こんな夏の午後もいい

家から持って来た学習机

… この一週間の平均的な過ごし方 …

【午前】

11時頃まで外で草刈りなどの作業をする。

自宅に帰り、汗だくの体を水風呂で鎮める。

木立に戻り、昼食、休憩、昼寝 … 。

【午後】

昼寝からの目覚めは、1時半前後。

本来なら外に出て作業をするところだが、猛暑日寸前の日が続いているので、作業を控えている。
〈こうも暑いと、作業をしないことに罪悪感を覚えなくていいですな〉

訪ねて来る人も無し。

で、目覚めてから帰宅する〈6時〉まで、読書をしたりブログ記事を書いたりしている。

読書は、以前子どもが使っていた学習机と椅子をプレハブに運び入れ、そこでしている。(右上写真)

 

この一週間で、
・【定年後の日本人は世界一の楽園を生きる】佐藤優著:飛鳥新社
・【人生の手引書】渡部昇一著:扶桑社新書
・【運気を磨く】田坂広志著:光文社新書
・【日本人に「宗教」は要らない】ネルケ無方著:ベスト新書
を読みました。
〈いずれも近くの古本屋さんで買いました〉

たとえ古本であっても、内容は普遍的で、現在でも十分に通用するものばかりです。

今後生きていく上での指針となりました。

 

外は猛暑でも室内は冷房が効いていて快適。

聞こえてくるのは、蝉の声と時折近くを通る車の音だけ。

窓外には、風に揺れるヒマワリ。

そして、読んでいるのは、読みたくて買った本。

 

こんな夏の午後もいい。

白鳥春彦の著書を読む

【勉学術】Discover〈左〉 【知性だけが武器である】祥伝社〈右〉 共に白鳥春彦著

先日【頭がよくなる思考術】白鳥春彦著を読んだ。
〈7.9付ブログ記事参照〉

たまたま白鳥氏の著書が2冊自宅にあったので、再読した。

【勉学術】Discover と【知性だけが武器である】祥伝社である。(右上写真)

とくに印象に残った箇所をそれぞれ一つずつ紹介する。

【勉学術】より
… … ひたすら集中していく姿勢だけが独学を可能にする。
そのために特別な時間を設けておく必要はまったくない。本を読み、傍線を引き、考え、考えを広げるためにまた別の本を読む。1時間読む場合もあるだろうし、用の間に5分ずつ読む場合もある。それが独学なのだ。 P42~43

【知性だけが武器である】より
… 自分が本当は何を勉強したいかは、自分自身に訊かなければ絶対にわからない。実は、勉強だけではなく、自分がどういう仕事をしたいのか、これから何をやりたいのか、どう生きてみたいのか、といったことも自分自身に訊かなけらばわからないことなのだ。 … P174

 

定年退職後は、晴れの日は主に木立の手入れをし、雨の日は読書をすることにした。

短く言うと、『晴耕雨読』ということになる。

この4月で退職10年目を迎え、それがかなりマンネリ化していた。

誰が評価するわけでもないけど、自分としては情けなかった。

そんなときにたまたま古本屋さんで白鳥氏の著書に出会い、それがきっかけで手元にあった氏の著書を再読することとなった。
〈傍線の数を見るにひょっとして三読目かも〉

マンネリを打破すべく大いに刺激となった。

と同時に、「頭が働いてくれる限り勉強を!」という意識を新たにした。

氏の著書は、タイトルを見るに勉強のことだけを言っているようだが、実際に読んでみると内容は多岐に渡り、 ” 生き方 ” の本としても十分に通用する。

 

今のところ、退職時に抱いた『晴耕雨読』路線に変更はない。

体が動く限り、頭が働く限り、その道を歩んで行きたいと思っている。

が、弛緩すること無きにしも非ず。

これからも氏の著書にお世話になること何度もあるでしょう。

【頭がよくなる思考術】を読む

【頭がよくなる思考術】白鳥春彦著:Discover

数日前に古本屋さんから買ってきた【頭がよくなる思考術】白鳥春彦著:Discover(右写真)を読んだ。

 

P62に
… 何をするにしても人間は結果のために行動すると、結局は日々の意味を失い、総じて生きることの意味を失う。意味を失うことは死だと直感的に感じるから、その恐怖を何かへの耽溺によってごまかすしかなくなる。ドラッグや遊興はもちろん、老人になって趣味やスポーツ、旅などで自分の不安定な心をまぎらわしている人もいるのだ。 …
とあった。

 

” 趣味やスポーツ、旅などで自分の不安定な心をまぎらわしている ”

退職後あるいは老後にすることとして、上記の3つが、本やユーチューブ等でよく推奨されています。

が、著者はそれをバッサリと切っています。

驚きました。

と同時に、共感を覚えました。

何でかって?

私にぴったり当てはまっていて、「あんたは変わり者ではないよ」と言ってくれているように思えたからです。

 

勤めていた頃は頻繁に釣りに行き、まとまった時間が取れないときは、たいていビデオ、DVD、BDを見ていました。

完全に趣味だと思い込んでいました。

が、どうでしょう。

退職後は、釣りはわずか1回、BD等の視聴は年に2~3回程度という有様。

釣り道具はすでに全部処分し、BD視聴機器は埃をかぶっています。

今思うと、単に時間つぶしで、趣味と言えるものではなかったような。

スポーツは元々音痴なので、頭数を揃えるときだけ、お付き合いで参加していた程度。

それも、今ではお断りしています。

旅も、退職後は親戚から誘われて一度行ったきり。

だいたい温泉などに行って、おいしいものを食べたいという気がないんですわ。
〈やはり変わり者か〉

 

では、日々生きていることに意味を見出せているのか?

はっきりとはわかりませんな。

ただ、誰にも束縛されることなく、土に触れ、作物や花を育て、穏やかな気持ちで暮らせることに満足しています。

作物〈含果樹〉や花を育てるときは、当然除草しなければならず、ひいてはそのことが集落の環境美化につながっているようです。

作物が穫れ過ぎたら人にあげればいいので、それもまたけっこう喜ばれています。

… 自分のしたいことをして、それがみなさんのためにもなっている …

うれしいことです。

【日本史から見た日本人 古代編】を読む

【日本史から見た日本人 古代編】渡部昇一著:祥伝社黄金文庫

【日本史から見た日本人 古代編】渡部昇一著:祥伝社黄金文庫(右写真)を読み、印象に残った箇所を紹介します。

 

… 『万葉集』を考えてみよう。 … …
この中の作者は誰でも知っているように、上は天皇から下は農民、兵士、乞食に至るまではいっており、男女の差別もない。また地域も東国、北陸、九州の各地を含んでいるのであって、文字どおり国民的歌集である。
… … わが国においては、千数百年前から、和歌の前には万人平等という思想があった。 … P120~121

… 定家選といわれる百人一首の歌は、恋歌でも露骨でない。つまり、感情教育になるのだ。小学生が覚えても、淫らな気持ちにならない。感情の洗練があるということは、それで育った親のほうも知っている。
それが、子どもには絶対小説を読ませないという戦前の日本の家庭でも、恋歌の多い百人一首だけは忌避されなかった理由である。このため、日本の子どもは1000年も前の歌を覚え、しかもそれをゲームとして遊ぶ。これも、よその国には見られない文化の一貫性である。… P256

 

… 和歌の前には万人平等 …

鋭い指摘に驚きました。

 

日本人の経済格差は世界の国々と比べて小さい、とよく耳にします。

国民一人一人の頑張りや、政治に携わる方々のご尽力があるからだと思われます。

が、 ” できるだけみんないっしょに ” という意識を国民が共通して持っていることも欠かせません。

今回渡部氏の著書を読み、和歌を通してそのような意識がごく自然に日本人に培われてきたように思いました。

 

和歌はかけがえのない日本文化であり、日本人の心のふるさと。

恥ずかしながら、古稀に至り、ようやくそのことを強く思うようになりました。

6.16付ブログ記事『勉強のやり直しがしやすいいい時代』でもお伝えしたように、残りの人生を和歌の勉強に費やすつもりでいます。

【乙女の日本史 文学編】【乙女の日本史】を読む

【乙女の日本史 文学編】〈左〉 【乙女の日本史】〈右〉 堀江宏樹,滝乃みわこ著:東京書籍

【乙女の日本史 文学編】【乙女の日本史】堀江宏樹,滝乃みわこ著:東京書籍(右写真)を読み、とくに印象に残った箇所を一か所ずつ紹介します。

 

… … 「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」 … この句を作った子規の頭の中には、漱石が約2ヶ月前につくった句が確実にあったと思われます。その句とは「鐘つけば 銀杏〈いちょう〉ちるなり 建長寺」
しかし、これを「盗作だ」といって怒ったりしないのが、漱石と子規の深い友情の表れです。少なくとも、漱石自身は自分のアイデアが、子規によって永遠の作品として生まれ変わったと感じていたようです。 …
【乙女の日本史 文学編】 P185~186

… … 「仁徳天皇陵」は現在、「大仙古墳」と書き、横に「伝・仁徳天皇陵」とオマケ程度に書き記すのが主流です。つまり「アレは偉い人のお墓であることは規模などからみて間違いないけれど、誰が眠ってるかは分からない、少なくとも仁徳天皇ではない」というのが常識となったから。
実はこの古墳を仁徳天皇の墓と決めたのは、江戸時代の歴史学者・本居宣長。彼の調査が我が国における考古学のはじまりだったと考えられるほど立派な人ですが、調査が当時は現在ほど正確に出来なかったため、彼の命名には多くのミスがあったのです。 …
【乙女の日本史】 P21

 

たしかに著者が言っているように、長い間、日本史というジャンルはおじさんのものだったかもしれない。

で、当著書は、
” さよなら「おじさん史観」、今こそ語ろう、乙女目線の日本史 ”
の観点より書かれたとのこと。

が、おじさん〈おじいさん?〉の私が読んでも、まったく違和感がないどころか、とてもおもしろい。

また、たくさんのビビッドなエピソードが散りばめられているせいか、まるで自分がその場にいるかのような感覚になる。

 

内容が具体的でわかりやすく、あれよあれよという間に読み終わっていました。