何だか雨は降らなさそう

遅ればせながらジャガイモの芽かきをしました

7:05~7:25
〈前日下書きをしてあった〉ブログ記事をチェックして投稿

7:25~8:05
木立をひと回りする

8:05~9:45
サツマイモの畝づくりの続き
幅80㎝、高さ30㎝、長さ6,5mの畝を2つつくり、苗を植えるまでになりました。
〈50本ほど植える予定〉

9:45~14:40
草刈り
最近野菜を植える準備に時間を取られ、除草がおろそかになっていました。
草丈の高い箇所を集中的に刈りました。
〈12:25~13:25は、昼食、休憩時間〉

14:40~15:00
ジャガイモの芽かき
しようしようと思いながら今日に。
遅ればせながら芽かきをしました。(右上写真)
一般的には芽が10~15㎝の段階で芽かきをするそうですが、私がしたのはその倍の段階でした。
大丈夫かな?

15:00~17:00
野焼きの準備
木立に散乱している枯れ葉や刈り倒してあった草などを掻き集め、焼却場近くに積み上げました。〈フレコンバッグ57㎝×57㎝×57㎝10杯分〉
濡れると燃えにくくなるので、ブルーシートをかぶせました。

17:00~17:30
焼却場に残っていた灰をふるいにかける
濡れるとふるいにかけられないので。

 

という具合に、今晩雨が降ることを想定して慌てて作業をした次第です。

何だか雨は降らなさそう  … 。

ぼちぼち作業をするのが一番

サツマイモの畝づくり …  途中で止めました

昨日も暑かったけど、今日も暑い!

ひょっとして夏日か。

湿度が低いのがせめてもの救い。

 

昨日は、暑い中〈竹やぶ跡にカボチャとトウガンの苗を植えるために〉穴掘りをがんばり過ぎて午前の段階でバテてしまいました。

※ バテた経緯については、前回のブログ記事をご覧ください。

 

で、今日はあまりがんばらずに。

午前中は、トマトとインゲン豆を植える畝をつくり、元肥も施しました。

午後は、ピーマンを植える畝づくりをして元肥を施した後、サツマイモの畝づくりに取りかかりました。

〈午後〉5時近くになると、畝づくりの途中でしたが、作業を止めました。(右上写真)

※ いつも〈午後〉5時頃からブログ記事の下書きに取りかかりますので、その時点で作業を打ち切るようにしています。
また、ギリギリまで無理をして作業をすると、翌日に堪えますので。
〈歳ですな〉

 

今日はこまめに水分補給し、適度に休憩をとったせいか、暑い中長時間作業をした割にはグッタリ感なし。

むしろ心地よい疲れを感じながら、このブログ記事を書いているところです。

… ぼちぼち作業をするのが一番ですな …
〈生活がかかって必死で働いている方には申し訳ない〉

 

明日の晩に雨が降るとのこと。

で、明日はサツマイモの畝の仕上げと野焼きの準備をし、明後日は苗植えと野焼き。

思い通りにいくかな。

亡き主からの贈り物

遺影を包み込む胡蝶蘭

葬儀が終わって3日目。

買い物や歯の治療等で、亡き主の家に着いたのは〈午後〉2時頃。

 

車から降りると、春の日差しの下、奥さんが洗濯物を干していました。

ありふれた日常の光景に、3日前にほんとうに葬式があったのかと思うほどでした。

静まり返った仏間に入り、
「今日も手伝いに来たわ。」
と胡蝶蘭(右上写真)に包まれた遺影に手を合わせました。

※ 葬儀が終わっても、けっこう弔問客が訪れたり葬儀関係者が出入りしたりするものです。
で、高齢〈90歳〉の奥さん一人では対応が難しく、私が手伝っているという次第です。
〈身内で一番暇なのは私でしょうな。 … こんなときにこそ役立たないと!〉
〈長男は昨日より勤めに出ています。 … そのわけについては、前回のブログ記事をご覧ください。〉

 

さっそく、昨日私が帰った後に集まった香典袋を開け、名前と金額をパソコンに打ち込み、直近の香典一覧の作成に取りかかりました。

今回の葬儀での私の主な役割は、香典の集計と遠方からの来客の送迎。

遠方からの来客はすべて葬儀後に帰ってしまったので、今や香典の集計が唯一の手伝いと言ってもいいくらい。

それも葬儀後3日目ともなると、香典の数もわずかで作業もすぐに終わりました。

 

あとは来客が少しあるだけで、ほとんどが遺影を見ながら在りし日の主のことを思い出したり、お茶を飲みながら奥さんと話をしたりと、ゆったりと寛ぐ時間となりました。

午後6時過ぎに長男が勤めから戻って来ると、直近の香典一覧を渡し、亡き主の家を後にしました。

 

” ゆったりと寛ぐ時間 ” は、亡き主からの贈り物だったような … 。

厳かで静か過ぎるくらいに静か

いつの間にか草が               2022 4.21 7:00AM 木立前で

葬儀が終わって2日目。

〈亡き主の〉長男も勤めに行きました。

※ 上司から1週間休むように言われていたそうですが、パートの身で気がひけるらしく、早々と勤めに出たそうです。

 

で、亡き主の家に残るは奥さん1人。

1人では心もとないようで、長男が勤めから戻る〈午後6時頃〉まで、私も亡き主の家に居ることに。

※ 奥さんは現在90歳で、杖をついて歩いている状態。

 

〈午前〉9時頃、奥さんを美容院に送って戻ると、家には私1人。

… 10畳2間続きの静まり返った広いところでただ1人 …

2間のうちの一方は仏間で、

遺影と骨壺が淡いブルーの光の中に置かれ、その周りには胡蝶蘭ほか色とりどりの花々や新鮮な果物が … そして、その横には、亡き主を見守るように金色に輝く仏壇。

 

厳かで静か過ぎるくらいに静かでした。

自ずと遺影が目に入ってきました。

在りし日の主と対面しているようでした。

ふと彼が言っていたことが思い出されました。

 

私が20歳ぐらい〈昭和50年頃〉のお盆でした。

※ 当時、主は50歳前後の勤め人 … 以下、主の言。

「毎年、盆が来れば思い出すわ。 … わしゃ、〇〇〈私のこと〉よりちょっと若い頃に予科練というところにおったんや。わかりやすく言うと、戦争に行くための訓練をする学校みたいところや。 … 訓練が厳して厳してホントに参ったわ。
ある朝のことやった。点呼のときに一人足りんかったんや。で、上官から探すよう言われて、みんなで探しに行ったんや。 … そしたら、鉄道のところで死んどったんや。 … かわいそうやった。 … 訓練が厳して耐えられんかったやろな。
同期で戦死した者もおるんや。 … … 残念でしようがないわ。 … やっぱり戦争したらダメや。 … … わしゃ、長男やったんで、前線に出るのが後回しになったんや。で、いつ前線に出るんかのお、と思うとったら終戦になってしもうたんや。ちょうど盆の8月15日やった。
予科練が解散になって家へ戻って来るときやった。倉庫に保管してあった缶詰や米がみんなに配られることになったんやけど、家が百姓やったんで、いらん言うてそれらをみんな置いてきたんや。 … で、家に戻ってみると、何にもなかったんや。米はないわ。ましてや缶詰はないわ。お金もないわ … で、ないないづくしや。ウチだけやなーて、周りもほとんどそんな状態やった。
戦後は、そんな状況から始まったんや。それが、まさか今〈昭和50年頃〉みたいに豊かな世の中になるとはのお。 … 夢にも思わんかったわ。 … まあ、そんだけみんながんばったんや … 。」

 

戦時中のことはあまり話さなかった主でしたが、なぜかしら上記のことが思い出されました。

連日、ウクライナでの出来事を見聞きしているせいでしょうか。

今思うと、当事者ならではの貴重な話でした。

戦前、戦中、戦後を生き抜き、戦争の悲惨さを体験した人が、また1人逝きました。

 

享年94歳。

穏やかで、公正、公平な人でした。

その彼が、最期に此岸から彼岸に渡る折、傍らで見送ることができたことに縁の深さを感じております。

長い人生の旅、おつかれさまでした。

 

※ 右上写真 … 久しぶりに木立前に立つと、草ぼうぼう。

たまに日頃のルーチンから離れてみる

… のたりのたりかな … 至福の昼食時間でした

何だこの寒さは!

朝、木立をひと回りしていると、北風が冷たく、鼻水が出そうでした。
〈ここ3,4日続いた天気と真逆ですな〉
〈が、これが本来の4月中頃の天気なのかも〉

で、プレハブに入ろうとすると、親戚から電話がかかってきました。

用を済ませて帰って来ると、〈午前〉10時半を過ぎていました。

 

作業をするにしても、あれこれ準備をしているうちにすぐに正午 … 。

といって、昼食には早過ぎるし … 中途半端な時間ですな。

 

ふと海を眺めながら昼食を食べることを思い立ちました。

途中コンビニで菓子パン2個と牛乳を買い、かつてよく釣りに行った漁港に行きました。

平日で、しかも風が冷たいせいか、釣り人は見当たりませんでした。

数か所海の中を覗いてみたのですが、魚影もありませんでした。

海が一望できる高台に移動しました。

時間は正午少し前でした。

車のガラス越しに海を眺め、買ってきた牛乳を飲みながら菓子パンを食べました。

昨年の9月以来の海でした。

… のたりのたりかな … という感じで、至福の昼食時間となりました。(右上写真)

 

食べ終わった頃に雨が降り出しました。

春の海の余韻を残しつつ、盛りを過ぎたソメイヨシノが雨に打たれる中を帰ってきました。

気分がスッキリとし、たまに日頃のルーチンから離れてみるのもいいかな、と思いました。