【仕事なんか生きがいにするな】泉谷閑示著:幻冬舎新書(右写真)を読み、印象に残った箇所を紹介します。
… 問題なく動けて社会適応できている時には気付き難いことですが、私たち現代人は「いつでも有意義に過ごすべきだ」と思い込んでいる、一種の「有意義病」にかかっているようなところがあります。
… … 人が「生きる意味」を問わざるをえなくなるのは、必ずや「意義」を追い求める生き方に疲弊したからなのであって、そこで改めて「意義」を問うてみても、それで何かが見つかるはずもありません。生産マシーンのごとく、常に「価値」を生むことを求められてきた私たちは、「有意義」という呪縛の中でもがき続けていて、大切な「意味」を感じるような生き方を想像する余裕すらない状態に陥ってしまっているのです。 … P107
… 私たちは、もはや「何者かになる」必要などなく、ただひたすらに何かと戯れてもよいのではないか、それこそが「遊び」の神髄だと思います。
… … 「心」の向くまま気の向くまま気軽にやってみる。気が向かなければやらない。「継続」などと肩苦しく考えたりせず、ただ壮大な人生の暇潰しとして「遊ぶ」のです。 … P178
著者〈泉谷氏〉は精神科医をなされていて、たくさんの社会に適応できない人たちを診ているうちに上記のような結論に至ったのだと思われます。
「有意義病」 … どちらかというと、私自身も当てはまりそうです。
※ 今まで投稿したブログ記事を ” 有意義 ” の言葉で検索すると、5本ありましたわ。
先日思い切ってヘルニアの手術を受けたのも、「有意義病」と関係しています。
手術を受けるまで、
「一々ヘルニアを気にしとって、仕事〈木立の手入れ〉がまともにできるんかい。そのうち悪化して動けんようになったら、今度は ” 社会のお荷物 ” や。」 … しっかり治してバリバリ働けや!」
という「有意義病」が、私を支配していました。
※ 誰が言ったわけでもなく、私が私自身に言っていたのです。
” 無所属の時間 ” というタイトルで、のんびりしたようなブログ記事を6年余りにわたって書いてるけど、「持病」はそんな簡単に無くなりませんな。
これを機に、著者が言っているように「遊び」の部分を増やしていこうか。