地区の戦没者慰霊祭の世話をしているうちに、かつて身内の者が戦争に関わる話をしていたことを思い出しました。
1 〈太平洋〉戦争も終わりの頃やったかな。子どもが居るのに令状が来てフィリピン行ったがや。マラリヤに罹ってどうにもならんで結局日本に戻されたんやけど、戦争終わっても、体の調子がなかなか回復せんで困ったわ。戦争はぜったいするもんやないな。
2 満州の新京というところの役所で建設関係の仕事をしとったけど、終戦後、ソ連の収容所に入れられた。ほんとに寒〈く〉てひどい目に合うたわ。朝起きると、死んどる人も居ってな … 。軍人でなーて〈なくて〉民間人やったもんで早う家に帰って来ることができたんや … 。
3 予科練で終戦迎えたんや。同い歳で戦死したもんも居ってな … … 。
戦争終わったとき、米をもらうことができたんやけど、〈百姓なので〉家にあると思うてもらわんと帰って来たんや。そしたら家に米がなかったんや。
4 『小6時の私』じいちゃん、戦争行ったんか? 『祖父』行っとらん … … 。 『小6時の私』なんでや。 『祖父』 … … 。 『祖母』背低いので兵隊検査に落ちたんや。
” 知らないとはいえ、失礼な質問をしました ”
どれも〈1~4〉40年以上も前の記憶です。
今後もずっと、昔の記憶であり続けてほしいと強く願っている次第です。