亡き主からの贈り物

遺影を包み込む胡蝶蘭

葬儀が終わって3日目。

買い物や歯の治療等で、亡き主の家に着いたのは〈午後〉2時頃。

 

車から降りると、春の日差しの下、奥さんが洗濯物を干していました。

ありふれた日常の光景に、3日前にほんとうに葬式があったのかと思うほどでした。

静まり返った仏間に入り、
「今日も手伝いに来たわ。」
と胡蝶蘭(右上写真)に包まれた遺影に手を合わせました。

※ 葬儀が終わっても、けっこう弔問客が訪れたり葬儀関係者が出入りしたりするものです。
で、高齢〈90歳〉の奥さん一人では対応が難しく、私が手伝っているという次第です。
〈身内で一番暇なのは私でしょうな。 … こんなときにこそ役立たないと!〉
〈長男は昨日より勤めに出ています。 … そのわけについては、前回のブログ記事をご覧ください。〉

 

さっそく、昨日私が帰った後に集まった香典袋を開け、名前と金額をパソコンに打ち込み、直近の香典一覧の作成に取りかかりました。

今回の葬儀での私の主な役割は、香典の集計と遠方からの来客の送迎。

遠方からの来客はすべて葬儀後に帰ってしまったので、今や香典の集計が唯一の手伝いと言ってもいいくらい。

それも葬儀後3日目ともなると、香典の数もわずかで作業もすぐに終わりました。

 

あとは来客が少しあるだけで、ほとんどが遺影を見ながら在りし日の主のことを思い出したり、お茶を飲みながら奥さんと話をしたりと、ゆったりと寛ぐ時間となりました。

午後6時過ぎに長男が勤めから戻って来ると、直近の香典一覧を渡し、亡き主の家を後にしました。

 

” ゆったりと寛ぐ時間 ” は、亡き主からの贈り物だったような … 。

厳かで静か過ぎるくらいに静か

いつの間にか草が               2022 4.21 7:00AM 木立前で

葬儀が終わって2日目。

〈亡き主の〉長男も勤めに行きました。

※ 上司から1週間休むように言われていたそうですが、パートの身で気がひけるらしく、早々と勤めに出たそうです。

 

で、亡き主の家に残るは奥さん1人。

1人では心もとないようで、長男が勤めから戻る〈午後6時頃〉まで、私も亡き主の家に居ることに。

※ 奥さんは現在90歳で、杖をついて歩いている状態。

 

〈午前〉9時頃、奥さんを美容院に送って戻ると、家には私1人。

… 10畳2間続きの静まり返った広いところでただ1人 …

2間のうちの一方は仏間で、

遺影と骨壺が淡いブルーの光の中に置かれ、その周りには胡蝶蘭ほか色とりどりの花々や新鮮な果物が … そして、その横には、亡き主を見守るように金色に輝く仏壇。

 

厳かで静か過ぎるくらいに静かでした。

自ずと遺影が目に入ってきました。

在りし日の主と対面しているようでした。

ふと彼が言っていたことが思い出されました。

 

私が20歳ぐらい〈昭和50年頃〉のお盆でした。

※ 当時、主は50歳前後の勤め人 … 以下、主の言。

「毎年、盆が来れば思い出すわ。 … わしゃ、〇〇〈私のこと〉よりちょっと若い頃に予科練というところにおったんや。わかりやすく言うと、戦争に行くための訓練をする学校みたいところや。 … 訓練が厳して厳してホントに参ったわ。
ある朝のことやった。点呼のときに一人足りんかったんや。で、上官から探すよう言われて、みんなで探しに行ったんや。 … そしたら、鉄道のところで死んどったんや。 … かわいそうやった。 … 訓練が厳して耐えられんかったやろな。
同期で戦死した者もおるんや。 … … 残念でしようがないわ。 … やっぱり戦争したらダメや。 … … わしゃ、長男やったんで、前線に出るのが後回しになったんや。で、いつ前線に出るんかのお、と思うとったら終戦になってしもうたんや。ちょうど盆の8月15日やった。
予科練が解散になって家へ戻って来るときやった。倉庫に保管してあった缶詰や米がみんなに配られることになったんやけど、家が百姓やったんで、いらん言うてそれらをみんな置いてきたんや。 … で、家に戻ってみると、何にもなかったんや。米はないわ。ましてや缶詰はないわ。お金もないわ … で、ないないづくしや。ウチだけやなーて、周りもほとんどそんな状態やった。
戦後は、そんな状況から始まったんや。それが、まさか今〈昭和50年頃〉みたいに豊かな世の中になるとはのお。 … 夢にも思わんかったわ。 … まあ、そんだけみんながんばったんや … 。」

 

戦時中のことはあまり話さなかった主でしたが、なぜかしら上記のことが思い出されました。

連日、ウクライナでの出来事を見聞きしているせいでしょうか。

今思うと、当事者ならではの貴重な話でした。

戦前、戦中、戦後を生き抜き、戦争の悲惨さを体験した人が、また1人逝きました。

 

享年94歳。

穏やかで、公正、公平な人でした。

その彼が、最期に此岸から彼岸に渡る折、傍らで見送ることができたことに縁の深さを感じております。

長い人生の旅、おつかれさまでした。

 

※ 右上写真 … 久しぶりに木立前に立つと、草ぼうぼう。

たまに日頃のルーチンから離れてみる

… のたりのたりかな … 至福の昼食時間でした

何だこの寒さは!

朝、木立をひと回りしていると、北風が冷たく、鼻水が出そうでした。
〈ここ3,4日続いた天気と真逆ですな〉
〈が、これが本来の4月中頃の天気なのかも〉

で、プレハブに入ろうとすると、親戚から電話がかかってきました。

用を済ませて帰って来ると、〈午前〉10時半を過ぎていました。

 

作業をするにしても、あれこれ準備をしているうちにすぐに正午 … 。

といって、昼食には早過ぎるし … 中途半端な時間ですな。

 

ふと海を眺めながら昼食を食べることを思い立ちました。

途中コンビニで菓子パン2個と牛乳を買い、かつてよく釣りに行った漁港に行きました。

平日で、しかも風が冷たいせいか、釣り人は見当たりませんでした。

数か所海の中を覗いてみたのですが、魚影もありませんでした。

海が一望できる高台に移動しました。

時間は正午少し前でした。

車のガラス越しに海を眺め、買ってきた牛乳を飲みながら菓子パンを食べました。

昨年の9月以来の海でした。

… のたりのたりかな … という感じで、至福の昼食時間となりました。(右上写真)

 

食べ終わった頃に雨が降り出しました。

春の海の余韻を残しつつ、盛りを過ぎたソメイヨシノが雨に打たれる中を帰ってきました。

気分がスッキリとし、たまに日頃のルーチンから離れてみるのもいいかな、と思いました。

心地よい疲れですな

グラインダーで金属棒を短くカットしました

今晩小雨とのこと。

明朝野焼きをすることに。
〈周りが濡れていれば延焼の心配がありませんので〉

で、先日引っこ抜いた切株を細かく切り分けました。

※ 切株をそのまま燃やすと、大き過ぎてなかなか燃えません。
切株本体と根っこを切り離すと燃えやすくなります。

泥が付着している箇所を切るとチェンソーの刃が切れなくなるので、付着していない箇所を選んで切っていきました。

けっこう時間がかかり、全部切り終わるとちょうど正午でした。

 

午後も切る作業でした。

今度は金属の棒をグラインダーで短くカットしていきました。(右上写真)

自家用車〈ワゴン車〉に積んで業者さんに持って行くためです。

※ 業者さんが回収になかなか来なく、といっていつまでも放置しておくわけにもいかず、直接業者さんのところへ持って行くことに。
〈直接持って行くと、ガソリン代程度はもらえます。〉
軽トラがあれば楽なんですがね … 。

 

金属カット終了後、夕方までに少し時間がありましたので、〈薪ストーブの〉煙突掃除をしました。

暖かい季節になったとはいえ、まだしばらくは朝晩暖房が必要です。
〈その年によってですが、6月にストーブを焚いたこともあります。〉

 

チェンソーで根っこ切り、グラインダーで金属カット、そして、煙突掃除と当ブログ記事の下書き … 。

心地よい疲れですな。

無理をせずに健康・安全を第一に

イチゴ畑にマルチシートを被せ、苗のある部分を切り取りました。

寒の戻りか、寒い。

が、晴れているので、イチゴ畑にマルチシートを敷くことに。

※ イチゴ栽培は、今年で3回目。
昨年、一昨年は、畑に灰を撒き過ぎて実が少なく、おまけにその大半がアリに食べられる始末。
〈イチゴの場合、畑に灰を撒くと、実が少なくなるとのこと。〉
で、今回は、一切灰を撒かず、市販のイチゴ専用の肥料を使いました。
また、アリを防ぐにはマルチシートを敷くとよい、と知人から聞きましたので … 。

 

まず、イチゴの苗に沿ってマルチシートの中央部分が被るようにし、皺ができないようにシートをピンと張りながら、シートの両脇を70㎝置きぐらいにマルチ止めで止めていきました。

シートをピンと張っていますので、イチゴの苗のある箇所が少し盛り上がっているのがわかります。

次に、その箇所を直径5㎝ぐらいの円になるようにハサミで切り取り、苗が日光に当たるようにしました。(右上写真)

シートといっしょに苗を切らないように慎重に作業を進めました。

で、作業が終わったのは、〈午後〉3時過ぎ。

その後、夕方までもうひと仕事できそうでしたが、北風があまりにも冷たかったので、プレハブに入って読書をしました。

 

かくして定年退職後6年目の初日が終了しました。

無理をせず、健康・安全を第一に日々を過ごしていきたいですな。