雪が消え暖かくなったらまたひとがんばり

孟宗竹の竹やぶ跡で … 5年前の今頃は一面孟宗竹が密集していました。

若干の雪が降ったとはいえ、風もなく日が差し始めたので、木立をひと回りしました。

うっすらと雪化粧をしたところで足が止まりました。

かつて孟宗竹が密集していた竹やぶ跡です。(右写真)

※ 5年前の3月にすべて伐採しました。
当時伐採したきこりさんの話では、1,000本近く植わっていたとか … 。
竹やぶがあった頃の痕跡を留めるのは、今や切株のみ。
が、その切株も年々腐食してきて、あと3~4年もすると跡形もなくなくなってしまいそう。

 

先日集落のある男が言っていた言葉を思い出しました。

※ その男は、竹を無料で伐採する事業があることを知っていて、実際に私の所有地でそれを実践してくれました。

 

… あんた〈私のこと〉んとこの木立やけど、わしが孟宗竹を伐採した他に、あんた自身がけっこうな数の木を伐採したんで、日が当たるええ木立になってきた。
5,000㎡ほどの広さがあるみたいやけど、ここまでようがんばったわ。
世間では、放置林が荒れて騒いどるようやけど、その気になれば、たとえ一人でも何とかなるいうことや。
ここは、放置林再生の一つのモデルに十分なるわ。 …

 

たまたま好きでやってきたことが、結果的にはそのように評価され、うれしい限りです。

雪が消え、暖かくなったら、またひとがんばりですな。

建国記念の日にシマヘビに出会う

冬のシマヘビ

〈午前〉10時過ぎに、2日ぶりに木立を回りました。

気温は例年並み〈最低気温0℃,最高気温7℃〉といったところでしょうか。

ただ積雪がなく風も穏やかなので、木立をひと回りした後、付近の道路を散策しました。

しばらく行くと、

な、なんと、人家の石垣にシマヘビがいるではありませんか!

動いているような、動いていないような … 生きていることだけはたしかなよう。

デジカメを取りに100mほど離れたプレハブまで走りました。
〈ケータイで写真を撮ることができないんですわ … 情けない〉

 

で、戻ってくると、ほとんど同じ場所にいました。

接近して写真を撮ろうとすると、やおら動き出しました。

カメラを50㎝ほどまでに近づけても、とても緩慢な動きでした。

それで、鮮明な写真が撮れたわけですが … 。(右上写真)

 

ヘビさん、怖かったでしょうな。

夏なら素早く逃げられるんだけど、寒い季節は思うように動けないみたいですわ。
〈ヘビの生態に詳しくないので、あくまで推測ですが。〉

これも推測ですが、石垣の隙間にでも冬眠していたところを、大地震やたび重なる余震で隙間が開いてしまい、冬眠どころではなくなったんだと思われます。

とにかくヘビさんには、新たに適切な場所を見つけ、再び冬眠することを願うばかりです。

 

ということで、今回は、建国記念の日にシマヘビに出会ったお話でした。

【宇宙からの帰還】を読む

【宇宙からの帰還】立花隆著:中央公論社

【宇宙からの帰還】立花隆著:中央公論社(右写真)を読み、印象に残った箇所を紹介します。

 

以下、アメリカの宇宙飛行士たちが立花隆氏に話したことです。

… 宇宙体験は私の信仰を一層強めてくれた。正確にいえば、強めたというよりは、広げてくれたというほうがいいかもしれない。それ以前は私の信仰内容はファンダメンタリストのそれで偏狭だったが、宇宙体験以後は伝統的教義にあまりこだわらないようになった。はっきりいえば、他の宗教の神も認めるという立場だ。アラーもシッダも、同じ神を別の目が見たときにつけられた名前にすぎないと思う。 … P279
ファンダメンタリスト:科学が教えることより、聖書に書いてあることのほうがすべて正しいと信じる人〉

 

… 地球は無限の宇宙の中では、一つの斑点程度にしか見えなかった。しかしそれは美しすぎるほど美しい斑点だった。それを見ながら、いつも私の頭の中にあった幾つかの疑問が浮かんできた。
… … その答えが瞬間的に浮かんできた。 … すべてが一瞬のうちだった … 瞬間的に真理を把握したという思いだった。
… 私はたとえようもない幸福感に満たされた。それは至福の瞬間だった。神との一体感を味わっていた。 … P300~301

 

40年ほど前に、今は亡き親戚の主が、「おもしろかったわ」と言っていたのを思い出しました。

同感です。

※ 「おもしろかったわ」については、2.5付ブログ記事『40年前の葬儀の礼状』をご覧ください。

 

地球の環境とまったく異なる宇宙に出ると、地球にいたときには思いもしなかったことが起きるようです。

科学知識の塊ともいえる飛行士が、それも大半の飛行士が、あまりの地球の美しさや宇宙の静けさなどに神や宗教を意識したとのことです。

キリスト教、イスラム教、仏教等にこだわらず、それらすべての大元にいる神を意識したというのです。

中には、神の顔を手で触れられるのではないかと感じた飛行士もいたようです。

 

退職してから7年が過ぎようとしています。

その間、日中は木立の中で、ほとんど一人で作業をしてきました。

美しい青空や緑の木々に囲まれ、静けさの中にポツンといると、 “ 人知を超えた何か ” を感じるときがあります。

言葉でうまく表現できませんが … 。

警戒を怠らずに生活していきたい

夕日を見るとホッとします         2024 2.9 4:15PM 木立前で

4日前に友人が、昨日の午前には集落の男が、午後には集落の別の男が訪ねて来ました。

そして、今日の午後には他集落の男が訪ねて来ました。

いずれも特に用件はなく、地震後の中間状況報告ってとこですな。

みんな、元日の地震以来、家の片付け、災害ごみ出し、罹災証明書の申請などでたいへんだったようです。

地震発生後ひと月余り経ち、ようやくゆとりが出てきたという感じですな。

 

今日来た他集落の男は、出身地が震源地近くで、空き家状態の実家がそこにあります。

1週間ほど前に実家の様子を見に行ったときのこと。

家は瓦が数枚落ち、戸の建付けが悪くなった程度だったけど … 漁港を含めて集落全体の土地が隆起し、大半の住民は避難所で生活しており、なす術もなく帰ってきたという。

集落の責任者からも、もっと落ち着いてから来るように言われたらしい。

また、道路も酷い状態で、実家に辿り着くまでとても難儀したということでした。

帰り際

「おお、久しぶりの夕日や。何かホッとするわ … 。」

と言って、帰って行きました。(右上写真)

 

テレビや新聞では、

「ここ1~2か月の間に震度5クラスの地震が起こる可能性がある」

というようなことを言っています。

余震が減っているとはいえ、警戒を怠らずに生活していきたいと思っています。

井戸を点検しないと

木立脇にある井戸

昼食を終えて休んでいると、集落の男が訪ねて来た。

※ 彼〈集落の男:62歳〉は、2年前まで営業マンだった。
定年退職後は、アルバイトの傍ら屋敷の手入れに勤しんでいる。
彼と話すのは大地震のあった日〈元日〉以来。

 

話したのは、ほとんど地震のこと。

彼の親戚の数軒は震源地に近いところにあり、かなりの被害を受けたらしい。

それらの中ではいまだに断水が続いているところもあり、ちょくちょく彼の家まで風呂に浸かりに来ているとのこと。
〈これと似た話をよく耳にしますな〉

1時間余り話したでしょうか。

” 水が来ないことの不便さ ” を強調して帰って行きました。

 

同感。

飲み水がないのも困るけど、洗濯、風呂、トイレなどの水がないのも困りますな。

※ 幸いにも私の集落では、断水状態だったのは元日とその翌日だけで、それ以降は水が来ました。
飲める状態になるまで1週間ほどかかりましたが。

 

ふと、木立脇の井戸のことが思い浮かびました。(右上写真)

木立前の花壇や畑に撒く水は、すべてその井戸の水を汲み上げて使っています。

もし、水道の水が止まってしまったら、その水を自宅まで運んで、洗濯、風呂、トイレなどに使うことになるんですな。

が、待てよ … 。

大地震以来井戸水を汲み上げていないんだけど、地下水が以前のように正常に流れているのかな?

暖かくなったら点検しないと。