『フランクル』を読む

【夜と霧】フランクル著:みすず書房〈左〉   【それでも人生にイエスと言う】フランクル著:春秋社〈右〉

入院時〈1.18~1.21ヘルニア手術のため〉、『フランクル』の著書を2冊読みました。

※ 『フランクル』
ナチスの収容所より生還したオーストリアの精神科医

1冊は【夜と霧】〈みすず書房〉で、もう1冊は、【それでも人生にイエスと言う】〈春秋社〉(右上写真)です。

両著書の内容には重なる部分が多く、よって【夜と霧】の中から、とくに印象に残った箇所を紹介します。

 

… … 人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれに期待しているかが問題なのである。哲学的に誇張していえば、ここではコペルニクス的転回が問題なのであると云えよう。すなわちわれわれが人生の意味を問うのではなく、われわれ自身が問われた者として体験されるのである。人生はわれわれに毎日毎時問いを提出し、われわれはその問いに、詮索や口先ではなくて、正しい行為によって応答しなければならないのである。 …  P183

… … われわれはこの地上には二つの人間の種族だけが存するのを学ぶのである。すなわち品位ある善意の人間とそうでない人間との「種族」である。そして二つの「種族」は一般的に拡がって、あらゆるグループの中に入り込み潜んでいるのである。専ら前者だけ、あるいは専ら後者だけからなるグループというのは存しないのである。この意味でいかなるグループも「純血」ではない……だから監視兵の中には若干の善意の人間もいたのである … P196

 

私が入院した1月半ばといえば、大地震後の余震がまだ頻繁に続いており、頑丈な病院といえども100%安全とは言い切れない状況でした。

一方、大病を患った人が笑うような鼠経ヘルニア手術でも、入院経験のまったくなかった私にとっては、一大事でした。

で、「 万一 … 」という思いが、小心な私の頭の中をよぎりました。

そんなときにおのずと手に取ったのが、上記の【夜と霧】と【それでも人生にイエスと言う】フランクルの著書でした。

手術も順調に進み、入院中に2冊ともじっくり読めました。

どちらも再読で、一度目より深く読めたように思っています。

… が、読み切ったとまではいっていないような気もしています。

これから先、3読、4読 … していきそうです。

【誠実と日本人】を読む

【誠実と日本人】相良亨著:ぺりかん社

前回のブログ記事の後半のところで、

「 … … 動けんようになったら、今度は ” 社会のお荷物や ” … … 」

と書きました。

※ 上記のことを書くときに、書こうか書くまいか迷いました。
たとえ自分が自分自身に対して言っているとはいえ、
” 言ってはいけないこと ”
延いては
” 思ってもいけないこと ”
のように思えたからです。

 

今日たまたま【誠実と日本人】相良亨著:ぺりかん社(右上写真)を読んでいたら、そのことに対する回答めいた箇所がありました。

紹介します。

… われわれ日本人が、今、しっかりと自分のものにしなければならないのは、 … … 人間とは何かと問うことにおいて捉えられてくる「人間の尊厳」の自覚ではないであろうか。それは他者が尊厳なる人間であることの自覚であるとともに、自己もまた尊厳なる人間の一人であること。しかして社会は、その尊厳なる人間によって構成されていることの自覚ではあるまいか。 … P136

※ 相良氏は、日本人が大切にする「誠実」について、
… 「誠実」のあまり、他者及び自己の「人間の尊厳」にまで考えが及ばないことがある …

という点に注目され、それを解明すべく【誠実と日本人】を著わされました。

 

” 尊厳なる人間 ” に対して ” お荷物 ” だなんて、恥ずかしい限りです。

〈2週間ほど前の〉入院時に、 ” 尊厳なる人間 ” がテーマともいえる【夜と霧】【それでも人生にイエスと言う】〈ともにフランクル著〉も読んだところなのに … 。
〈後に当ブログ記事で紹介したいと思っています〉

まだまだ未熟者 … 精進します。

【仕事なんか生きがいにするな】を読む

【仕事なんか生きがいにするな】泉谷閑示著:幻冬舎新書

【仕事なんか生きがいにするな】泉谷閑示著:幻冬舎新書(右写真)を読み、印象に残った箇所を紹介します。

 

… 問題なく動けて社会適応できている時には気付き難いことですが、私たち現代人は「いつでも有意義に過ごすべきだ」と思い込んでいる、一種の「有意義病」にかかっているようなところがあります。
… … 人が「生きる意味」を問わざるをえなくなるのは、必ずや「意義」を追い求める生き方に疲弊したからなのであって、そこで改めて「意義」を問うてみても、それで何かが見つかるはずもありません。生産マシーンのごとく、常に「価値」を生むことを求められてきた私たちは、「有意義」という呪縛の中でもがき続けていて、大切な「意味」を感じるような生き方を想像する余裕すらない状態に陥ってしまっているのです。 … P107

… 私たちは、もはや「何者かになる」必要などなく、ただひたすらに何かと戯れてもよいのではないか、それこそが「遊び」の神髄だと思います。
… … 「心」の向くまま気の向くまま気軽にやってみる。気が向かなければやらない。「継続」などと肩苦しく考えたりせず、ただ壮大な人生の暇潰しとして「遊ぶ」のです。 … P178

 

著者〈泉谷氏〉は精神科医をなされていて、たくさんの社会に適応できない人たちを診ているうちに上記のような結論に至ったのだと思われます。

「有意義病」 … どちらかというと、私自身も当てはまりそうです。
※ 今まで投稿したブログ記事を ” 有意義 ” の言葉で検索すると、5本ありましたわ。

先日思い切ってヘルニアの手術を受けたのも、「有意義病」と関係しています。

手術を受けるまで、

「一々ヘルニアを気にしとって、仕事〈木立の手入れ〉がまともにできるんかい。そのうち悪化して動けんようになったら、今度は ” 社会のお荷物 ” や。」 … しっかり治してバリバリ働けや!」

という「有意義病」が、私を支配していました。

※ 誰が言ったわけでもなく、私が私自身に言っていたのです。

 

” 無所属の時間 ” というタイトルで、のんびりしたようなブログ記事を6年余りにわたって書いてるけど、「持病」はそんな簡単に無くなりませんな。

これを機に、著者が言っているように「遊び」の部分を増やしていこうか。

彼も春を待っているんでしょうな

冬枯れの木立にて  2024 1.31 2:10PM

昨日の最高気温は9℃、そして今日は13℃。

大寒には珍しく暖かい日が続いています。

風も南寄りの微風で、日中は寒さをほとんど感じません。

※ 朝は、放射冷却現象で凍るほど寒いですが。

 

午後になると、木立内でも日が当たるところは、サンダルで歩けるくらいに地面が乾いていました。(右上写真)

散乱している杉葉もよく乾いていたので、拾い集めることに。

※ 枯れて乾いた杉葉は、焚き付けにうってつけ。
それら杉葉少量と枯れ枝7~8本をストーブの炉に入れ、その上に細めの薪を3本ほど乗せてマッチで火を点けると、容易にストーブが焚けます。

 

段ボール〈30㎝×50㎝×50㎝〉2箱分を拾い集めました。

ひと月分ほどの焚き付けの量になり、これで何とか春まで持ちそう。
〈枯れ枝及び薪についてはすでに十分に蓄えてあります〉

ひと月後といえば、2月も末になっていて、もう春。

その頃になると、一段と暖かく晴れる日も多くなり、乾いた杉葉集めに今ほど難儀することはありません。

 

杉葉を詰めた段ボール箱を持って木立から戻ろうとしたとき、いきなり「ケン、ケン」と勇ましい大きな鳴き声がしました。

声がしたところに目をやると、40mほど離れた田んぼに、赤いトサカで鮮やかなグリーンの胸元の堂々たる雉の雄鶏が … 。

彼も春を待っているんでしょうな。