「仏」といい、エピクテートスは「神」といい、名付け方は人それぞれにちがうが、永遠なる命を指すことでは同じだ。 … P141

… 人間が生きること、いかにしたらよく生きるかについて、また宇宙自然のこと、全世界の人間の営みのこと、社会のことについて、人が物事の根本から考えるのに一番役に立つのは読書だと僕は断言できる。 … P194

本書は、著者が最期を迎える直前に書かれたものです。

著者はそのことを予期していたのか定かではありませんが、文章の至るところ心に迫ってくるものが感じられました。

で、私は、読者への遺言とも受け取りました。

【神谷美恵子聖なる声:宮原安春著】を読む

【神谷美恵子 聖なる声】宮原安春著:講談社

雨天続きで屋外作業ができませんので、ずっと読書をしています。

今日も神谷美恵子氏に関する本を読みました。

印象に残ったくだりを紹介します。

… … 精神分析の言葉に昇華(サブリメイション)という言葉がありますが、これは充たされぬ欲求をさらに高い形におきかえてこれを満足させるということを意味しております。〈長島〉愛生園において熱心で純粋な信仰生活が営まれ、美しい詩や深い思索が生まれ、隣人への愛情に充ちた行為が行われるのは、皆この昇華の例でもあると言えましょう。これは外部から来る私どもが深く打たれずにいられないところです … P185

… シューベルトのリートを口ずさみながら、ひとり山の小径を歩いていると、25年前、信州の高原でひとり療養していたころのような気がしてくる。天地の中にただひとり置かれ、自分もまた大地に生える草のひとつのように感じたあの頃と寸分もちがわない自分をみいだすのはふしぎではないか。四半世紀という歴史的時間。その間の生理的・社会的変動も、人間の精神の深奥に対しては、根本的に何の変化ももたらさないとは … P187

… 同じ条件のなかにいても、ある人は生きがいが感じられなくて悩み、ある人は生きる喜びにあふれている。このちがいはどこから来るのであろうか。性格の問題だとか、生活史や心の持ち方のちがいだとか、対人関係や社会生活のしくみを変えればだれでも生きがいを感じるようになるはずだなどと、いろいろ答は出されるであろう。ぞのひとつひとつに一面の真理があるにちがいないが、生きがいという大きな問題はあまりあっさり片付けてすむものではなさそうである … P196

3日続けての神谷美恵子氏に関する本で、

通訳よりも、翻訳家よりも、大学教授よりも、精神科医よりも、

一人の求道者を見たような思いです。

【生きがいの育て方:神谷美恵子東京研究会著】を読む

【生きがいの育て方】神谷美恵子東京研究会著:文化創作出版

前回、【こころの旅:神谷美恵子著】を読みました。

平易な表現の中にも、重厚さを感じました。

で、今回は、神谷美恵子東京研究会がまとめた【生きがいについて】文化創作出版(右写真)を読みました。

印象に残ったくだりを紹介します。

… 「やりたいからやる」という自発性をともなわないと、ほんとうのよろこびが生まれない。 … P45

… 万人がうらやむような高い地位にのぼっても、ありあまる富を所有しても、スター的存在になれるほどの美貌や才能を持っても、本人の心の中で生きるよろこびが感じられなければ、生きがいを持っているとはいえないわけです。現に私は、上に言ったような、はれやかなものを全部持っていながら、生きがいがなくて、ノイローゼになった患者さんを何年かにわたって診療したことがあります。 … P94

… よく発達した精神能力というのは、自分を見つめる反省能力を特徴とする。 … P199

… 暇というものはなくても困りますが、ありすぎると「退屈病」をおこしますし、これを善用することは難しく、かえって生きがいの喪失をひきおこすことになります。 … P200

… 変化や発展というものは、たえず旅行や探検に出たり、新しい流行を追ったりしなくてはえられないものであろうか。決してそうではない。 … … わざわざ外面的に変化の多い生活を求めなくても、じっと眺める眼、、こまかく感じとる心さえあれば、一生同じところで静かに暮らしていても、全然退屈しないでいられる。 … P201

今回は、5つのくだりを紹介しました。

最後のくだり〈P201〉が気になりました。

私は、定年退職後の2年9か月、ほとんど毎日の日中を、木立の中〈約5,000㎡〉で過ごしています。
新しい流行を追うこともなく、旅行や探検にも出ません。

※ 〈経済面、体力面等の〉事情が許す限り、今の生活を続けるつもりでいます。

で、それはそれでよいのですが、

” じっと眺める眼 ” ” 細かく感じとる心 ”

が、自分に備わっているのか気になったという次第です。

… … … 備えていきます。