夏の終わりに一抹の寂しさを覚える

スベリヒユ?

終日草刈り。

作業を終えたのは〈午後〉5時頃でした。

空を見ると、すでに日は西山近くにありました。

それも真西寄りに。

風も涼しい … 。

 

「汗だくになり、自宅に飛んで帰って水風呂に浸かっていたっけなあ。」

と、つい先日までの出来事が、遠い昔のことのように懐かしく感じられました。

… 夏も終わりかな … と、一抹の寂しさを覚えました。

暑い夏が終わるのをあれだけ望んでいたにもかかわらず … 。

 

まあ、とにかくアサガオの棚の周りの草をすべて刈り終えました。

周りがすっきりしたせいで、アサガオの棚がいっそう映えるようになりました。

予報によると明日は朝から晴れのよう。

色とりどりのアサガオの花がより鮮やかに見られると思うと、とても楽しみです。

 

【追伸】

10日ほど前にある料理番組を視聴して、 ” スベリヒユは食べられる ” ということを知りました。

で、実際に出演された方たちが、油で炒めておいしそうに食べていました。

そのとき、スベリヒユってひょっとしてあれかな? と思いました。

あれというのは、この時期に木立前によく見られる雑草〈失礼!〉のことです。

具体的には、右上写真になります。〈本日撮影〉

ただ、姿かたちがよく似ている草花ってけっこうありますので、間違って食べるとたいへんなことになりかねません。

草花に詳しい方に一度確認してもらいたいと思っています。

雪が降り積もるまでにどれだけできるかな

もう秋の空ですな。2021 9.5 1:00PM 木立前で

長らく続いていた雨も上がり、読書、ユーチューブの日々からようやく解放されました。

 

木立周辺では、稲を刈り終わった田んぼもぼちぼち見られるようになりました。

久しぶりに見る青空は、もう夏のものではなく、秋のものです。(右上写真)

今〈午後1時過ぎ〉プレハブ内でこのブログ記事を書いているのですが、一日の最も暑い時間帯にもかかわらず、冷房は入れていません。

室温は30℃近くでも、湿度が50℃を切っていますので、窓からの風だけでも不快さを感じることなく過ごせます。
〈風も秋のものですな〉

 

作業のしやすい涼しい秋が、ようやくやって来たようです。

さしあたってしなければならないのは、この長雨で伸びた草を刈ること。

まる3日はかかりそう。

それが終わると、

① 作業兼物置小屋の屋根の傘釘の交換
② 菜園横物置の屋根の塗装
③ 切株起こし
④ 薪棚の後ろに新たに物置をつくる
⑤ 井戸の修理
⑥ 杉を15本ほど伐採し、それらを45㎝長の丸太にする
⑦ 木立の中の窪地を埋めて平らにする
⑧ 竹やぶ跡に新たに果樹〈樹種は未定〉を植える
⑨ 夏野菜畑の整理及びイチゴ、ニンニク植え
… … … etc.

しなければならないこと、したいことが目白押しです。

 

雪が降り積もる〈早い年は12月中旬〉までにどれだけできるかな。

【歎異抄】を座右の書として

左から 【歎異抄】安良岡康作訳注:旺文社文庫,【『歎異抄』を読む】田村実造著:NHKブックス,【歎異抄】本願寺出版社,【歎異抄をひらく】高森顕徹著:1万年堂出版

・【歎異抄】安良岡康作訳注:旺文社文庫(右写真)
・【『歎異抄』を読む】田村実造著:NHKブックス(右写真)

これら2冊、若かりし頃買うも、意訳を少しだけ読んでお蔵入り … 。

・【歎異抄】本願寺出版社(右上写真)
を退職時〈4年前〉に西本願寺〈京都市〉にて購入も、意訳を3~4回読んで枕代わりに … 。
〈親鸞先生、唯円先生、ゴメンナサイ。〉

 

どうして読むのを止めてしまったのか。

歎異抄第3章のあるくだりを例にとると、

… … 自力で修めた善によって往生しようとする人は、ひとすじに本願のはたらきを信じる心が欠けているから、阿弥陀仏の本願にかなっていないのです。しかしそのような人でも、自力にとらわれた心をあらためて、本願のはたらきにおまかせするなら、真実の浄土に往生することができるのです。 …
【歎異抄】本願寺出版社 P8より

とあります。

で、私は、

◇ 自力で修めた善によって往生 → これのどこがダメなんだ!
◇ 自力にとらわれた心をあらため → 努力するなっていうことか!

というように感じました。

他のいくつかの章においてもそのように感じたくだりがあり、そのことが、読むのを止めてしまった主な原因でした。

 

昨夕たまたまユーチューブで、菊谷隆太氏が歎異抄について語っているのを視聴しました。

今日も朝から雨 … で、プレハブに籠り、午前中ずっと氏のユーチューブを視聴していました。

昨夕の分と合わせ、全部で10番組ほど視聴したでしょうか。

歎異抄でいっている ” 他力  を単に他人頼みととらえていた自分が浅はかで恥ずかしく、情けなくなりました。

すぐにお蔵入りになっていた本を引っぱり出してきました。

そして、菊谷氏の推奨する【歎異抄をひらく】高森顕徹著:1万年堂出版(右上写真)を買ってきました。

※ これで歎異抄に関する本は全部で4冊となりました。(右上写真)
時と場合に応じて使い分けて読んでいきたいと思っています。

 

現在65歳 … 浄土真宗の門徒でもあります。

歎異抄を読むにはちょうどいい頃合いかも。

ひょっとして今回の秋の長雨が、歎異抄に結び付けてくれたのか … 。

これも ” ご縁 ” かな。

座右の書として、できれば原文で読んでいきたいと思っています。

【思想なんかいらない生活】を読む

【思想なんかいらない生活】勢古浩爾著:ちくま新書

晴耕雨読を地で行くような生活をしております。

さて、【思想なんかいらない生活】勢古浩爾著:ちくま新書(右写真)を読み、印象に残ったくだりを紹介します。

… … わたしはいかなる意味においても「知識人」なんかではない。むしろ存在のあり方としては、完全に非知識人である。
けれども、哀しいことに世間ともなじまない。世間の価値になじんで何の違和も感じないのが大衆だとするなら、わたしはたぶん大衆ではない。世間と根本的には打ち解けることができない。大衆の「明るさ」はわたしにはない。陰鬱である。無口である。わたしはちっとも深刻でも難解でもないのに、世間に対して親和的ではない。世間での当然な振る舞い、世間が求める欲望はわたしのものではない。なぜかはわからない。 … P236

 

先日読んだ森田療法に関する本〈前々回のブログ記事参照〉に、

神経症に陥る主な原因は、

理想と現実の落差を埋めようと頑張り過ぎることにある、というようなことが書かれていました。

ふと「下手に思想を持つと理想も高くなるんだろうな」と思いました。

で、ちょうど手元に【思想なんかいらない生活】というタイトル名の本がありましたので、さっそく読みました。

結論を先に言うと、思想がないことと神経症との因果関係については触れられていませんでした。

 

ただ、上記のくだりを読んだときに私のことを言っているようで、つい紹介した次第です。

※ 勢古氏を私と同列に並べるような物言いをし、たいへんな失礼かなと甚だ恐縮しております。

【日本語のために】丸谷才一著 を読む

【日本語のために】丸谷才一著:新潮社

終日雨でした。

プレハブに籠り、本を読んでいました。

読んだのは、【日本語のために】丸谷才一著:新潮社(右写真) … 以下、印象に残ったくだりを紹介します。

 

… … 口語文には、文語文という骨格がとほつてゐる。とすれば、子供に文語文を読ませることの重要性は至つて明らかな話になろう。それが日本語の文体をすこやかにし、美しく保つための、基本的な手段なのである。国語は常に古典主義によつて養われてゐなければならない。 … P38

… 日本自然主義と私小説とは、無教養を恥とせずにかへつて誇るような奇怪な文学風土を作りあげたのだが、これは現代文学と古典主義との関係をますます薄くさせたし、現代文体をますます放恣なものにする大きな一因となつてゐるからである。 … P77~78

… 漢字というのは一字一字が意味概念を持つてゐるから、その組み合わせによる新語と出会つても類推がきく。 … P122

… 本来、一文明にとつて、その国語の最上の教師は、文学者であるはずなのだ。かういうことは、藤原定家にとつても、芭蕉にとつても、森鷗外にとつても自明のことだつたろう。しかし志賀〈直哉〉に至つて、文学者は国語の教師であることをやめ、さらには日本語をフランス語にかえようなどと、自分の生存の根拠を否定する説を吐くことになつたのである。 … P207

… われわれはあくまでも自分自身の精神と感覚のための貴重な道具として、日本語を大事にしなければならない。 … P208

 

二十歳頃のときに当著書を一度読んでいます。

正確な日本語を話したり書いたりする人間になりたいと思っていました。

あれから45年 … 結果は … … … 。

が、気持ちは当時とまったく変わりません。

読み書きをする体力がある限り、今後も日々精進したいと思っています。

 

今回再読し、著者〈丸谷氏〉の日本語を大事にしようという熱い思いを改めて知るところとなりました。

なお、著者の考え方や人柄等について、彼に近しかった川本三郎氏〈評論家〉が、氏の著書【そして、人生は続く:平凡社】〈P272~276〉で書いています。