薪あってこそ

自前の薪〈杉〉

昨晩、ケンタ君〈飼い犬〉に2度起こされました。

1度目は夜中の12時少し前に、そして2度目は今朝の4時過ぎに。

真夜中ならまだしも、朝の4時過ぎに鳴かれるとホントに困るんですわ。

散歩には30近くかかりますので、その時刻に散歩に出ると、家に戻って来るのは4時半頃になります。

それから寝るには中途半端な時刻なんです。

で、今朝は、散歩から戻るとすぐ〈4時半過ぎ〉に朝食を食べました。

自宅を出て木立に着いたのも早く、6時過ぎでした。
〈まだ暗い時間帯です〉

 

プレハブに入るや否や薪ストーブを焚きました。
〈焚く前は0℃近くの室温も30分ほどで20℃まで上がります〉

前日下書きしてあったブログ記事をチェックして投稿し、その後ネットニュースを見ました。

8時過ぎに雨が上がったので、木立をひと回りしました。

ひと回りした頃また雨が降り出し、それ以後はプレハブ内で読書をしたりユーチューブを見たりして過ごしました。

ただ、夜十分に寝ていないせいか、何度も睡魔に襲われましたわ。

 

ケンタ君だけに責任をなすりつけてはいけませんな。

薪ストーブの快適な温かさにも原因が … 。

室温は常時28℃前後を保つように薪をくべています。
〈暑過ぎることもなくとても気持ちがいい〉

電気や灯油で同じことをしたら、どれだけお金がかかることやら … 。

薪あってこそですな。(右上写真)

ヘルニアが完治するまでのしばらくの間

プレハブに電気カーペットを敷く

罹災証明書を申請するのに役所に行きました。

応対してくださったのは、県外の方でした。
〈今回の地震では、救助、修理、医療、事務手続き等、県外のたくさんの方々にお世話になり、ホントにありがとうございます。〉

一通りの手続きが終わり、最後に住宅以外の建物の被害について聞かれたとき、菜園にある物置を見落としていたことに気づきました。

で、物置の壊れた箇所の写真を撮り、後日再度役所に出向くことになりました。

 

役所を出た後、その足で災害ごみ処理場に向かいました。

布団、ござ ・ 壊れた本棚、引き出し ・ ガラス、茶碗、鉢 ・ 金属類 ・ テレビ …  と、細かく分別して置いてきました。
〈朝自宅を出るときに、災害ごみを車に積んで出ました。〉

証明書の申請の手続きと災害ゴミ出し … 平日なので割と空いていて、午前中に済ませることができました。

 

昼食後、プレハブ内で横になっていると、床がとても冷たくて体まで冷えてきました。

※ プレハブの床は低く、地面と30㎝ほどしか離れていないので、冷えた地温がダイレクトに床に伝わるんですわ。

自宅にちょうど使っていない『電気カーペット 175㎝×175㎝』がありましたので、持ってきました。(右上写真)

電気を入れて寝っ転がると !

ヘルニアが完治するまでのしばらくの間、少し楽をさせてくださいな。

落ち着いたら手伝いしに行こう

夕方まで友人と語っていました       2024 2.5 4:30PM プレハブ内で

ヘルニアの手術が終わって2週間経ちました。

術後経過を診てもらうべく病院に行ってきました。

結果は良好 … 今後通院の必要のない旨告げられました。

が、しばらくは重いものを持ち上げたりしないとのこと。

ひと安心ですな。

 

病院から戻って読書をしていると、友人が訪ねて来ました。

※ 彼〈その友人〉は都会で働いていて、実家〈空き家〉の手入れをするために定期的に田舎に帰っています。
〈今回の帰省は昨年の12月中旬以来〉

 

「姉〈彼の実家の近くに住んでいます〉から聞いとったけど、ホントに酷い地震やったんやのお。 … 家は何とか持ちこたえたという感じやけど、蔵の屋根瓦と壁がほとんど崩れ落ちてしもうて、〈現在の蔵の様子を撮ったスマホの写真を私に見せながら〉みすぼらしいなってしもうた。 … とにかく近くに〈他人の〉家がなーて〈無くて〉迷惑かけんでよかったわ。 … この後、10日ほど田舎におる予定やけど、どこまで後片付けできるやら … 。」

等々、夕方までようしゃべっていましたわ。(右上写真)

 

で、帰り際に彼が言ったこと。

「そういえば、〇〇さん〈彼及び私の知人〉、たしかあそこ〈今回の地震の震源地近く〉に実家がある言うとったな。 … わしら落ち着いたら、手伝いしに行こうか … 。」

40年前の葬儀の礼状

立春の日に 2024 2.4 3:05PM 木立前で

【宇宙からの帰還:立花隆著〈単行本〉】を途中まで読み、『しおり』〈業界用語ではスピンというそうですが〉を挟もうとすると、元々『しおり紐』の付いていない本でした。

が、それに代わるしおりらしきものが挟んでありました。

取り出してみると、何と葬儀の礼状ではありませんか。

日付は、昭和59年11月24日 … 〈薪風呂の〉親戚の主の父親が亡くなったときのものでした。

喪主の名前は、もちろん〈薪風呂の〉親戚の主

※ その主も2年前に亡くなりましたわ。
〈2022 4.21付ブログ記事『木立前のタンポポで日常の世界に』参照〉

 

【宇宙からの帰還:立花隆著〈単行本〉】を買った40年ほど前のことを思い出しました。

何かの用事で親戚に行ったとき、その本を車の助手席に置いてあったのです。

親戚の主がそれを見て、

「おもしろそうや … わしも読んでみたいのお。」

と言ったので、貸したのでした。

「おもしろかったわ」という彼の読後感を、今でもはっきり覚えています。

で、そのとき、私もすぐに読もうと思ったのですが、あれこれとすることが続き、今日に至った次第です。

 

100ページ余り読んだけど、親戚の主が言っていた通り、おもしろい。

と同時に、懐かしさがこみ上げてきました。

天気のいい立春の日に重なったのも何かの縁かな。(右上写真)

『フランクル』を読む

【夜と霧】フランクル著:みすず書房〈左〉   【それでも人生にイエスと言う】フランクル著:春秋社〈右〉

入院時〈1.18~1.21ヘルニア手術のため〉、『フランクル』の著書を2冊読みました。

※ 『フランクル』
ナチスの収容所より生還したオーストリアの精神科医

1冊は【夜と霧】〈みすず書房〉で、もう1冊は、【それでも人生にイエスと言う】〈春秋社〉(右上写真)です。

両著書の内容には重なる部分が多く、よって【夜と霧】の中から、とくに印象に残った箇所を紹介します。

 

… … 人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれに期待しているかが問題なのである。哲学的に誇張していえば、ここではコペルニクス的転回が問題なのであると云えよう。すなわちわれわれが人生の意味を問うのではなく、われわれ自身が問われた者として体験されるのである。人生はわれわれに毎日毎時問いを提出し、われわれはその問いに、詮索や口先ではなくて、正しい行為によって応答しなければならないのである。 …  P183

… … われわれはこの地上には二つの人間の種族だけが存するのを学ぶのである。すなわち品位ある善意の人間とそうでない人間との「種族」である。そして二つの「種族」は一般的に拡がって、あらゆるグループの中に入り込み潜んでいるのである。専ら前者だけ、あるいは専ら後者だけからなるグループというのは存しないのである。この意味でいかなるグループも「純血」ではない……だから監視兵の中には若干の善意の人間もいたのである … P196

 

私が入院した1月半ばといえば、大地震後の余震がまだ頻繁に続いており、頑丈な病院といえども100%安全とは言い切れない状況でした。

一方、大病を患った人が笑うような鼠経ヘルニア手術でも、入院経験のまったくなかった私にとっては、一大事でした。

で、「 万一 … 」という思いが、小心な私の頭の中をよぎりました。

そんなときにおのずと手に取ったのが、上記の【夜と霧】と【それでも人生にイエスと言う】フランクルの著書でした。

手術も順調に進み、入院中に2冊ともじっくり読めました。

どちらも再読で、一度目より深く読めたように思っています。

… が、読み切ったとまではいっていないような気もしています。

これから先、3読、4読 … していきそうです。