厳かで静か過ぎるくらいに静か

いつの間にか草が               2022 4.21 7:00AM 木立前で

葬儀が終わって2日目。

〈亡き主の〉長男も勤めに行きました。

※ 上司から1週間休むように言われていたそうですが、パートの身で気がひけるらしく、早々と勤めに出たそうです。

 

で、亡き主の家に残るは奥さん1人。

1人では心もとないようで、長男が勤めから戻る〈午後6時頃〉まで、私も亡き主の家に居ることに。

※ 奥さんは現在90歳で、杖をついて歩いている状態。

 

〈午前〉9時頃、奥さんを美容院に送って戻ると、家には私1人。

… 10畳2間続きの静まり返った広いところでただ1人 …

2間のうちの一方は仏間で、

遺影と骨壺が淡いブルーの光の中に置かれ、その周りには胡蝶蘭ほか色とりどりの花々や新鮮な果物が … そして、その横には、亡き主を見守るように金色に輝く仏壇。

 

厳かで静か過ぎるくらいに静かでした。

自ずと遺影が目に入ってきました。

在りし日の主と対面しているようでした。

ふと彼が言っていたことが思い出されました。

 

私が20歳ぐらい〈昭和50年頃〉のお盆でした。

※ 当時、主は50歳前後の勤め人 … 以下、主の言。

「毎年、盆が来れば思い出すわ。 … わしゃ、〇〇〈私のこと〉よりちょっと若い頃に予科練というところにおったんや。わかりやすく言うと、戦争に行くための訓練をする学校みたいところや。 … 訓練が厳して厳してホントに参ったわ。
ある朝のことやった。点呼のときに一人足りんかったんや。で、上官から探すよう言われて、みんなで探しに行ったんや。 … そしたら、鉄道のところで死んどったんや。 … かわいそうやった。 … 訓練が厳して耐えられんかったやろな。
同期で戦死した者もおるんや。 … … 残念でしようがないわ。 … やっぱり戦争したらダメや。 … … わしゃ、長男やったんで、前線に出るのが後回しになったんや。で、いつ前線に出るんかのお、と思うとったら終戦になってしもうたんや。ちょうど盆の8月15日やった。
予科練が解散になって家へ戻って来るときやった。倉庫に保管してあった缶詰や米がみんなに配られることになったんやけど、家が百姓やったんで、いらん言うてそれらをみんな置いてきたんや。 … で、家に戻ってみると、何にもなかったんや。米はないわ。ましてや缶詰はないわ。お金もないわ … で、ないないづくしや。ウチだけやなーて、周りもほとんどそんな状態やった。
戦後は、そんな状況から始まったんや。それが、まさか今〈昭和50年頃〉みたいに豊かな世の中になるとはのお。 … 夢にも思わんかったわ。 … まあ、そんだけみんながんばったんや … 。」

 

戦時中のことはあまり話さなかった主でしたが、なぜかしら上記のことが思い出されました。

連日、ウクライナでの出来事を見聞きしているせいでしょうか。

今思うと、当事者ならではの貴重な話でした。

戦前、戦中、戦後を生き抜き、戦争の悲惨さを体験した人が、また1人逝きました。

 

享年94歳。

穏やかで、公正、公平な人でした。

その彼が、最期に此岸から彼岸に渡る折、傍らで見送ることができたことに縁の深さを感じております。

長い人生の旅、おつかれさまでした。

 

※ 右上写真 … 久しぶりに木立前に立つと、草ぼうぼう。

木立前のタンポポで日常の世界に

木立前のタンポポ 2022 4.20 4:00PM

長らくご無沙汰しておりました。

前回のブログ記事は、4.16付『ジャガイモの芽が出て喜んだのも束の間』でしたので、6日ぶりの投稿記事となります。

で、その間にあったことをお伝えいたします。

 

4.15〈金〉

午後、親戚の〈主の〉長男より、高齢者施設に入っている主〈彼の父〉の容態がよくない旨連絡がありました。

ブログ記事の下書きをしている最中でしたが、すぐに施設に走りました。

長男と主の奥さん〈長男の母〉と私の3人でベッドに横たわっている主を見守りました。

かなり荒い呼吸状態でした。

呼びかけたり手をさすったりしながら2時間ほどいたでしょうか、長男だけが残り、私は奥さんを家に送り届けた後自宅に戻りました。

※ 長男は、その晩ずっと主のそばに寄り添っていたとのこと。

 

4.16〈土〉
朝、長男が家に戻ると、主の妹とその息子〈主の甥〉が施設に向かいました。

午後になり、彼女らが戻る頃、私と主の奥さんが施設に入りました。
〈長男は、4時間後に私たちと入れ替わる予定でした。〉

主の寝ている部屋に入ると、前日ほどではありませんでしたが、荒く息をしていました。

声かけをしたり手をさすったりしているうちに、荒かった息も徐々に静かになっていきました。

で、ベッドから離れ、お茶を飲みながら主の若かりし頃の話を聞かせてもらっていると〈その間2分ほどだったか〉、

… さっきまで〈呼吸により〉上下していた掛布団がまったく動いていないような …

主の傍に寄り、様子を窺うと、

… 呼吸をしていないような …

職員の方に伝えました。

折よくお医者さんがいらっしゃる日でしたので、すぐに容態を診ていただくことができました。

脈をとったり、聴診器を当てられたりした後、

「〇時〇〇分、死亡を確認しました。」

とおっしゃって合掌されました。

… … … … … …

冷静さを装って長男に連絡するのがやっとでした。

しばらくすると、長男がやって来ました。

主の亡がらを〈主の〉家に運び入れ、あれこれしているうちに自宅に戻ったのは夜の9時過ぎ。

入浴後床に就きましたが、ほとんど眠れず … 。

※ 家族葬で葬儀を行うことは前々から決まっていました。

 

4.17〈日〉

※ 友引ゆえに葬儀を行えず

で、主の亡がらの傍で、長男、奥さんを中心に濃い親戚が集まり、葬儀屋さんを交えての葬儀の進め方についての相談。

葬儀の進め方がほぼ決まりました。

 

4.18〈月〉

住職さんがいらして、〈午後〉4時より納棺。

その後、棺に収められた亡がらをセレモニーセンターに移動。

親戚〈20人強〉が集まり、〈午後〉7時より通夜。

通夜終了後、遠方の親戚をホテルに送る。

送った後、私は自宅に戻るも、数人がセンターに居残ることに。

 

4.19〈火〉

朝、6時過ぎにセンターに赴き、居残り組と交代。

9時頃、遠方の親戚をホテルに迎えに行く。

11時より本葬。

正午過ぎに出棺し、斎場へ。

再びセンターに戻り、骨壺を前に住職さんにお経を唱えていただく。

午後3時過ぎに一連の仏事が終了し、センター前にて解散。

遠方の親戚は、〈めったに来られないということで〉墓参りに。

私が自宅に戻ったのは、4時過ぎでした。

どっと疲れが出ました。

 

4.20〈水〉

〈午前〉8時から〈午後〉3時半まで亡き主の家に。

残ったのは、長男と奥さんと別の親戚1人と私の4人。
〈別の親戚1人は午後帰りました〉

葬儀の翌日なので暇かと思いきや、弔問客が次から次へと。

※ 主の死亡については、葬儀翌日〈20日〉の朝刊のおくやみ欄に掲載されました。
小さい集落なので、情報がいっぺんに広まったようでした。
弔問客のほとんどが、奥さんと同年代〈90歳前後〉のおばあちゃんたち。
どの方も長時間ホントに上手にしゃべることといったら … 。
役不足の私は、隣の部屋で別の親戚と香典の計算をしていました。
長男は、あいさつや支払い等で終日奔走していたもよう … 。

〈午後〉3時半頃、亡き主の家を後にしましたが、けっこう忙しかったです。

とにかく香典の金額やお返しの数がぴったり合い、ひと安心。

 

木立前に着くと、黄色いタンポポの花が一面に咲いていました。(右上写真)

非日常の世界から日常の世界へ戻って来た感がしました。

記憶の鮮明なうちにと、すぐに当ブログ記事の下書きに取りかかりました。

この6日間にあった出来事を、時間の流れに沿って思い出すままに書き出しました。

とりあえず今回は、主が亡くなったことに伴い、単にあったこと〈出来事〉をお伝えしました。

心情面については、追い追いお伝えしていきたいと思っています。

ジャガイモの芽が出て喜んだのも束の間

ジャガイモの芽が出て喜んだのでしたが …

ジャガイモの芽が一向に出ませんでした。

植えてから2週間以上も経っているのに … 。

午後、そぼ降る雨の中、ジャガイモ畑を見に行くと、

いくつか芽が出ていました。

芽にかぶさっていた土が昨日からの雨に洗い流されたせいもあってか、くっきりと顔を出していました。(右上写真)

… よかった …

 

プレハブに戻り、当ブログ記事の上記のくだりまで書いていると、親戚からケータイが。

高齢者施設に入っている〈親戚の〉主の容態がよくないとのこと。

 

直ちに施設に向かうことに。

で、当ブログ記事はこれにて終了。

尻切れトンボで終わることにご了解のほどを。

ジャガイモの芽が出て喜んだのも束の間でした。

2022 4.15 3:40PM プレハブにて

たまに日頃のルーチンから離れてみる

… のたりのたりかな … 至福の昼食時間でした

何だこの寒さは!

朝、木立をひと回りしていると、北風が冷たく、鼻水が出そうでした。
〈ここ3,4日続いた天気と真逆ですな〉
〈が、これが本来の4月中頃の天気なのかも〉

で、プレハブに入ろうとすると、親戚から電話がかかってきました。

用を済ませて帰って来ると、〈午前〉10時半を過ぎていました。

 

作業をするにしても、あれこれ準備をしているうちにすぐに正午 … 。

といって、昼食には早過ぎるし … 中途半端な時間ですな。

 

ふと海を眺めながら昼食を食べることを思い立ちました。

途中コンビニで菓子パン2個と牛乳を買い、かつてよく釣りに行った漁港に行きました。

平日で、しかも風が冷たいせいか、釣り人は見当たりませんでした。

数か所海の中を覗いてみたのですが、魚影もありませんでした。

海が一望できる高台に移動しました。

時間は正午少し前でした。

車のガラス越しに海を眺め、買ってきた牛乳を飲みながら菓子パンを食べました。

昨年の9月以来の海でした。

… のたりのたりかな … という感じで、至福の昼食時間となりました。(右上写真)

 

食べ終わった頃に雨が降り出しました。

春の海の余韻を残しつつ、盛りを過ぎたソメイヨシノが雨に打たれる中を帰ってきました。

気分がスッキリとし、たまに日頃のルーチンから離れてみるのもいいかな、と思いました。

きれいな夕日も見られてホントにええ一日

プレハブの西窓より 2022 3.30 5:20PM

予定通り、午前中に菜園から木立への砂利運びが終わりました。

※ 菜園から木立への砂利運びについては、前回のブログ記事をご覧ください。

 

昼食を食べ終わると、木立に落ちている杉葉を拾い集めました。

※ 親戚から、薪風呂の焚付けのために杉葉を持って来るよう頼まれていましたので。

で、親戚に持って行って帰ろうとすると、

「これ、チューリップの球根や。持って行けや。」

「チューリップの球根て、秋に植えるもんやろ。」

「そうや。 … ほんでも〈それでも〉いま植えてもいいんや。 … 4月の末ごろにちゃんと花咲かせるわ。」

わけがわかりませんでしたが、とにかく50個ほどもらってきました。

いずれの球根も、先の方からすでに3㎝ほどの芽が出ていましたので、帰って来るや否やすぐに植えました。

 

植え終わって後片付けを済ませると、ちょうど〈午後〉5時でした。

プレハブに入り、当ブログ記事の下書きに取りかかりました。

しばらくすると、窓から夕日が射し込んで来ました。(右上写真)

先日友人とここで話していたとき、ちょうど今ぐらいの時間帯に言っていたことを思い出しました。

「おまえ、晴れたらいつもこんな夕日を見られて … ええのお。」

 

季節外れのチューリップの球根植えもでき、

おまけにきれいな夕日も見られて、ホントにええ一日でした。