井戸を点検しないと

木立脇にある井戸

昼食を終えて休んでいると、集落の男が訪ねて来た。

※ 彼〈集落の男:62歳〉は、2年前まで営業マンだった。
定年退職後は、アルバイトの傍ら屋敷の手入れに勤しんでいる。
彼と話すのは大地震のあった日〈元日〉以来。

 

話したのは、ほとんど地震のこと。

彼の親戚の数軒は震源地に近いところにあり、かなりの被害を受けたらしい。

それらの中ではいまだに断水が続いているところもあり、ちょくちょく彼の家まで風呂に浸かりに来ているとのこと。
〈これと似た話をよく耳にしますな〉

1時間余り話したでしょうか。

” 水が来ないことの不便さ ” を強調して帰って行きました。

 

同感。

飲み水がないのも困るけど、洗濯、風呂、トイレなどの水がないのも困りますな。

※ 幸いにも私の集落では、断水状態だったのは元日とその翌日だけで、それ以降は水が来ました。
飲める状態になるまで1週間ほどかかりましたが。

 

ふと、木立脇の井戸のことが思い浮かびました。(右上写真)

木立前の花壇や畑に撒く水は、すべてその井戸の水を汲み上げて使っています。

もし、水道の水が止まってしまったら、その水を自宅まで運んで、洗濯、風呂、トイレなどに使うことになるんですな。

が、待てよ … 。

大地震以来井戸水を汲み上げていないんだけど、地下水が以前のように正常に流れているのかな?

暖かくなったら点検しないと。

薪あってこそ

自前の薪〈杉〉

昨晩、ケンタ君〈飼い犬〉に2度起こされました。

1度目は夜中の12時少し前に、そして2度目は今朝の4時過ぎに。

真夜中ならまだしも、朝の4時過ぎに鳴かれるとホントに困るんですわ。

散歩には30近くかかりますので、その時刻に散歩に出ると、家に戻って来るのは4時半頃になります。

それから寝るには中途半端な時刻なんです。

で、今朝は、散歩から戻るとすぐ〈4時半過ぎ〉に朝食を食べました。

自宅を出て木立に着いたのも早く、6時過ぎでした。
〈まだ暗い時間帯です〉

 

プレハブに入るや否や薪ストーブを焚きました。
〈焚く前は0℃近くの室温も30分ほどで20℃まで上がります〉

前日下書きしてあったブログ記事をチェックして投稿し、その後ネットニュースを見ました。

8時過ぎに雨が上がったので、木立をひと回りしました。

ひと回りした頃また雨が降り出し、それ以後はプレハブ内で読書をしたりユーチューブを見たりして過ごしました。

ただ、夜十分に寝ていないせいか、何度も睡魔に襲われましたわ。

 

ケンタ君だけに責任をなすりつけてはいけませんな。

薪ストーブの快適な温かさにも原因が … 。

室温は常時28℃前後を保つように薪をくべています。
〈暑過ぎることもなくとても気持ちがいい〉

電気や灯油で同じことをしたら、どれだけお金がかかることやら … 。

薪あってこそですな。(右上写真)

ヘルニアが完治するまでのしばらくの間

プレハブに電気カーペットを敷く

罹災証明書を申請するのに役所に行きました。

応対してくださったのは、県外の方でした。
〈今回の地震では、救助、修理、医療、事務手続き等、県外のたくさんの方々にお世話になり、ホントにありがとうございます。〉

一通りの手続きが終わり、最後に住宅以外の建物の被害について聞かれたとき、菜園にある物置を見落としていたことに気づきました。

で、物置の壊れた箇所の写真を撮り、後日再度役所に出向くことになりました。

 

役所を出た後、その足で災害ごみ処理場に向かいました。

布団、ござ ・ 壊れた本棚、引き出し ・ ガラス、茶碗、鉢 ・ 金属類 ・ テレビ …  と、細かく分別して置いてきました。
〈朝自宅を出るときに、災害ごみを車に積んで出ました。〉

証明書の申請の手続きと災害ゴミ出し … 平日なので割と空いていて、午前中に済ませることができました。

 

昼食後、プレハブ内で横になっていると、床がとても冷たくて体まで冷えてきました。

※ プレハブの床は低く、地面と30㎝ほどしか離れていないので、冷えた地温がダイレクトに床に伝わるんですわ。

自宅にちょうど使っていない『電気カーペット 175㎝×175㎝』がありましたので、持ってきました。(右上写真)

電気を入れて寝っ転がると !

ヘルニアが完治するまでのしばらくの間、少し楽をさせてくださいな。

落ち着いたら手伝いしに行こう

夕方まで友人と語っていました       2024 2.5 4:30PM プレハブ内で

ヘルニアの手術が終わって2週間経ちました。

術後経過を診てもらうべく病院に行ってきました。

結果は良好 … 今後通院の必要のない旨告げられました。

が、しばらくは重いものを持ち上げたりしないとのこと。

ひと安心ですな。

 

病院から戻って読書をしていると、友人が訪ねて来ました。

※ 彼〈その友人〉は都会で働いていて、実家〈空き家〉の手入れをするために定期的に田舎に帰っています。
〈今回の帰省は昨年の12月中旬以来〉

 

「姉〈彼の実家の近くに住んでいます〉から聞いとったけど、ホントに酷い地震やったんやのお。 … 家は何とか持ちこたえたという感じやけど、蔵の屋根瓦と壁がほとんど崩れ落ちてしもうて、〈現在の蔵の様子を撮ったスマホの写真を私に見せながら〉みすぼらしいなってしもうた。 … とにかく近くに〈他人の〉家がなーて〈無くて〉迷惑かけんでよかったわ。 … この後、10日ほど田舎におる予定やけど、どこまで後片付けできるやら … 。」

等々、夕方までようしゃべっていましたわ。(右上写真)

 

で、帰り際に彼が言ったこと。

「そういえば、〇〇さん〈彼及び私の知人〉、たしかあそこ〈今回の地震の震源地近く〉に実家がある言うとったな。 … わしら落ち着いたら、手伝いしに行こうか … 。」

40年前の葬儀の礼状

立春の日に 2024 2.4 3:05PM 木立前で

【宇宙からの帰還:立花隆著〈単行本〉】を途中まで読み、『しおり』〈業界用語ではスピンというそうですが〉を挟もうとすると、元々『しおり紐』の付いていない本でした。

が、それに代わるしおりらしきものが挟んでありました。

取り出してみると、何と葬儀の礼状ではありませんか。

日付は、昭和59年11月24日 … 〈薪風呂の〉親戚の主の父親が亡くなったときのものでした。

喪主の名前は、もちろん〈薪風呂の〉親戚の主

※ その主も2年前に亡くなりましたわ。
〈2022 4.21付ブログ記事『木立前のタンポポで日常の世界に』参照〉

 

【宇宙からの帰還:立花隆著〈単行本〉】を買った40年ほど前のことを思い出しました。

何かの用事で親戚に行ったとき、その本を車の助手席に置いてあったのです。

親戚の主がそれを見て、

「おもしろそうや … わしも読んでみたいのお。」

と言ったので、貸したのでした。

「おもしろかったわ」という彼の読後感を、今でもはっきり覚えています。

で、そのとき、私もすぐに読もうと思ったのですが、あれこれとすることが続き、今日に至った次第です。

 

100ページ余り読んだけど、親戚の主が言っていた通り、おもしろい。

と同時に、懐かしさがこみ上げてきました。

天気のいい立春の日に重なったのも何かの縁かな。(右上写真)