【日本人の脳】を読む

【日本人の脳】角田忠信著:大修館書店

【日本人の脳】角田忠信著:大修館書店(右写真)を読み、印象に残った箇所を紹介します。

 

… … たとえばクーラーの音、楽器の音、コオロギの声……などを調べてみますと、西洋人の例では、とにかくことば以外のものは、みんな同じレベルなのです、一様に。ところが日本人ですと、クーラーや楽器の音については西洋人と同じですが、そのほかに鳥や動物の声、虫の声などがまざっていれば、それらははるかに高いレベルを示します……。ことばに近いわけですよ。日本人が自然の音に対して如何に敏感か……こんな観点からも証明されると思います。ですからこれはもちろん飛躍ですが、横井さんや小野田さんが、あんなに長い歳月ジャングルの中で孤独な生活をしていられたのは、他にもいろいろ理由はあるでしょうが、一つにはこの日本人特有の敏感さで、自然と接していられたから……。 … P21

 

マドモアゼル・愛氏のユーチューブ動画をよく視聴します。

先日その中で彼マドモアゼル・愛氏は70代の男性です〉

「角田博士の著書【日本人の脳】はいい。発行当時とても話題になった。が、よい評価はあまりなされなかった … 。」

というようなことを言っているのを耳にしました。

 

ありました、ありました、菜園横の物置の本棚に … 。

奥付を見るに、1978年11月10日 14版発行 とありました。

そして、そのページの下部には、S53 12/16 と拙い私の字で鉛筆書きされていました。
〈昭和53年は1978年です〉

45年も前〈学生時代〉に買ったんですな。

実験の方法やデータの部分は難しいので、それ以外の読みやすい部分だけを読んだのを思い出しました。

” 左脳 ” が論理をつかさどり、 ” 右脳 ” が感情をつかさどるということも、そのとき初めて知りました。

 

改めて読み直し、上記の箇所がとても印象に残りました。

退職後、毎日のように鳥や動物の声、虫の声などを聴き、ほとんど一人で木立の中にいるからでしょうな。

… 今しがた2016年に発行された【日本語人の脳】角田忠信著:言叢社 を注文しました。

深化した中味が楽しみです。

【百歳までの読書術】を読む

【百歳までの読書術】津野海太郎著:本の雑誌社

【百歳までの読書術】津野海太郎著:本の雑誌社(右写真)を読み、印象に残った箇所を紹介します。

 

… … 50代の終わりから60代にかけて、読書好きの人間のおおくは、齢をとったら自分の性にあった本だけ読んでのんびり暮らそうと、心のどこかで漠然とそう考えている。現に、かつての私がそうだった。
しかし65歳をすぎる頃になるとそんな幻想はうすれ、たちまち70歳。そのあたりから体力・気力・記憶力がすさまじい速度でおとろえはじめ、本物の、それこそハンパじゃない老年が向こうからバンバン押しよせてくる。あきれるほどの迫力である。のんびりだって?じぶんがこんな状態になるなんて … … P7

 

先日、菜園横物置にある本を整理しているときに、タイトル名に引かれて手に取ったのが当著書。

ページを開くと、一度読んでいるような … 。

※ いつ読んだのか、まったく記憶なし。
が、至るところに、私が赤鉛筆で引いたラインが … 。

 

病み上がり〈ヘルニアの手術後〉で体が弱っていたせいか、上記の箇所が目に飛び込んできました。

物置では落ち着かなく、プレハブに持ってきてじっくり再読しました。

幸田露伴、唐木順三 … 等、著名な作家たちの晩年の様子が紹介されていて、年老いてからの読み書きをすることの難しさを知りました。

 

一読目のときのことが記憶に残らなかったのは、私自身まだ若く、病気知らずの元気者だったので、 ” 体力・気力・記憶力のすさまじいおとろえ … ” と言われても他人事と思い、読み流してしまったんでしょうな。

初めての入院を経験し、年齢も70歳に近づいてきたことも手伝ってか、以前にしっかり読めなかった本が読めるようになりました。

【人生には何ひとつ無駄なものはない】を読む

【人生には何一つ無駄なものはない】遠藤周作著・鈴木秀子監修:海竜社

【人生には何ひとつ無駄なものはない】遠藤周作著・鈴木秀子監修:海竜社(右写真)を読み、印象に残った箇所を紹介します。

 

… たとえば本格小説を書いている時、稀れではあるが自分が書いているのではなく、誰かに手を持って書かせられていると思う箇所が私にもある。本が完成したあとに読みかえすと、その箇所が私などの実力をこえ、素晴らしくよく動いている。
そんな体験を私は同業の友人や他の芸術家にたびたびたずね、「自分もそうだ」
という返事をえた。
… … 近頃深層心理学者たちはそれを無意識の働きと呼ぶようになった。しかし私などは無意識だけでは割り切れぬ何かを感じる。眼に見えぬそれらの働きを感じるとき、神は我々のなかで、ひそかに働くことで自分を示していると思う。 … P98~99

 

映画『アマデウス』で、サリエリ〈宮廷作曲家〉が、

「神の音楽がモーツァルトを通して表現されている … 」

というようなことを言っていたのが思い出されます。
〈記憶が間違っていたらゴメンナサイ〉

 

遠藤周作やモーツァルトの場合は顕著な例で、神はすべての人の中にいらっしゃるんではないでしょうか。

とくに、ものごとに没頭しているときにお見えになるような気がします。

私こと

67歳の今日までの平凡な人生の中にも、没頭せざるをえないことが度々ありました。

その度に何とかクリヤーして来られたのは、家族、周りのみなさん、そして、神〈私の場合、仏でも天でもかまわないのですが〉の働きがあったおかげと思っております。

生意気を言うようですが、

神〈仏、天〉に期待するだけではなく、彼らに恥じないように生きていきたいですな。

【宇宙からの帰還】を読む

【宇宙からの帰還】立花隆著:中央公論社

【宇宙からの帰還】立花隆著:中央公論社(右写真)を読み、印象に残った箇所を紹介します。

 

以下、アメリカの宇宙飛行士たちが立花隆氏に話したことです。

… 宇宙体験は私の信仰を一層強めてくれた。正確にいえば、強めたというよりは、広げてくれたというほうがいいかもしれない。それ以前は私の信仰内容はファンダメンタリストのそれで偏狭だったが、宇宙体験以後は伝統的教義にあまりこだわらないようになった。はっきりいえば、他の宗教の神も認めるという立場だ。アラーもシッダも、同じ神を別の目が見たときにつけられた名前にすぎないと思う。 … P279
ファンダメンタリスト:科学が教えることより、聖書に書いてあることのほうがすべて正しいと信じる人〉

 

… 地球は無限の宇宙の中では、一つの斑点程度にしか見えなかった。しかしそれは美しすぎるほど美しい斑点だった。それを見ながら、いつも私の頭の中にあった幾つかの疑問が浮かんできた。
… … その答えが瞬間的に浮かんできた。 … すべてが一瞬のうちだった … 瞬間的に真理を把握したという思いだった。
… 私はたとえようもない幸福感に満たされた。それは至福の瞬間だった。神との一体感を味わっていた。 … P300~301

 

40年ほど前に、今は亡き親戚の主が、「おもしろかったわ」と言っていたのを思い出しました。

同感です。

※ 「おもしろかったわ」については、2.5付ブログ記事『40年前の葬儀の礼状』をご覧ください。

 

地球の環境とまったく異なる宇宙に出ると、地球にいたときには思いもしなかったことが起きるようです。

科学知識の塊ともいえる飛行士が、それも大半の飛行士が、あまりの地球の美しさや宇宙の静けさなどに神や宗教を意識したとのことです。

キリスト教、イスラム教、仏教等にこだわらず、それらすべての大元にいる神を意識したというのです。

中には、神の顔を手で触れられるのではないかと感じた飛行士もいたようです。

 

退職してから7年が過ぎようとしています。

その間、日中は木立の中で、ほとんど一人で作業をしてきました。

美しい青空や緑の木々に囲まれ、静けさの中にポツンといると、 “ 人知を超えた何か ” を感じるときがあります。

言葉でうまく表現できませんが … 。

40年前の葬儀の礼状

立春の日に 2024 2.4 3:05PM 木立前で

【宇宙からの帰還:立花隆著〈単行本〉】を途中まで読み、『しおり』〈業界用語ではスピンというそうですが〉を挟もうとすると、元々『しおり紐』の付いていない本でした。

が、それに代わるしおりらしきものが挟んでありました。

取り出してみると、何と葬儀の礼状ではありませんか。

日付は、昭和59年11月24日 … 〈薪風呂の〉親戚の主の父親が亡くなったときのものでした。

喪主の名前は、もちろん〈薪風呂の〉親戚の主

※ その主も2年前に亡くなりましたわ。
〈2022 4.21付ブログ記事『木立前のタンポポで日常の世界に』参照〉

 

【宇宙からの帰還:立花隆著〈単行本〉】を買った40年ほど前のことを思い出しました。

何かの用事で親戚に行ったとき、その本を車の助手席に置いてあったのです。

親戚の主がそれを見て、

「おもしろそうや … わしも読んでみたいのお。」

と言ったので、貸したのでした。

「おもしろかったわ」という彼の読後感を、今でもはっきり覚えています。

で、そのとき、私もすぐに読もうと思ったのですが、あれこれとすることが続き、今日に至った次第です。

 

100ページ余り読んだけど、親戚の主が言っていた通り、おもしろい。

と同時に、懐かしさがこみ上げてきました。

天気のいい立春の日に重なったのも何かの縁かな。(右上写真)