” ウーバー ” のようなシステムが必要

親戚から電話がありました。

「明日時間があったら運転手を頼みたい。」とのことでした。

いつも親戚を乗せている自家用車

親戚は高齢者夫婦で、昨年の11月ごろに主が車の運転ができなくなってしまいました。
〈高齢のため。奥さんは運転免許無し。〉

※ 親戚のところも田舎ですので、歩いて行ける範囲内にお医者さんもお店もありません。

それで、近くに住んでいる暇そうな身内〈私〉に声をかけてくるのです。

そういうわけで、昨年の11月頃から月に4~5回の割合で病院や買い物の送迎をしているという次第です。

最初はお礼をもらわなかったのですが、最近はガソリン代と称して月に一回お礼をもらっています。

親戚の長男〈都会で働いている〉も帰省のたびに、「いつもありがとう」とお礼を置いていきます。

… いくらボランティア、善意といっても、何がしかのお礼があった方が長続きするように思われます …

【メリット】
・親戚 … タクシーより安くつき、巡回バスよりずっと便利〈必要以上に歩かなくていい〉。
・私 … 月に4,5回程度〈1回の所要時間約半日〉なら不都合はない。もらったお礼をガソリン代に充てることができる。
【デメリット】
・両者ともに今のところとくになし。

【結論】
・親戚と私はお互いによく知っているのでそのようなことができるんですね。
見ず知らずの人どうしの場合は、やはり ” ウーバー ” のようなシステムが必要でしょうね。

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朝寝坊した30分の遅れは大きかった

東の空に日が昇り始めました
あれっ 予報と風向きが違う
火を見守りながら朝食を

朝寝坊をしてしまいました。

野外焼却をしようと干し草に被せてあったシートをまくると、ちょうど朝日が昇り始めました。(右上写真)

5時に燃やし始める予定でしたが、30分ほど遅れてしまいました。

干し草をドラム缶のところに持って行って火をつけると … … 、
あれっ! 風向きが予報と違うではありませんか。(右中写真)

でも、微風で許容範囲の風向きでしたので、そのまま燃やし続けることにしました。
〈しばらくして予報通りの風向きに変わりました〉

予報では、午前9時ごろから風が強めになるようでしたので、できればその1時間ぐらい前の8時ごろまでに全部燃やし終えたかったのですが … 。

結局、予定していた全部を燃やせず、8割ぐらいを燃やして終わりました。
〈残りの2割は次回に焼却〉

また、慌てて自宅を出てきたので、朝食用のパンとバナナを置き忘れてしまいました。

たまたま親戚からもらったおにぎりが冷蔵庫にありましたので、それを取り出して朝食としました。(右下写真)

一か月ぶりの野外焼却 … 。

万全の準備をしたつもりでした … 。

しかし、寝坊したために計画が崩れてしまいました。

… 30分って大きいですね! …

みんな元気…何よりの旧盆の日です

プレハブの中にいると蝉の鳴き声が
親戚からの差し入れ

今日は、 ” 地獄の閻魔様もお休みになる ” というお盆の日です。

それで、閻魔様に倣い私も休ませていただいております。〈酷暑のせいもありますが〉

作業をしたといえば、ヒマワリの水やりと干し草積みぐらいでしょうか。

地域のみなさんもお休みになっているらしく、朝から草刈り機のエンジン音もまったく聞かれず、また、道路を行き来する車もいつもより少ないようです。

ブレハブの中にいると(右上写真)、アブラゼミ〈ジージー〉、ミンミンゼミ〈ミーンミーン〉、ツクツクボウシ〈ツクツクボーシ〉の鳴き声が聞こえてきます。

そのような蝉たちの合唱を耳にしながら、朝から新聞や本を読んだりブログを書いたりしています。

久しぶりにプレハブ内の整頓もしました。

そう言えば、お昼ごろに親戚が4人でやって来て、梨、瓜、葡萄の差し入れを置いていきました。(右下写真)

他にも行くところがあるようで、二言、三言交わしただけで帰って行きました。

交わす言葉が少なくても、表情やしゃべり方などで、元気で生活している様子が伝わってきました。

家族が顔を揃え、親戚もやって来て、そして、みんな元気 … 。

何よりの旧盆の日です。

今後もずっと昔の記憶であり続けてほしい

旧盆の我が居場所周辺の光景 1
旧盆の我が居場所周辺の光景 2
旧盆の我が居場所周辺の光景 3
旧盆の我が居場所周辺の光景 4

地区の戦没者慰霊祭の世話をしているうちに、かつて身内の者が戦争に関わる話をしていたことを思い出しました。

1 〈太平洋〉戦争も終わりの頃やったかな。子どもが居るのに令状が来てフィリピン行ったがや。マラリヤに罹ってどうにもならんで結局日本に戻されたんやけど、戦争終わっても、体の調子がなかなか回復せんで困ったわ。戦争はぜったいするもんやないな。

2 満州の新京というところの役所で建設関係の仕事をしとったけど、終戦後、ソ連の収容所に入れられた。ほんとに寒〈く〉てひどい目に合うたわ。朝起きると、死んどる人も居ってな … 。軍人でなーて〈なくて〉民間人やったもんで早う家に帰って来ることができたんや … 。

3 予科練で終戦迎えたんや。同い歳で戦死したもんも居ってな … … 。
戦争終わったとき、米をもらうことができたんやけど、〈百姓なので〉家にあると思うてもらわんと帰って来たんや。そしたら家に米がなかったんや。

4 『小6時の私』じいちゃん、戦争行ったんか? 『祖父』行っとらん … … 。 『小6時の私』なんでや。 『祖父』 … … 。 『祖母』背低いので兵隊検査に落ちたんや。
” 知らないとはいえ、失礼な質問をしました ”

どれも〈1~4〉40年以上も前の記憶です。
今後もずっと、昔の記憶であり続けてほしいと強く願っている次第です。

急に何かあった場合親戚をよろしくお願いします

水をかけ ブラシでそうじ
コンクリートの間から草が
最後に花を供えてお参りをしました

親戚〈高齢者夫婦:主は90歳〉の墓そうじの手伝いに行ってきました。

その墓は、集落から少し離れた山の中にあります。

以前行ったときには、墓の周りの地面がイノシシにズタズタに荒らされていました。

ミミズを食べるためにイノシシが地面を掘り返すということでした。

でも、今年は晴天続きで地面が乾いているせいか、ミミズもいなく、イノシシも来ないのだそうです。

墓に上り、バケツで水をかけながらブラシで墓石をこすりました。(右上写真)

※ 歳をとると、墓に上るのはとても危険です。
それ以前に山の中にある墓まで歩いて行けないのです。
結局誰かがいっしょに行って手伝うということになります。
その ” 誰か ” がいればまだいいのですが、いない場合は、” 放置された墓 ” になってしまいます。

墓から降りると、今度はコンクリートの間から伸びている草を取り除きました。(右中写真)

小一時間ほどでそうじを終わり、花を供えてお参りをしました。(右下写真)

墓を後にするとき、〈私たちの後に墓そうじに来ていた〉同級生に今までになく ” ていねいに ” あいさつをしました。

… 親戚に急に何かあった場合、よろしくお願いします … という気持ちを込めて。